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責務 規律 命令 献身
フィン・インペトゥスは、そわそわと落ち着かない心持でいた。
〈アンガラ〉以外の戦術妖精たちは、方々に散らばって哨戒している。オークが近づいてくればすぐに知らせてくれるだろう。
――不遜な心配をしていることはわかっている。
烈火と総十郎がオークたちの群れに飛び込んでから見せた、両者の圧倒的な実力は、完全にフィンの度肝を抜いた。
殲将クラスのカイン人にも伍するほどの神速の体捌きと武技を振るった総十郎。加えて彼の佩刀は、物質を透過し対象の内臓器官だけを斬り裂く防御不可能の兵装のようだ。その実力は、フィンが元の世界で目にしたいかなる存在よりも上である。
だが――彼の戦闘能力に関しては、一応ぎりぎりで理解可能な範疇ではあった。
黒神烈火の強さは、もはや完全に意味不明である。常識はおろか、物理法則すら平然と無視しているようにしか思えない。何をどうすれば人間があそこまで強くなるのか、その理屈を想像することすらできない域にあった。ちょう食べてちょう動けばあんなに強くなれるのか。人間ってすごいなぁ。
だが、それでも。
アバツ・インペトゥスの最期が、頭をちらついて離れない。
あの二人なら絶対に大丈夫だと頭ではわかっているのだが、それでも何か想定外のことが起こり、命を散らしてしまうのではないか。
非合理的な強迫観念。自分が好きになった人たちは、みんな死んでしまうのではないか。
そんなことになるくらいなら、またあんな思いをするくらいなら。
――自分がみんなの盾になって死んだ方がましだ。
強く強く、そう思った。それが当然の振る舞いである。どれほど強くとも、あの二人は民間人。筋道の問題として、彼らを保護する義務が、フィンにはあるはずだった。それが正義と責務に殉ずる軍人として正しき在り方だ。
だから、次からは自分が前に出よう。あの二人にはシャーリィ殿下の護衛をしてもらおう。
そう決意を固めていると、くいくい、と袖を引っ張られた。
「? どうされたでありますか? シャーリィ殿下」
振り向いた瞬間、ぽふん、と両の頬が布に包まれた。
「ふあ?」
そのままごしごしと擦られる。幻想的な碧眼を向けられて、一瞬見惚れるように呆けたフィンだったが、オークの返り血を拭きとってくれているのだと気づいたとき、やや慌てた。
「わわ、服が汚れてしまうであります」
思わず頭を後ろに引こうとするが、後頭部を掴まれて阻止される。そしてまたごしごし。
返り血を拭っているものが、彼女の上腕の中ほどから伸びる分離タイプの袖だということに気づき、さらに慌てる。
「あわわ、殿下……」
横でリーネもおろおろと両手をかくように動かしている。そのようなこといけません、と言いかけて、あれそれは良く考えたらフィンどのへの侮辱になってしまうのではと思い直し、言葉がつづかないのだろう。非常にわかりやすい人だ。
やがて、ほっぺの汚れを拭きとれたのか、シャーリィは満足そうにニッコリする。
「あ、あの、どうせまたオークの血で汚れるであります。過分なお心遣いであります」
とフィンが言うと、ぷくー、と頬を膨らませてジト目で睨んでくる。
袖から腕を引き抜いて丁寧に畳むと、後ろ手でリーネに渡す。
「え、あ、はい」
そしてフィンの腕をつかむと、歩きながら引っ張っていゆく。
出っ張った木の根っこまで進むと、シャーリィはそこに腰をおろし、ぽんぽんと自らの膝を叩いた。
「えっ、いや、あの……」
困惑するフィンに、シャーリィは口を開く。
――すわりなさい。
声が聞こえたわけではない。だが、フィンは背筋をぴん、と伸ばし、
「りょ、了解であります」
条件反射じみた速さで彼女の膝に腰を落ち着けた。思わず従ってしまう威厳が、彼女の仕草には宿っていた。
それはなんか、どうなのよ、という常識的判断が介入してくる前に、自然と体が動いていたのだ。
すぐに後ろから腕が伸びてきて、フィンの小さな体が抱き寄せられた。
思わず緊張に身を固くするフィン。
――フィンくん。
耳元で囁かれる。
「ひゃいっ?」
――張り詰めすぎ。
「え……」
――守られるのは、嫌?
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