なんか足りなくね?
書きあがった時、俺は正直そう思った。この作品は、ひとつの物語として、何か必要欠くべからざるものが欠けているような気がするのだ。
恐らくそれは「変化」であり、「止揚」の構造であると思う。
主人公たちの前に途轍もない困難が立ちはだかり、機知と勇気と戦術によって切り抜ける。それはいい。いいのだが、しかし戦いの前と後で登場人物ないし状況に何の変化もないのである。
徘徊する悪霊騎士への勝利に何の意味があったかと言えば、経験値を得て、ドロップアイテムをゲットしただけなのである。これは通常、小説の作劇としては間違いなく省略したほうが良い戦いと言えるだろう。「絶無たちは数々の敵と戦い、レベルアップを繰り返した」とかなんとか適当な一文で流されるべき無意味な戦いなのだ。なぜなら徘徊する悪霊騎士(以下徘徊パイセン)はゲームのストーリー上重要な役割を果たすボスではなく、なんとなれば倒さずにエンディングを迎えても良い感じのワンダリング鬼畜ボスであり、小説作品として仕上げようと思ったら「戦って、なんとか勝った」としか説明のしようがないものが出来上がってしまうのである。
ベニー松山神によるウィザードリィ小説『風よ。龍に届いているか』では、すべてのバトルがストーリ上重要な転換点になっており、その無駄のない美しい構成には惚れ惚れとしてしまうが、じゃあ俺に構成能力がないのかと言われるとちょっと待てということになる。
そもそも『ウィザードリィ』と『剣の街の異邦人』には重要な違いがある。最善手を打ち続けてもキャラロストの危険性が常にあり、ほぼ確実にエンディングまでに自キャラの完全なる死亡を経験することになる『ウィザードリィ』とは異なり、『剣の街の異邦人』は生命点システムのおかげで、わざとでもない限りキャラロストなど起こらないのである。
すると『剣の街の異邦人』を小説化しようと思ったら、「自キャラの完全消滅の危機」というおいしいイベントなしでストーリーを構築しなくてはならないのだ。これは辛い!
ではキャラロスト以外でどう盛り上げるのかという話になってくるが、まぁその、維沙の成長? 的な? ことを? 盛り込む感じになるのか? だがここでは「別に本編が存在する既存キャラ」である点がいささか足を引っ張った。本編での変化なり成長なりはすでに頭の中にある。だが、この荒唐無稽な外伝作品に唐突に引っ張ってこられて、いったい何をどう変化すればいいと言うのか。つまり俺の中での維沙のイメージとは矛盾する変化しか思いつかないのである。
いや別に矛盾してもいいはずなのだが。どうせ本編との整合性など取る気はないし。だが俺が嫌なのである!!!! 維沙はそんなこと言わない!!!!
完全に厄介オタクである。
そんなわけで、「物語」として見た場合、本作は悔いが残る出来栄えとなった。
だが、徘徊パイセンがちょうつよくてちょうこわくてちょうかっこいいということを伝えることだけを目的として捉えた場合、本作は途轍もない傑作であると、そのように自負している次第でありますな。
なんか重要ですか? 徘徊パイセンのグロカッコよさに比べたら? この世に重要なことなんかありますか? ありませんよまったく。おかしなことを言う人だ。ちっぽけな人間の内面変化が何だって言うんです。徘徊パイセンという特異点が有する圧倒的質量に比べたら取るに足らない問題ですよ。
いや、さて。
どう言いつくろったところでパイセンと篤、パイセンと螺導のぶつかり合いが本作の最高潮であり、戦いの後のエピローグで適切な余韻を描けなかったことに変わりはない。大いに反省すべきであるが、完璧を期す前にとっとと書き上げて公開すべきと言う主義に従ってこういう形に相成った。
絶無たちはその後、鬼畜ボスの数々をいてこましつつ世界の真実に到達したり元の世界に戻ったり、戻ったかと思ったらなんかしんないけどまたエスカリオに召喚されたり、なんやかんやあったわけですが、そのへんは描くつもりはない。
とりあえずブログ記事でゲームの感想とかを長々と語っているので暇なら読むと良い。そして剣街をプレイして君だけのリプレイ小説を書くのだ!!!!!
いやごめん相当無茶なことを言ってるのはわかってる。
来週の木・金枠は、どうしようかな。
これの冥王死闘編でも頑張って書いてみるか。
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