秘剣〈宇宙ノ颶〉 #15
ざり、ざり、ざり、ざり――
足音が、遠ざかってゆく。
老婆の肉体に宿る何かは、道場の扉を開け放ち、中に入っていった。
扉が、ゆっくりと閉じてゆく。
あぁ――
魔戦は、はじまった。
霧散リツカと赤銀ツネは、対峙した。
すべてが終わり、あの扉から出てくるのは、どちらか一方のみ――
だが、結果などわかりきっていた。
赤銀ツネは、人間が勝てる相手じゃない。
●
何分経ったのだろうか。
何時間経ったのだろうか。
ひょっとしたら、十秒も経っていなかったかもしれない。
道場の扉を、内側から開くものが、あった。
奇跡は、起きた。
「リツカさん……!」
出てきたのは、霧散リツカ!
あぁ――!
ぼくは彼女に駆け寄った。
そして、息を呑む。
彼女の右眼があった部分を、一筋の斬傷が走り、おびただしい出血を強いていた。
「すぐ手当てを!」
伸ばされるぼくの手を、リツカさんは払いのけた。
――怖気が、走った。
ギチッ、と頬が引き攣り、あの笑いを形作る。
「かくて、継剣の儀、滞りなく、終わり、鏖殺の連環は、紡がれ、つづける」
何……を、言って……いる……?
「ゲ、ゲ……カ!」
その瞬間、ぼくの心は、一度死んだ。
全身の肉が引き攣り、ともなってしゃっくりのような笑いがこぼれた。
なのに、ソレはまったく頓着することなく、ぼくの横を通り過ぎてゆき、門から外へ、悠々と出て行った。
見えなくなった。
そして、太陽が傾きかけた頃。
ぼくはやっと、絶叫することができた。
●
辻斬り事件が、急増した。
婆ちゃんの葬式が終わり、学校にも行かず、抜け殻の心地で日々を過ごしていたぼくは、どこか遠いところでそのニュースを聞いた。
霧散リツカが、やっているのだ。
出現と消失を繰り返し、刀に血糊がつかないほどの速度で殺戮を演じているのだ。
それだけは、わかった。
「はしゃいでるな、あの野郎」
すぐ近くで、誰かの声がした。
「ま、もうカンケーねえけど」
雨の音だけが、ひどく近くに感じられる。
「しかし、なんだろうな」
軽軽しい口調。
「そんなに新しい体の使い心地がいいのかねぇ」
ぼくは立ち上がった。
意識が、急激に浮上する。
見ると、父さんがいつものように嫌な笑みを浮かべていた。
睨み返す。
「まだ死体にゃなってなかったようだな、おい」
「……教えてほしい」
抑えた声を、そろりと出す。
「アレは、何なんだ?」
父さんの笑みが、深くなった。
「まぁ座れ。あんまり短くない話だ」
大人しくぼくは座った。
父さんは、リモコンからテレビを消す。
途端に、雨音だけが周囲を包み込んだ。
「あー……まぁ、なんだ、何から話したモンか……」
ひとしきり頭を掻き、
「お前、不老不死が本当に存在すると思うか?」
「……思わない」
「つまんねえ回答どーも」
「それで?」
「うん、なんつぅか、俺らの先祖の中に、限定的な意味で不老不死を実現させた野郎がいた」
「……」
「赤銀無謬斎ってんだが……戦国時代だったかな? まぁとにかくそいつは人殺しが好きで好きで好きで好きでたまらねえガイキチ野郎だったわけだ」
赤銀無謬斎。
婆ちゃんが、最期に言っていた名前だ。
「で、元々手のつけられねえ剣腕を誇っていたんだが、さらに多くを殺すため、ある必殺技を編み出した。〈宇宙ノ颶〉と名づけられたその秘剣は、これがまた凶悪極まりない代物でな。一説によると十人以上の敵を一息で殺せるようなモンだったらしい」
そこで一息つく。
「話は変わるが、お前、こんな経験はねえか? 例えば、誰かと竹刀なり木刀なりで居合っていて、対手の打ち込みを防いだ時にだ、そいつが抱く感情や人格が、獲物を通じて流れ込んできたりした、とか」
「……ある」
覚えが、ありまくる。
彼女と組稽古をしているときなど、ほとんど毎回だった。鮮烈で透明な彼女の心が、衝撃とともに体に浸透してくるその感覚が、ひどく心地よかった。
「それは気のせいじゃねえ。優れた打ち込みは、その一打一打に使い手の魂が乗る。俗に剣質とか呼ばれている概念の正体は、それだ」
父さんは身を乗り出す。
「最高の心技体を巡らせて捻り出した斬撃はな、時として使い手の人格すべてを表現しちまうことがある。それを肉体で――あるいは心を通わせた得物で――受けた人間は、損分なくその情報を理解できるってぇワケだ。……もちろん、実際問題としてそんなことはありえねえ。人間ってのは機械じゃねえからな。毎回毎回まったく同じ結果を出せるわけじゃねえし、受けるほうだって殺し合いの最中でそんなことを気にするはずもねぇ」
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