かいぶつのうまれたひ #14
「ふむ、では『禁龍峡』の暴走で決まりだな。恐らく、タグトゥマダークにも俺と同様の症状が現れているのだろう」
篤はそう締めくくると、あっくんの耳にたーくんが猫パンチでじゃれかかっているさまを見た。
おもむろに、そこへ手を伸ばす。
たーくんは篤の手に驚いて「みゅ!?」飛び退ったが、あっくんは落ち着き払った様子で身を起こした。
申し合わせたかのように掌へとよじ登ってきたあっくんを、今度は頭の上へ運ぶ。
すると命じられたわけでもないのに、あっくんは頭を移動してウサ耳の間へちょこんと身を落ち着けた。
「ふ……」
安らいだ微笑みを宿す篤。
その様子を、全員が微妙な表情で眺めていた。
「……なんでお前は兎を頭に乗っけてご満悦なんだ……」
「美しく、気高い生き物だ。月の住民と呼ばれるのも頷ける」
「お前はもう語尾に『ぴょん』とでもつけてろよ!」
「わかったぴょん」
「やっぱいい! やめろ!」
「冗談だぴょん」
「……」
「……ぴょ、ぴょん」
周囲を、重苦しい空気が包み込んだ。
「お……い……? 篤くん? ま、まさか……」
やや青い顔をする勤。
「……付けるつもりはないのだが付けてしまうぴょん」
腕を組んで眼を閉じる篤。
「ちょっ! これ……もうこれ! 病院! 救急車!」
攻牙は頭を抱えた。
「まずいな……これはどんどんウサギ化が進行する流れだよ絶対」
汗をかく勤。
「どうやら見つけ出すしかねえようだな……『禁龍峡』をよ」
「えぇ~! いいじゃないでごわすか。諏訪原センパイ、カワイイでごわすよ~」
射美の不満げな声に、篤もうなずく。
「うむ、俺も特に不都合は感じていないぴょん」
「いや良くねえだろ! どーすんだよこのままウサギになっちまったら!」
「むしろ功徳というものだぴょん。俺はその運命を安らぎと共に受け入れるぴょん」
仏像みたいなアルカイック・スマイルを浮かべる篤。
「もう多分バス停は使えなくなるぞ!?」
「大事なのは力ではないぴょん。決意と、覚悟だぴょん」
「まっとうな生活を送れなくなるんだぞ!?」
「営みがどのように変わろうと、俺の魂は変わらないぴょん」
「手の構造もウサギ化したらドスが持てなくなるぞ!」
「む……それは困るぴょん」
「なんでそこで引っかかるんだよお前は……」
疲れた声を出す攻牙。
「切腹は己の魂を純化するのに必要不可欠な儀式だぴょん」
篤は、哀愁が染み込んだ溜息をつく。
「……ままならぬものだぴょん。致し方がないぴょん。ウサギ化するにせよ、人間にとどまるにせよ、『禁龍峡』は見つけ出さねばならないようだぴょん」
とりあえず、そういうことになった。
●
帰りのバスに揺られながら、篤は物憂げな様子で外の景色を眺めている。
脳裏には、ふつふつと取り留めのない思考が去来している。
今までのこと、これからのこと、自分がウサギになると知ったら霧華はどんな顔をするだろうかということ、あとウサ耳だと頭が洗いにくくなるなぁということ。
そして、タグトゥマダークのこと。
あの男も、自らの運命を知っているのだろうか?
数多くの人間がひしめくこの世界で、自分と彼だけが獣化しつつあるということに、何か意味があるのだろうか?
どこか、対比のような構図を感ずる。
そして、想像する。タグトゥマダークが、ネコ耳を生やしたところを。
「うグッ……」
なんかこう、こみあげてきた。グラシャラボラス的衝動が。
――想像以上に、不愉快な心象だ。
別段ネコ耳そのものが醜いわけではない。子猫のたーくんは大変かわいらしい生き物だと篤も思う。しかし、その耳がよりにもよってあの男についているという事実には、冒涜的なものを感じる。この世の美なるものへの冒涜だ。
――死にたい! 死のう!
フラッシュバックのように、その声が蘇る。
つばを飲み込んで、吐き気を押し戻す。
「篤くん」
隣の席にいた勤が、声をかけてきた。
「ぴょん?」
「いや、『ぴょん?』って……」
気を取り直すように咳払い。
「実は、みんなの前では言っていなかったことなんだけど……」
「なんですぴょん?」
どことなく躊躇うような勤の口調に、篤は振り返る。
なんとも言いがたい苦みばしった表情だった。
「霧沙希藍浬という子のことだ」
「霧沙希がどうかしたんですかぴょん?」
「彼女は、その、《楔》の場所を知っているんじゃないのかい?」
「……おっしゃっている意味がよくわからないのですぴょん」
「いや、ただの憶測なんだけどさ。話を総合すると、彼女があの猫と兎を拾った瞬間、君とタグトゥマダークという人に獣耳が生え出したんだろう?」
「正確な時刻はわかりませんが、その可能性は高いと思いますぴょん」
篤は、思い出す。
――そういえば、《楔》についての話が出てから、藍浬は妙に口数が少なかった。
「じゃあ……もう、答えは出てるんじゃないかな」
沈黙が、二人を包み込んだ。
電信柱の影が、断続的に通り過ぎてゆく。
バスは、開けた田園地帯に差し掛かっていた。