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描くべき「絆イベント」と省略すべき「絆イベント」の見分けかた

 本垢ではえらい久々の記事になるが、昨日ふと創作に関する重要な知見を得たような気がするので記しておく。

 一般的に物語はテンポよく進み、かつ起伏に富んでいた方が面白いと言われている。俺もこれには同意する。なくてもいい無駄なシーンはどんどんカットすべきである。創作者とは、何を書いたかではなく、何を削ったかが真に問われる人種なのだ。

 だが自作を読み返して思う。

 何をカットすりゃいいんだ……?

 大真面目に言いますが俺は自作のどこを読み返しても最強に面白いとしか感じないので、「削るべき不要なシーン」など存在しないように思えるのである。

 すべてのシーンにちゃんと意図が存在している。因果関係の連なりを素直にわかりやすく書こうと考えた時、必要と思われるシーンしか書いていない。いきなり全然関係ない場所の、全然関係ない人々の、全然関係ない行動を描いたりはしない。バーフバリがデーヴァセーナ姫と出会った次のシーンでディカプリオが株価を操作してメイクマネーしたりはしない。当たり前のことだ。

 だが……noteである程度長い小説を連載していると……途中脱落させてしまった人々の名が……残酷に作者にも詳らかとなる。

 おぉ……なぜ……何故なのです……

 しかし聞くことはできない。「なんで読むのをやめたんですか?」という質問自体があまりにも攻撃的すぎる。俺は彼らを怒らせたいわけでも傷つけたいわけでもないのだ。

 こうして文句を言うこともなく奥ゆかしく離脱していった諸氏を、俺は何故つなぎ止めることができなかったのか。その理由を俺はどうしても知りたい。さもなくば成長はあり得ない。だが、聞き出す手段がない。

 ないのでは仕方がない。考えるしかない。

 『「感情」から書く脚本術』にて、非常に耳に痛い一文があった。

 えーと、正確には覚えてないんだけど、なんかね、「ダルい脚本を書く奴に「なんでこのシーン書いたの?」って聞いたら、だいたいどいつも「キャラ間の絆を深めるため」みたいなことを言う」ていうね、ことがね、書いてあったんだよ。

 とはいえこれは俺がどうしても知りたい「読むのをやめさせてしまった理由」と、おそらく無関係ではないような気がするのだ。

 だがここで疑問が生じる。

 絆イベントがダルいのはわかった。しかし絆イベントを完全に作劇から排除することはできないだろう。もしそうであるならこの世から絆イベントは残らず駆逐されているはずだ。

 必要な絆イベントと、不必要な絆イベントがあるのだ。

 だが、その違いとは何だ。

 『「感情」から書く脚本術』では、この二つの違いをはっきりとは教えてくれなかった。

 ゆえに、俺は長いこと省略すべきシーンの選定基準を掴むことができず、頭を抱えることしかできなかった。

 だが今、どうやらその真理にかすっていると思われる知見が、昨日不意に俺の脳髄に降臨してきたのである。

 要不要を分けるのは、絆グラフが直線を示しているか、曲線を示しているか、ということなのではないだろうか。

 絆グラフって何よ。

 つまりこういうのだよ。

【悲報】バール氏、書道の才能まで開花してしまう

 絆レベルを示すグラフが直線状に推移している場合である。

 このドラマは三つのシーンで構成されているとしよう。シーンAで仲良くなり、シーンBでさらに仲良くなり、シーンCでめっちゃ仲良くなるわけだ。

 さてこの三つのシーンのうち、削るべきはどこになるか。

 シーンBである。

 AとCさえあれば、読者は「途中なんやかんやあって仲良くなったんだな」と脳内補完してくれる。なぜならこのドラマは順調で予測可能な推移を示しており、読者の脳内補完はほぼ正しい予測となるからだ。

 人間は、最初と最後のシーンだけを見せられても、その過程で何が起こったのかを脳内で補う本能がある。これは完全に無意識のうちに行われるため、読者の負担にはならない。

 この脳内補完能力を最大限活用すべきである。

 出会って、仲良くなって、恋仲に発展し、何年か付き合い、結婚した、みたなドラマは、もう「出会った。結婚した」でいいのである。何も問題はない。これは色恋沙汰だけではなく、憎悪や殺意でも同じことが言える。

 では逆に、描くべき絆イベントとは何か。それは絆グラフが曲線を描く場合である。

 このようなドラマの場合、シーンBは省略すべきではないどころか最も重要な、高解像度で描くべきシーンとなる。

 また逆に、

 このようなドラマであってもシーンBは極めて重要であろう。これを省略するなんてとんでもない。

 曲線を描くドラマは、読者の無意識の脳内補完にまったく頼るわけにはいかないため、きちんと描く必要がある。

 というか、本来描くに値するドラマなど曲線パターンだけである。

 「んー、最終的に恋仲になるんだから、三つぐらい仲良くなるイベントとか入れたいよね」みたいなことを考えていると、その物語は多分ダルくなる

 ただ、直線状の感情推移を示しているがゆえに、構成上は省略すべき絆イベントがあったとしても、そのシーンが単体でコンテンツとなりうるほど魅力的なものであった場合、やはり判断に迷う。

 というか『シロガネ⇔ストラグル』はそういう「単体でコンテンツとして成立しうる魅力的な絆イベント」を目指していたはずである。

 くそ、やっぱわからねえな。

 諸氏の意見はどうか!!

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