かいぶつのうまれたひ #7
やがて、敷地面積だけは立派なボロ借家に帰り着いた。
すぐさま妹の部屋に続く襖をズガンと開ける。
そこでは、切りそろえた髪型の小さな女の子が、机に向かって勉強していた。
ゆっくりと椅子が回り、高級ピアノのような輝きをもつ瞳が、こちらを向く。
「うにゃあああぁぁぁぁん! 夢月ちゃあああぁぁぁぁぁん!」
タグトゥマダークは咽びながら自らの妹に泣きついた。
「あらあら、どこの不潔な変質者が入ってきたかと思ったらお兄さまではありませんか。どうかなさいましたか? またディルギスダークさまに苛められましたか? 後で文句を言っておかなければなりませんね。『手ぬる過ぎます。やる気あるんですか?』って」
相変わらずひどいことを言う。
しかし言葉とは裏腹に、突然乱入してきた自分をちゃんと受け止めてそっと撫でてくれるので、本当は優しい子なんだなぁ、こんな可愛い妹がいて僕は幸せだなぁ、と思う。
彼女は、赤い着物を着ている。今時珍しいことこの上ないが、夢月の普段着は着物である。そしてそんなチョイスが恐ろしく良く似合う容姿をしていた。
「それで? どうなさったんです? その頭の肉ヒダはなんですの?」
――肉ヒダって……
いやまぁそうなんだけど。
「あのね、あのね、僕ね、朝起きたらネコ耳が生えてたんだニャン」
「……」
夢月の表情が、急激に冷めてゆく。
「そんでね、そんでね、さっき諏訪原篤をブッ殺しに行ったらね、なんかね、語尾まで変になっちゃったんだニャン」
夢月は無言でタグトゥマダークに背を向ける。
そして机の引き出しに手を入れると、大きなハサミを取り出した。
「切り落としましょう」
「やめてえええぇぇぇぇっ! なんでそうなるニャ!? なんでそうなるニャ!?」
「あら、明白じゃありませんか。その世の中ナメてるとしか思えない軽薄な語尾は、明らかにお兄さまの貧相な頭についている汚らわしい肉ヒダが原因ですわ。ちゃっちゃと切除しちゃいましょう」
「夢月ちゃん! 夢月ちゃん落ち着いて! 落ち着くニャン! 気軽に切除とか切り落とすとか言わないでニャン! 怖いニャン!」
夢月はかすかにため息をついた。
「……わかりました。お兄さまの気持ちも考えず過激な言動に走ってしまいましたわ。反省します」
「う、うん! うん!」
「去勢しましょう」
「言い方の問題じゃニャいんだよ!? しかもさらにひどい言い方だニャン! 最悪のチョイスだニャン!」
重くため息をつく夢月。憂いを秘めた白皙の美貌が、遠くを見る。
「……どうしましょう。どこに埋めましょう」
「夢月ちゃん何を言ってるニャ!?」
「いえ、あまりにわがままでヘタレな身内を持ってしまった我が身を哀れんでちょっとした非合法的計画が頭をよぎっただけですわ。お兄さまにはまったく関係のない事柄ですの」
「明らかに僕に関係あるよね! むしろ僕は中心人物だよねその計画! やめて! 僕そこまでひどいこと言ってないニャン!」
「どうせこんなド田舎ですから天狗の仕業にでもしてしまえば万事解決ですわ」
「とんでもない偏見だニャン!」
その後、わりかしシャレにならない言葉責めを二、三回応酬させたのち、夢月はタグトゥマダークのネコ耳をいじりながら言った。
「ヴェステルダークさまに相談してみましょう」
「え!? あ、うん……えっと……え? なんでだニャ?」
「あの方は最強を誇る《王》の一人。〈BUS〉の特殊な作用については知悉しておられますわ。きっと良い知恵を貸してくださるはず」
「この耳と語尾は〈BUS〉の影響なのかニャ?」
「それ以外になにかありまして?」
「ふむーん」
というわけで、夢月の部屋を出る。
タグトゥマダーク一人で。
ついて来てはくれないのである。
「冷たいニャ~ン……」
夢月はあまり自分の部屋から出てこない。そういうところは奥ゆかしくて超かわいいと思うが、兄の一大事の時ぐらい付き添ってくれてもいいと思う。
「ニャ?」
ふと、自分がハサミを持っていることに気づく。
夢月がネコ耳を切除しようと取り出したハサミだ。
「なんで僕が持ってるんだニャ?」
よくわからなかったが、多分無意識のうちに奪い取っていたのだろう。
夢月に持たせておくとなんか怖いし。
タグトゥマダークはハサミをとりあえずポケットに突っ込むと、ボロ借家の中心部に位置する居間へと足を運んだ。ヴェステルダークは普段そこで仕事をしている。
「……差し入れでも用意するかニャン」
途中で思い直し、台所へと立ち寄ることにした。
●
「ブリリアント☆おやつタイム、はっじまっるニャ~ン!」
緑茶と大福をお盆に載せて、タグトゥマダークは居間に入っていった。
……とりあえず、ご機嫌を取っておけば相談しやすくなるかと思ったのであるが、内心ドキドキである。
居間には、ボロっちいちゃぶ台と丸みを帯びたテレビが置かれていた。黒のスーツをきっちりと着こなした男が、ちゃぶ台に肘を突きながら唸っている。
ヴェステルダーク。
この町に滞在する十二傑たちのリーダー。
いつもは自信と機知にあふれた数学教師っぽい風貌だが、今は何やらお疲れのご様子だった。ちゃぶ台の上には、タブレット端末が立て掛けられ、キーボードの後ろに鎮座していた。画面にはここ朱鷺沢町と近郊の地図が表示されており、縦横に赤い線が書き込まれている。その周りには、何らかのデータと計算式が書き込まれたノートが数冊ほど散乱していた。
ヴェステルダークは一瞬こちらに視線をめぐらせたのち、特に何事もなかったかのよう眼を戻した。
「《楔》が、見つからないのかもな……」
――うわノーリアクションだよこの人!
明らかにネコ耳も見えていたはずなのに。
なんか、人間としての格の違いを感じる。
「お、お疲れですニャン? 《楔》の探索はやっぱ難しいですかニャン?」
「〈BUS〉の流れが読めないのかもな。二ヶ月ぶっ続けで地脈を走査したにも関わらず《楔》の位置を特定できないのかもな……」
そして、憂いに満ちた表情で天井を仰ぎ、
「もらうのかもな」
ぽつりとつぶやいた。
「あ、は、はい」
慌てて大福と緑茶をちゃぶ台に並べる。