絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #52
極めてまずい状況だった。
現在、絶罪支援機動ユニットは慣性中立化罪業場に包まれている。
慣性中立化、つまり見かけの質量がゼロになっているに等しい状況である。このような環境では、銃機勁道の功夫を正常に発揮することはできない。仮にできたとしても、あの不可解な無敵性を持つ青年に対して何をどうすれば脅威を振り払ったことになるのか。
アーカロトは即座にゼグの腕を掴むと、壁虎功で巨大胎児に張り付いた。
そして、絶罪支援機動ユニットにバレルロールを命令する。
……何も起こらない。
《異常事態発生/機動不能/原因不明/神経系/駆動系/制御系/構造系/すべて異常なし》
「なに!?」
混乱する。こめかみを冷たい汗が伝う。
青年は、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「あいつは本物じゃない。しばらく待ってりゃ消えるはずだ!」
「なんだって?」
「さっき死んだクロロディスとかいうオッサンが言ってたんだよ。よくわからんが、あいつはこの世のどんな力にも影響を受けないらしい」
何を言っているのかわからない。
この世のどんな力にも影響を受けない?
それはおかしいだろう。現に今、彼は巨大胎児の上に直立している。重力相互作用の影響を受けている証である――
などという益体もない考察は、視界が陰った事実によって中断される。
闇色の艶やかな幻炎を纏った手が、アーカロトを無造作につかみ取らんと伸びてくる。
ぬるり、と。
戦慄する。これまで、速い攻撃や遅い攻撃などいくらでも受けてきたし、〈彼ら〉の確率波侵犯触肢にすら対処してきたが、速いのか遅いのかわからない攻撃など初めてだった。
焦点が合わない。呼吸が読めない。攻撃動作が今どの程度完了しているのかが掴めない。
化勁のタイミングが、掴めない。
「がッ……ぐ……ッ」
「ジジィ!!」
何の抵抗もできず、頸椎を掴まれた。持ち上げられる。
視界が黒い炎に嘗め尽くされたかに思えた瞬間――奇妙な感覚が全身を走った。
水中に没したような、何かまったく異なる環境に入り込んだ瞬間の、微妙な感覚の違和感。
視界が暗み、何も見えなくなる。
完全なる闇に閉ざされる。
――これは!?
何か想像を絶する事態が発生している。
猛烈な危機感に突き動かされ、とにかく抵抗しようと体に力を込め――しかし猛烈な抵抗によって阻まれる。
まるで深海の超水圧に包まれたかのようだった。身動きができない。指一本動かせない。ただ、頸椎に食い込むジアドの指の、世界すべてを凝縮したかのような圧倒的絶対的質量だけが無限の存在圧を湛えながらただそこにあった。
それだけが、アーカロトの実感するすべてであった。
――アンタゴニアス、何が起こっている!?
その声も、実際には発せられることなく、ただ思考の中で渦巻いただけに終わった。
●
事実だけを言うなら――ジアドの罪業場に囚われたアーカロトは、主観時間を超加速させられていた。
加速度はあまりに速く、網膜に触れる可視光線は愚か、紫外線すら波長が長すぎて見えなくなってしまい、視界は完全なる闇に包まれる。
周囲の大気は通常の時間のまま振舞うため、全身が固体の中に埋まっているかのように身じろぎ一つできない。
その状態のまま――アーカロトは数千年の主観時間を過ごすことになる。
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