
閉鎖戦術級魔導征圧者決定戦 #9
しかし、なぜ?
呪媒石のこうした性質を鑑みるに、ウィバロはフィーエンに何かの情報を伝えようとしているようだが。これほどの極大容量媒体でなければ伝えられない情報とは、何なのか?
「なんで直接渡さないんだ?」
エイレオが、険のいくらか残る口調で訪ねた。
老人は、しばらく黙っていた。やがて、重い口を開く。
「…フィーエンの事を…よろしく頼む…これからも…あれの味方でいてやってほしい…」
ひどく、ひどく、嫌な予感を抱く。台詞自体は、ただ単に“孫と仲良くしてやってくれ”と言っているだけのようにも取れる。
だが、直感する。
それは、違う。
なぜ、今そんなことを言うのか。何故、呪媒石を直接渡さないのか。
その言葉は、とりかえしのつかない意味を含んだ――
「どういう意味ですか!」
「どういう意味だよ!」
――遺言。
少なくともレンシルはそう感じた。エイレオも多分そう思ってる。ウィバロの、あまりにも投げ遣りで諦め切った様子は、そう思わせるに十分なものだった。
老人は姉弟の詰問に答えず、踵を返して歩み去ろうとする。
「待って!」
「もう、若い者を押さえつけるのも枷になるのも飽きた」
そこだけ、強い意志を滲ませる。
「待ってください!」
構わず、レンシルは呼び止め続ける。
「こっちのことも考えてください! 冗談じゃないです! 勝ち逃げですか!? 追いつめるだけ追いつめてほっぽりだすんですか!?」
弟が何やら呆れたような気配がしたが、この際無視。
ウィバロが胡乱げな眼を向けてくるが、構わない。ここで彼を行かせることだけは、何としても阻止する。
「あれで勝ったなんて思われるのは心外です! あそこから逆転劇の始まりなんです!」
「姉貴、ガキかあんたは」
弟の生意気極まりない戯言などもちろん無視だ。
ウィバロが再びこちらに向き直る。
「それで…何が言いたい…」
「魔法大会に出てください!!」
ひときわ大きなその声は、周囲の無人を埋めるかのようだった。
「出る理由が…見当たらない…」
「出てくれないんならその呪媒石をこの場で壊しますっ! 粉々に!」
「……最悪だな」
「黙ってなさい半人前!」
言い合いは、微かに漂ってくるウィバロの溜め息で中断された。
「わかった。それで貴女の気が済むのならな」
そして、今度こそ歩み去る。断固として。
レンシルはその様を凝と見送った。引き止めはしない。この期に及んで約束を破るような人でもないだろう。ひとまずは、安心だ。少なくとも魔法大会が終わるまでは。
「ねぇ」
曲がり角から姿を消すウィバロを睨みながら、傍らの弟に声をかける。
「なんだよ」
「勝つわ。絶対」
「……そうか」
「それとさ」
「あん?」
エイレオの方にキッと顔を向ける。髪に付いた泥が跳ねとんだ。
すぅ、と肺に空気を送り込む。一拍の間。
「あんたねぇ、もうちょっとマシな助け方はなかったわけ!? 泥だらけじゃないのよ!」
「っせぇなぁ。命の恩人様に文句たれんじゃねぇよ」
言い返しながら、やる気なさげに首を鳴らす。なおも睨みつけると、心底かったるそうに窪地の縁から手を伸ばしてきた。
――ああもう、生意気!
●
祖父が帰ってこないまま夜を過ごすのは、珍しいことではない。これまでも、家にいない日の方が多いくらいだった。だからもちろん驚くべきことではないのだが――
大地そのものの影が地表を完全に覆い尽くす時刻には、フィーエンは自宅に帰ってきていた。
ウィバロとよく話し合う決心が、やっとついたのだ。あの時はウィバロだけでなくフィーエンも感情的だった。いきなりはたかれて動転しはしたが、自分がまったく悪くないなどとは思わなかった。何かよほどの事情があったのかもしれない。そうとも知らずに自分は古傷を引っ掻いてしまったのかもしれない。もっと落ち着いて話し合うべきだったのかもしれない。
なけなしの決意を胸に家に戻ると、しかし、どこの部屋にも明かりなど点いておらず、祖父の姿もなかった。伝言も、何もなかった。
落胆と同時に安堵も覚えた自分が、情けなかった。
――あの人は、僕の帰りなど、待ちはしないのだ。
涙を拭いた。拭きはしたが、あまり意味はなかった。
崩れ落ちるように椅子に身を投げ出し、途方に暮れた。
――いつから、一人でいる事が多くなったんだろう。
いつからウィバロは酒浸りになったのか。いつから魔法を忌避するようになったのか。
いつから。そしてなぜ。
「いっしょにいるのが、つらくなったのかな」
物思いに耽る。
思えば、ウィバロはいつもいつも、会話をしている時でさえ、こちらを見ることは稀だった気がする。彼はここではないどこかを見ていた。きっと、とても高く遠いところを。
――そこにはきっと、お父さんとお母さんと、それにお婆ちゃんがいて……
フィーエンの父親は、ウィバロの血を受け継いだだけあって優秀な魔導師だったらしい。だが、フィーエンが生まれる少し前に事故で亡くなったという。
フィーエンの母親は、魔術的な事物とは関わりのない普通の女性だったらしい。フィーエンの出産の際、難産が祟って夫の後を追ったという。
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