絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #53
最初の三日で、アーカロトは今自分の身に何が起こっているのかをほぼ推察した。
あの青年が操る、漆黒の炎の形をとる罪業場。あれはほぼ間違いなく、時空間への重大な干渉を引き起こす性質のものだ。
乙陸式機動牢獄らを一瞬にして枯死せしめた事実から考えて、今自分は主観時間を超加速させられている。常人であれば、機動牢獄らと同じ運命をたどるところだったのだ。
だが――アーカロトの肉体は、ある意味において絶罪支援機動ユニットと等しい存在であった。第一大罪と超次元的に接続したその肉体は、生存に摂食行動を必要としない。最低限のカロリーと栄養素は、物質世界と月世界の物理定数が全く異なるが故の"貿易的変換"によって保障されているのだ。
また、細胞分裂や新陳代謝に伴うテロメアの劣化も存在しないため、どれほど時間が経過しようが老いることもない。観点によっては、アーカロトは動く死体と捉えることもできる存在だった。
とはいえ――なぜ呼吸ができているのか。この疑問だけは、すぐには解決しなかった。外界の大気は固体化し、指一本動かせないにもかかわらず、息苦しいながらも肺にわずかずつ酸素を取り込むことができていた。
――思うに。
氷と同じなのではないか。氷に触れれば溶け出すが、即座にではない。固体として持つこともできる。
同様に、超加速されたアーカロトの肉体に触れた固体大気は、溶け出すようにすこしずつアーカロトと同じ時間速度に乗っているのだ。
ゆえに当面、生存に支障はなし。
問題は、この状況が主観時間でどの程度続くのかということだ。
乙陸式機動牢獄はものの二秒未満で風化し、崩れ去っていった。罪業ファンデルワールス装甲は、ナノレベルの規格化罪業場による固着機能を除けば、ごく普通の鋼鉄製だ。それが二秒弱で風化し、原形をとどめなくなった。
この世界における風化の最大の要因は、変異した鉄バクテリアによる酸化作用だ。およそ百年程度で乙式機動牢獄を完全に分解してしまうだろう。それが二秒弱に圧縮されていた。
つまり最低でも数百年は見なくてはならない。
アーカロトは即座に脳を休眠状態に移行させた。
●
ジアドは疑問に思った。
無論、彼の現象的意識がそう感じたのではない。存在しないものは何も感受しない。
そうではなく、外界に対して判断し、肉体に命令を下す「機能的意識」のレベルで、目の前の事実に疑問を抱いたのだ。
かれこれ五秒ほども少年を漆黒の罪業場に包み込んでいるのに、一向に風化は愚か老化すらしないとはどういうことか。
この奇妙な現象に対する論理的な回答をどうしても導き出すことができず――できず、できず――できないだけで特になにもしなかった。首をかしげもしなかった。
疑問を解決したいという動機を持たなかったから。
ゆえに特に何も考えず、十秒の時間制限いっぱいまで罪業場を浴びせ続けた。
そうしない理由がなかったから。そうする理由もなかったけれど。
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