凶獣よ、故郷に帰れ
「な……!」
シャイファは瞠目する。その戦技。突きのような動きだが、その実斬撃である。両肩が高く盛り上がった甲冑を好むオークを、正面から一瞬で斬首してのける絶技。オブスキュア貴族が洗練させた対魔剣術の極地であり、これをものにしているエルフをシャイファは一人しか知らない。
そのまま不浄なる瘴気が剣を伝ってオークの肉体へと流れ込んでゆく。
暗緑の肉体が不随意な痙攣を起こす。
「が……カ……」
「最初からこうしなかったのは、これでもお前には敬意を払っていたからだ。信条としては相容れぬが、ヴォルダガッダ・ヴァズダガメスの在り方は輝いて見えた。私もお前のように、ひたむきに生きれていればな……羨ましかったものだよ。その輝きを摘み取るのはどうにも躊躇われた。私も甘いことだ」
巨体から生気が抜け、代わりになにかもっとおぞましいモノへと作り替えられてゆく。
ぎちぎちと。みちみちと。不気味な音がオークの全身から鳴り響く。皮膚の下を無数の蟲が這いずり回っているかのように肉が蠢く。
膿疱が次々と膨らんでは弾けて汚らしい汁を垂れ流し、いつしか元の皮膚は見えなくなっていった。
「――オブスキュア王国には、オークと〈虫〉に代わる新たな脅威が必要だ。適切な威力の脅威が」
掲げた手の平に、オークの首級が落ちてきた。たちまち顔の肉が腐り落ち、しゃれこうべとなる。
そして、幽鬼王は肩越しにシャイファを振り返った。
「……生きあがくことだ。自らと民を守るための方策を、固定概念を捨てて探せ。お前たちが自ら選び取らねばならない」
「な、なにを……」
仮面のバイザーから覗く眼光に、どこか複雑な色があった。
次の瞬間、不浄の幻炎を残してその姿が消失。
直後、混沌飛竜の頭上に出現した。全体重を乗せて、脳天に魔剣の切っ先をねじ込む。
醜怪な絶叫が轟き渡り、巨竜は首を振り立てて抵抗。しかし幽鬼王が瘴気を流し込み続けるうちに、その勢いは弱まっていった。やがて鱗の下で肉が沸騰するかのように蠢き始める。血管の浮き出た翼も、不快な斑模様が浮き上がった。
浸食されている。アンデッド化しているのだ。
そのおぞましい光景から目をそらしたシャイファは、すぐそばに立つオークの王の姿を改めて目の当たりにして総毛だった。
ただ、立っていた。両腕をだらりと下げ、呼吸もせず、ただただ突っ立っていた。首をなくした事実を気にも留めず、そもそも気づいてすらいないような。その両手に握られた紅い神統器が、溶けるように姿を消した。もはやそこにオークの勇者の魂は宿らず、ただの動く屍であった。
絶叫を上げ、殺意に満ちて暴れ回っていた生前よりも、それは恐怖を呼び起こす佇まいだった。
この聖域の森に、アンデッドなんかがいる。
その事実に怒りを覚え、放心状態から復帰する。
――いつまでも怖がってないで、動けっ! あたしっ!
両頬を叩いて自らを叱咤し、立ち上がった。今は主人からの指示がないので動かないが、恐らく攻撃に対しては自動的に反応する。触らぬ神に祟りなしだ。すらりとした筋肉のついた両肢が躍動し、シャイファの体を一瞬でトップスピードに加速させる。短時間なら樹精鹿にも匹敵する健脚だ。
「じぃや、大丈夫!?」
アンデッドオークの脇を抜けて、倒れ伏すケリオスのもとに駆け寄る。
「う、む……殿下……?」
見たところ、魔導甲冑が破損しているだけだ。外傷はない。打撲であろう。
騎士は身を起こそうとして、顔をしかめた。
「骨がいくつかやられておりますな。やれやれ、ここが死に場所のようで」
「馬鹿なこと言ってないでこの場は退くわよっ!」
「あいだだだだ、殿下、年寄りに対する労りの心が足りませんぞ……!」
肩を貸して強引に立ち上がらせる。他の騎士たちの様子も確かめなくては。今でこそオークどもは予想外の成り行きと、指導者を喪った事実に呆然としているが、またいつ自らの殺戮欲求を思い出すかわかったものではないのだ。急がなくては。
と、そこで二人は目を丸くする。
……不可解な虐殺が起こっていた。
幽鬼王が現れては消えてを繰り返し、オークどもに斬りつけていた。そのすべてがオークの急所を的確に貫く精密無比な剣舞だ。
芸術的、とも、神がかり的、とも言える、対オーク戦技。緑の悪鬼の身体構造に対する深い知識がなくばあり得ない動きだった。
「あれは……あの技は……」
ケリオスが、細かく震えている。呆然と、眺めている。
その気持ちはシャイファも痛いほどわかったが、しかし同意したくはなかった。すれば、それが本当になってしまいそうな気がして。
震える唇を噛みしめる。
見ると、急所を貫かれたオークたちが、次々と立ち上がり始めていた。その眼はどんよりと濁り、動きに生気が感じられない。
そして、粗雑な武器を捨て、牙を剥き出し、まだ生きている仲間たちに襲い掛かった。
凄惨な殺し合いが始まった。生きているオークが戦斧を叩き込んでも、アンデッドオークたちは意に介さず噛みつきにかかる。そして噛まれたオークもまたアンデッドと化し、乗算式に増えてゆく。
第三都市ヘリテージに集結したすべてのオークが生命活動を停止するまでに、さほどの時間はかからなかった。
奇妙なことに、アンデッドオークたちはエルフ騎士には目もくれなかった。唸りも、吠えもせず、ぞっとするほど静かに歩み始める。
数千頭のすべてが、一斉に。
個々の意志などまるで感じない、一つの生物のようなありさまだった。
「ゆけ、亡者ども。〈聖樹の大門〉へ」
魔剣で空を斬り裂き、ヘリテージの本尊、神聖なる巨樹を指し示す。
こちらもオススメ!