吐血潮流 #21 完
「――暗闇の中に、三つの影があった。彼らは息を潜めながら、ベンチに座っている諏訪原篤と霧沙希藍浬の姿を監視している」
「やはり、あの少女――霧沙希藍浬は本物なのかもな」
「――中心に佇む男がぽつりと言った。闇の中に溶け込むかのような黒のスーツと、適度に散らしたオールバックの髪型、引き締まった長身痩躯など、研ぎ澄まされた日本刀のごとき印象をまとう男であった」
「そうみたいですねー。でもよかったなぁ。射美ちゃんが無事で」
「――その左で、ずいぶん年若い青年が微笑んでいる。同じく黒のスーツ姿であったが、着こなしはかなりだらしない。頭にタンポポが咲いていそうな弛緩した笑みも、軟弱な印象を助長している」
「セラキトハートの心臓部に埋め込んだ〈BUS〉整流機構を、直接触れずに修復したあの力こそ、皇停の担い手たる証に違いないのかもな。《絶楔計画》を第三段階へとシフトする……『俺たちの戦いはこれからだ! 第二部・完!』というやつかもな」
「たまには断言してくださいよ……不安になってきますって」
「――青年の主張などどこ吹く風で、中央の男は踵を返した。奇妙な語尾とは裏腹に、一片の迷いもない確固とした足取りであった」
「あのー、自分の描写はしないんですか? ディルギスダークさん」
「――青年は誰に向けて言ったのかよくわからないことをつぶやいた。青年の視線の先には誰もいない。独り言だろう」
「いやいや、いますよね。そこに。普通に」
「――また独り言だった。相変わらず青年は誰もいない闇の一角を見据えて喋っている。不可解というほかない」
「いや、あの、ていうか最初『暗闇の中に三つの影があった』って言ってたじゃないですか」
「――青年の独り言は続く。その空虚な言葉に答えるものはいなかった。幻覚でも見ているのだろうか。精神的な病の可能性があった」
「ひどっ!? 僕のトキメキ☆ナイーヴハートはもう再起不能です! 死にたい! 死のう!」
「――突如そう叫ぶと、彼はポケットからカッターナイフを取り出し、無数の躊躇い傷が走る自らの手首にあてがった」
「死にます! 死んじゃいます! し、死ぬ! 死ぬよ!?」
「――誰もいない暗闇に向けて、彼は一人騒ぎ立てた。しかし誰一人その声に応える者はいない。彼を止める者もいない。それはまるで彼の前途を暗示しているかのようであった。青年は寄る辺とてない闇黒の深淵で、誰にも看取られることのないまま死ぬのだ」
「う、うわあああああああん!」
「貴様ら遊んでないでさっさと帰るのかもな」
●
翌日。
学校は普通にあった。破壊されたはずの図書室は、以前とまったく変わらない様子でそこにあった。
グランドやフェンスも元通りであり、そこで戦闘があったことを示す証拠は何も残っていない。
『神樹災害基金』が擁する特殊操作系バス停使いの仕業なのだろう。これが『基金』のやり方だ。目撃者を捕えて忘れろとがなるより、「何事もない平凡な日常」という幻想を完璧に裏付けてやるほうが効果的なのだ。
諏訪原篤は、学校の屋上で昼食がてら攻牙、謦司郎、藍浬の三人に、ことのあらましを説明していた。
「つつつっつつつまりあのあれか! バス停は実は地脈のエネルギーを制御するための装置でその力を使ってなんかとんでもないことを企んでいる悪の秘密結社がいてなんかこうドンパチやっていうっていうのかよオイオイすげええええぇぇぇぇぇよオイマジかよ!!」
攻牙はもう有頂天を衝くとかそんな合成言葉を使いたくなるほどの興奮ぶりであった。ちょっとは落ち着け。
「でもいいのかい? 僕たちにそんなこと話して」
謦司郎は相変わらず篤の背後から出てこない。
「確かに、あまり褒められたことではないかもしれん。少なくとも『基金』の者たちはいい顔をしないだろうな」
ずび、と茶を一口すする篤。
「だがお前たちはすでにバス停の力の一端に触れてしまった。ここで忘れろなどといっても納得はしないだろう」
「そりゃそーだぜへっへっへ」
「そして、襲撃は今後も続くものと予想される。ならばむしろ積極的に事態の情報を開示し、自衛策を講じてもらったほうがまだ安全である」
「うーん、どこか別の場所に逃げるっていうのはダメなの?」
藍浬が困った顔をする。
「うむ、それもひとつの手だろう。だが霧沙希、お前に限っては逃げても無意味である可能性が高い」
「鋼原さんが、わたしを狙っていたから?」
「そうだ。あれが鋼原射美の独断でもない限り、敵組織の狙いはお前と見て間違いない」
「うーん、鋼原さんみたいなコならいいけど、もっと怖い人に襲われたら困ってしまうわね」
あんまり危機感の感じられない様子である。
「そこで、こんなものを用意した」
篤は自分の鞄に手を突っ込み、長方形の弁当箱っぽい機械を四つ取り出した。
「これはナーウかつハイカラな言葉でケータイデンワというものだ。離れた人間とも会話ができるという驚くべき」
「トランシーバーじゃねえかぁぁぁぁぁぁッ!」
「……うむ、そうともいう。これで相互に連絡を取り合い、」
「どっからこんな前世紀の遺物を発掘してきやがったんだバカヤロウ! お前がスマホ買えば済むことだろどれだけ思考が時代遅れなんだよ!」
「むぅ、俺はあの小さくて薄い装甲がどうも好きになれん。あんな有様では拳銃弾の貫徹すら許してしまうぞ」
「携帯電話をなんだと思ってるんだーッ!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ攻牙と篤の後ろで、ひそやかに交わされる会話があった。
「霧沙希センパイ~こんにちはでごわす♪」
「あらこんにちは。体の調子はどう? なんともない?」
「ご心配にはおよばないでごわす♪ 射美は堅甲遊猟児でごわす♪」
チャチャブーの亜種かなんかですか?
「射美もお昼ごはんご一緒していーでごわすか?」
「ふふ、もちろんよ。鋼原さんはお弁当派?」
「お弁当でごわす~毎朝タグっちが精魂込めて作ってくれるでごわす~」
鼻歌まじりに楕円形の弁当箱を取り出していると、攻牙と篤が射美の存在に気づいた。
「っておいィィィィィィ! なに自然な感じに混ざってんだよお前は! 何しに来やがった!」
「スパイ活動でごわす♪」
「えええええ!?」
「きのうはヴェっさんに怒られちゃったでごわす~もっと相手を見てから仕掛けろって言われたでごわす~」
アスパラガスのベーコン巻きを幸せそぉ~にかじりながら、射美は言葉を続ける。
「だから敵情テーサツでごわす♪ これからセンパイがたの弱点とか隙とか裏も表もセキララに探るつもりでごわす♪ 覚悟しやがれでごわす♪ ……あ、諏訪原センパイのタコさんウィンナーかわいいでごわす~」
「うむ、我が妹の手による造形だ。……前々から思っていたのだがこれをタコと言っていいのだろうか? 触手の本数や口腔の位置が生物学的に不正確な形態ではあるまいか?」
「細かいこと気にしちゃダメでごわすよ~いい妹ちゃんでごわす~」
「うぅむ……」
篤が己の弁当箱を凝視して思索にふけっている間、射美の背後に黒い風が蟠った。耳元で異様な熱を孕んだテノールが囁かれる。
「ところで、タコさんウィンナーって卑猥な形をしてるよね……」
「ひぃぃ!?」
悲鳴をあげて藍浬の後ろに隠れる射美。
「き、ききき昨日のヘンタイさん!」
カチカチ歯を鳴らして汗を垂らしている。
「もう、闇灯くん、鋼原さんになにしたの?」
じとーっと謦司郎をにらむ藍浬。
「ははは、やましいことなんてなんにもしてないさ。ちょっと力の込もった挨拶をしただけで」
風を巻き込む勢いで首を振りまくる射美。
「おい篤……篤! いいのかよアレ! スパイって自分でいってるぞオイ」
藍浬によしよしと撫でられて、「うにぃ」力が抜けている射美を指差しながら、攻牙は篤の袖を引っ張った。
「む……」
篤は顔を挙げてその情景を見ると、
「うむ」
重々しく頷いた。
そして言った。
「仲良きことは美しき哉」
「えぇー……」
【第二部 吐血潮流 完】