かいぶつのうまれたひ #28
「う、うぅ……」
――知己の仲であったか。
数奇な偶然である。いや、果たして本当に偶然であったか。
「どうして……こんな、どうして……」
一歩二歩と後退り、余裕のない顔で藍浬を見やる。
旧知と再会しただけにしては、いささか動揺しすぎである。
「キミは……そんな……キミがそうなのなら……僕は……」
「長いこと見ないうちに、ずいぶんカッコよくなったね」
藍浬はタグトゥマダークを追うように悠然と歩み出した。
「ふふ、あんなに泣き虫さんだったのに」
「……昔のことは、言わないでほしいニャン……」
悄然とうなだれるタグトゥマダーク。
「そう? じゃあ今のこと。夢月ちゃんはどうしてるの?」
「その……元気だニャン。一緒に住んでるニャン」
藍浬は眼をを輝かせた。
「会いたいなぁ、今頃はわたしと同じ高校生よね?」
何気ないその一言が、タグトゥマダークの顔から一切の表情を奪った。
気温が、低下する。
「断る」
一言で、藍浬の願いを斬り捨てる。
顔を伏せ、垂れ下がった前髪の間から、藍浬を睨みつける。
それは、藍浬個人というよりも、もっと大きな、漠然とした何かを睨んでいるように見えた。
踏みにじられてなお反骨を失わぬ奴隷の眼だった。
「……どうして……?」
「黙れ」
流れる水のように踏み込んだタグトゥマダークは、右手を毒蛇じみた動きで伸ばし、藍浬の頤を掴んだ。
「――っ!」
「誰にも夢月ちゃんは会わせないニャン。誰一人、夢月ちゃんと言葉を交わす資格はないニャン」
猫の妖眼を威圧的に見開き、噛み付くように言った。
「それでももし、夢月ちゃんに近づこうなんて下らないことを考えるマヌケがいるのならば、僕は……」
左手を抜き手の形に構え、その切っ先を藍浬の喉笛に向けた。
弓を引き絞るように、捻りを加えながら左腕を後ろに引いた。
「僕は……ッ!」
身を起こす。
跳ね起きる。
一気に間合いへ踏み込む。
そうして、篤は。
「貴様――」
掴んだ腕を捩じりながら、篤は低く言った。
「ぐっ!」
「どこまでも尊敬を拒む輩だぴょん……!」
同時にタグトゥマダークの足を払い、大きく一回転させたのち、床に叩き付けた。
「かはッ!」
肺から空気を押し出され、うめくタグトゥマダーク。
しかし、すぐにその口は笑みに歪む。
「ぐくく……ほんの冗談だニャ、彼女は《絶楔計画》の要となる人だニャン? こんなところで殺したりするワケないニャン」
――瞬間、殺意の匂いが、篤の頭上から流れてきた。
即座に飛び退ると、直前まで篤がいた場所へ、『こぶた幼稚園前』の切っ先が刺さった。コンクリートの破片など飛び散らない。鋭利極まりない一撃である。タグトゥマダークは逆立ちするように両脚を振り上げて界面下に突っ込み、バス停を振り下ろしたのだ。
「よっと」
全身のバネを撓らせ、一瞬にして跳ね起きる。同時にバス停を両脚で放り投げ、回転しながら落下してきたところを片手でキャッチ。
曲芸じみた体捌きだが、まったく無理が感じられない。
篤は、己の胸の中に生じた粘い炎を、言葉にした。
「虚言だぴょん。今の動きには確かな殺意が宿っていたぴょん」
「ははん、仮に本気だったとしても、どーせこの町は近々消滅するんだから、ここでひとり余計に死んだって別にどうってことはないニャン」
あまりにこともなげな、終末の宣言。
「なん……だ、と……?」
呻く。
「それは……どういう意味だぴょん」
「どうもこうも……ねえ? 《絶楔計画》は、その第五段階において朱鷺沢町近郊の〈BUS〉相を根本から書き換えるニャン。その影響は……ははっ! こんな山間にこびりついたカビにも等しい人里なんて一瞬で蒸発しちゃうニャン」
ぎり……と、篤は自分の歯が軋む音を聞いた。
「答えろ……《絶楔計画》とは何だ……何を目的にしているぴょん!」
「……ある装置、その完成への布石だニャン」
「装置……?」
タグトゥマダークは肩をすくめると、自嘲するように鼻を鳴らした。
「ちょっとしゃべりすぎたニャン」
亀裂のような笑みを浮かべる。
「続きを聞きたいなら、力ずくで来るニャン」
「……よかろうぴょん。貴様らはどうあっても看過しておけぬ存在だということがよくわかったぴょん」
鮮烈な怒りを込めた視線と、禍々しく屈折した憎悪。
二人の中間でぶつかり合い、反発と炸裂を繰り返した。
――大義を、得た。
激突を前にして、篤の心は複雑な思いに満たされていた。
――俺は、この男を、討っても良い。
なぜなら、彼はここ朱鷺沢町を滅ぼさんと画策する巨悪の尖兵であるからだ。
――「俺のエゴを侵す存在だから」ではなく、「悪であるから」、それゆえに討っても良い。
そういう大義を得たことに晴れやかさを感じてしまう自分が、あまりに情けなかった。
――ここでこの男を討ち取っても、俺は傷つかない。
歯を食いしばって、晴れやかさの陰に潜む、自らの醜悪さに耐えた。
――何一つ、失わない! 自らの矛盾に直面しない!
タグトゥマダークの存在自体が許容できないという、生理的で身勝手な動機から、目をそらすことができる。
――卑小……あまりにも卑小……!
だが、それでも。
――それでも!
「討たねばならぬ! この一命に代えてでも……!」
篤の眼光が、均衡を押し流した。
「っ!」
「貴様の歪みし認識、ここで断つ!」
大気が、弾けとんだ。
脚が地面を蹴り込んだ。閃光のごとき〈BUS〉が吹き上がり、篤の体を一瞬で急加速させる。
床が砕けはしない。その分のエネルギーはすべて推進力に転化されている。ただ数分の血闘の中で、篤はより巧みな〈BUS〉の運用をマスターしつつあった。
咆哮。
一条の雷撃と化し、一人の修羅が突貫する。