見出し画像

絶罪殺機アンタゴニアス #5

  最初

 一歩、踏み出す。足元で黒紫の勁気が炸裂し、鋼板が花めいてめくれ上がる。
 一歩、踏み込む。全身の経脈を昏く熱いエネルギーが循環し、神経をやすり掛けしてくる。
 ただ前に駆け出すというだけで、それは威力を帯びた震脚となり、地下の「何か」から不浄なる力を汲み上げてくる。
 体重の移動と同期して拳銃を突き出し、発砲。扼殺される赤子の断末魔にも似た金切り声が上がり、銃口の先にいた甲弐式機動牢獄は胴体の中央に巨大な穴をあけられた。溶解スラグと化した装甲の残骸と節足が飛び散り、音を立てて転がった。
「俺たちは……」
 一歩、踏み砕く。地下より厄災の力が反響し、増した力でさらに踏み込めばますます大きな力となって返ってくる。
 一歩、踏み抜く。足を進めるたびに自らの人間性が削ぎ落され、悪鬼へと堕ちてゆく。
「俺たちは、滅ばねばならなかったのだ……」
 舞うようなターンとステップを組み合わせながら、両手を広げて発砲。交差して発砲。背中に腕を回して発砲。脇の下から銃口を伸ばして発砲。肩越しに背後へ発砲。それら一連の動きが瞬時に切り替わり、黒紫のマズルフラッシュが全方位に乱れ咲いた。
 無駄撃ちは一発もない。着弾のたびに暗黒の爆裂が生じ、鋼鉄の蜘蛛は溶け、砕け、散った。
 男の顔が、引き歪む。
 見当違いの方向に機銃を乱射する最後の一体。節足をスライディングでかわし、仰向けの姿勢で胴体の下に潜り込んだ。
「誇りを、品性を、温もりを、罪業の供物として捧げる前に……決して、幸福など掴めはしないと気付く前に……」
 二つの銃口が、節足の付け根が集合する箇所にぴたりと当てられる。
「せめて、魂は美しいうちに……滅ばねばならなかったのだ」
 闇色の巨大な花が二つ咲き誇り、二つ折りに砕けた機動牢獄は空中で爆散。囚人の脳髄も、それに接続した罪業変換機関も、微塵たりとも残らなかった。
 溶けかかった部品が乾いた音を立てて降りしきる中、男は腕から力を抜いて大地に広げた。
 内息を整え、不浄なる活力をゆっくりと大地に発散させてゆく。
 また随分と気脈や神経を蝕まれた。臓器もいくつか壊死し始めている。こんなことを続けていれば早晩の死は免れ得なかったが、もはやこの世に執着する理由を探すことにすら疲れ果てていた。
 男に、対案などない。
 この、「最大多数の善人を育み、そのすべてに最大限の苦悶を与えること」を目的にデザインされた社会秩序に対して、否やを唱えるいかなる理屈も、男の中にはなかった。さもなくば滅ぶしかないのだから。
 目を閉ざす。
 一人の女と、四歳ほどの幼児が、怯え混じりの視線を交わしていた。笑うことを教えられたうえで禁じられていた。歌うことを教えられたうえで禁じられていた。抱きしめることを教えられたうえで禁じられていた。喜楽の感情は悪であり、発露したものは体の端から少しずつ切断され、時間をかけて処刑された。密告は強く推奨された。特に肉親を告発した者には〈法務院〉から巨万の富と特権の数々を約束された。
 それでも女は、おずおずと我が子に手を伸ばし、その頬に触れた。幼児は、必死に感情を押し殺しながらじっとしていた。やがて女は計り知れない痛みに耐えながら、手を引っ込め、俯きながら泣いた。
 そのさまを、男は成すすべもなく見ていた。

 三日後、女は我が子に告発されて処刑された。
 男がすべてを知ったとき、家には誰もいなくなっていた。

【続く】

小説が面白ければフォロー頂けるとウレシイです。