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野に咲く花は、しあわせであろうか
「……ッッ!」
ギデオン・ダーバーヴィルズは、あとずさった。
「何を……これは……何を……!?」
恐怖に駆られ、〈哀しみよりも藍きもの〉を頭から外して投げ捨てそうになる。
だが、その手が止まった。ギデオン自身にも名づけ得ぬ感情が、その手を止めた。
足元が崩れ、口を開けた奈落に成すすべなく落下してゆく心地だった。
「シャロン……シャロン!! 私は……私は……!!」
花冠を震える両手で握り締めながら、くずおれる。
私は……なんだ?
私は、今まで何をしようとしていた? そして――なにをした?
森を? 燃やす?
燃やしてどうする? どうなる?
「う、うおおおあああ……ああああああああ……ッ!」
シャロンが死を選んだのは、ギデオンとシャラウのためだった。両親の前途のために、そうするより他になかった。
なぜ黙っていた。反射的にそう考えてしまうが――しかしこうするしかなかったのだ。シャロンの推察は完全に正しい。娘がすべてを正直に打ち明けたとして、自分は間違いなく信じなかっただろうし、自殺など断固として止めつづけ、そして第二子、第三子など決して作ろうとはしなかっただろうことは、自分が一番よくわかっている。
愛していたから。
愛娘が好ましい男と添い遂げ、女としてまっとうな幸福を得ることを何よりも望んでいたから。
そして――シャロンが、悲嘆と絶望の中で、自らの死を選んだのだと思い込んだ。
全身の関節を、冷たい無力感が満たしていった。
もう、立ち上がれぬ。
「……ギデオンどの……?」
目の前に、少年がいた。その事実に、ギデオンはようやく意識を向けた。
胸に広がる虚無が、口元を歪めさせた。
「……笑うがいい……滑稽な一人芝居で……亡き娘の願いを無碍にし続けた男が、私だ……」
「立ち止まっている暇はないのでありますよ」
「な、に……?」
少年は、まっすぐと、澄んだ目でこっちを見ている。
「あなたにはまだ、守らなければならない人たちが三人もいるのであります」
「何を、馬鹿な……」
ギデオンは、衰弱して倒れ伏すシャラウ、シャイファ、シャーリィを示した。
「これが結果だ。私はやはり彼女らのそばにいるべきではない」
少年は、幼い柳眉を逆立てた。
「また逃げるのでありますか!?」
ギデオンは、身を震わせた。今や、この小さな子供に完全に気圧されていた。
「亡くなった人を、少しずつ忘れてゆくのは、とてもつらいことだけど、でも、かならずやらなくちゃいけないことなのであります……」
「お前は……喪ったのか。大切な誰かを」
「父と、母と、戦友を大勢と、守らなければならなかった人々すべてを」
目を見開く。そして俯き、眉間を揉み解す。
「教えてくれ。どうすれば、そのように強く在れる。どうすれば、別離の痛みを忘れると言う苦行に耐えられる。どうすれば……どうすれば……」
「それは、ぼくにもわからないのであります。だけど、」
手を握られた。小さく、暖かな感触が広がった。
「痛みは忘れても、温もりは残るであります。今ではそう信じられるから……」
泣き腫らした瞳が、もどかしげに瞬く。もっと伝えたいことがたくさんあるのに、どう言葉にすればいいのかわからず、ただ手を握ることしかできない――そんな思いに満ちた瞳だった。
ギデオンは、嘆息する。
あぁ――なぜ。
この少年は、私の魂まで救おうとしているのだろう。
それはきっと、この少年自身が、苦しくて苦しくて、どうにもならなかったときに、誰かに助けてもらったからからなのだろう。
自分も同じように、誰かの助けになろうと思ったのだ。
その素朴な善良さと真摯さを、もはや嘲ろうという気持ちはなくなっていた。
「……少年」
「はい」
「私はギデオン・ダーバーヴィルズだ。君の名をもう一度教えてくれるか」
「ぼくはフィン・インペトゥスでありますっ!」
「そうか……フィン」
「はい」
「もしかして、私や君は、幸せになってもよいのだろうか?」
フィンの顔に、輝くような笑みが咲いた。
「もちろんでありますよっ!」
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