樹精都市
都市、という言葉からは想像もつかない光景が、フィンの目の前に広がっていた。
一見すると、今までの大森林と変わらぬように見える。人の手による建造物などひとつも建っておらず、相変わらず巨木が生い茂り、翡翠色の淡い光が柔らかく降り注いでいた。
だが、よく目を凝らすと、他の場所とは異なり、足元の地面には細い根が緊密に絡み合って道を形作っている。木の根が、まるで意思をもって作られたがごとく、人が歩きやすいよう道を成しているのだ。それらが方々に伸びる先には巨樹が聳え立ち、根元には人が通るに丁度良い縦長の洞が口を開けていた。その奥には、人が暮らしていることを感じさせる明かりや、廊下とおぼしき通路まで見える。
「これは……」
背後で、総十郎が感嘆の息を漏らした。
フィンも同感である。
「樹が、家の形に成長してゐる……?」
奇妙な眺めであった。
根元から上を見ていけば、巨樹の幹のところどころに採光用とおぼしき窓がある。樹液が固まってできた透明な部分と、硬い樹皮の部分が複雑に絡まり合い、天然のステンドグラスを作り上げていた。
故郷の世界のアルコロジー内部の摩天楼に、形だけはとても似ている。だが受ける印象はまったく違った。
すべてが苔むしていた。ところどころに結晶質の花が咲き、彩りに変化をつけている。細い根が絡み合って形成された街路は、あたかも緻密で繊細なレリーフにも似た美しさを湛えていた。
わくわくする不思議な街並みだ。フィンは今すぐ駈け出して木々の内部を探検したい気持ちでいっぱいになった。
でもこれらはエルフの人々の家に違いなく、勝手に入るのはいけないことだと、生真面目に自制した。
「森の好意によって、住居はひとりでに育ってゆきます。これもまた、古の聖約に基づく加護の一端です」
「はぇー、ファンタジーだなぁオイ」
「欧州の童話もかくや、といった風情であるな。」
「でも、オークの姿が見当たらないであります。都市を包囲していたのでは?」
「恐らく、オンディーナの民は樹上庭園に避難しているのでしょう。オークどもはそこへと通ずる螺旋階段に攻め寄せていると思います」
「よろしい、ならばさっそく向かうとしよう。」
瞬間、濁った絶叫が轟き渡った。
見ると、数十体のオークの群れが、足元の精緻な回廊を踏み荒らしつつ猛然と突進してきていた。
「おーおー、おいでなすったぜぇ?」
烈火が太い笑みを浮かべ、指の関節を鳴らした。
総十郎もクレイスから地面へひらりと降り立った。霊符を打ち振るい、刀に戻す。
だが――
いつの間にかフィンがその場から消えていることに、その瞬間誰も気づいていなかった。
●
シャーリィ・ジュード・オブスキュアは、自らが召喚した三人の英雄について、おおよそ望みうる最高の援軍であると確信していた。
実力・人品ともに信頼に値する。
特にレッカくんの冗談みたいな強さは、畏敬の念すら覚えるものだった。直接目にしたわけではないが、数十体のオークを瞬時に、しかも素手で一掃したのだ。彼が本気になれば、きっと天変地異めいた現象すら引き起こしてしまうことだろう。一方で、良くも悪くも素直で正直な人柄がかわいらしい。手が届くなら頭をナデナデしたい。あと躊躇なく筋肉触らせてくれるのもいい。とてもいい
ソーチャンさまも、リーネがあそこまで信を置くのだから相当なものだろう。悠然たる立ち振る舞いは過剰ではない自然な自信に満ちているし、一瞬で服一式を取り出したあの技だけでも彼が常識はずれな力を秘めていることは容易に察せる。何より、厳しくて、優しい人なのだ。彼に言われたことは、シャーリィの中でもいずれ必ず何らかの答えを出すべき問題として胸の中にとどめている。
そして――フィンくん。
殺しても死ななそうな他の二人とは異なり、どこか、ほっておけない気持ちにさせる少年。よく動く大きな目と、ほわほわしたほっぺがかわいい小さな男の子。レッカくんが触っても怒らない大型獣的なかわいさだとすると、彼は親からはぐれ、雨に濡れた仔犬のように思えた。もちろん、実力は疑っていない。シャーリィがたとえ一万人いようと、彼を取り押さえることはできないだろう。
だけど……そうじゃないのだ。守らなくちゃいけない、と、強く思うのだ。
何から? わからない。
だけど彼は、ほうっておいたら儚く消えてしまいそうに思えた。ぎゅっと抱きしめていないと、涙をひとつこぼして、朝露のように消えてしまいそうな気がするのだ。
だから、彼のことはずっと見ていようと、そう決めたのだ――
ゆえに、気付いたのはシャーリィが最初だった。
そのぼんやりと光る碧眼は、迫りくるオークの群れの中央に、小柄な影が着地したのを捉えた。
――フィンくん!?
眼を見開く。
異界の英雄。オブスキュアの未来を託す三人のますらおの一人。黒地で丈の長い軍服が、なんだか似合ってなくて、彼の仔犬めいた雰囲気をむしろ浮き彫りにしていた。
だけど――膝をついて着地した今の彼の目は、何かを抑え込んだような色があった。ぱっちりしていた目が鋭く尖り、どこか酷薄な風情すら漂わせている。
「――〈太陽はその父にして月はその母、風はそを己が胎内に宿し、大地はその乳母。万象の意志はそこにあり〉――」
詠唱。文言にまったく聞き覚えはなく、異界の術式であることが窺える。
周囲のオークたちは、いきなり現れた闖入者に気づき、一斉に威嚇を放つ。戦斧が振り上げられた。
「――白銀錬成・斬伐霊光」
前に差し伸ばされた小さな手に光の文字が浮かび上がり――次の瞬間、すべてのオークの体に痙攣が走った。得物を振り下ろそうとする動きが唐突に止まる。
よくよく目を凝らすと、彼の開かれた五指からほとんど見えないほど細い糸が全方位に放射されていた。光の加減で見え隠れする銀の線に緩みはなく、ぴんと張り詰めていることがわかる。
シャーリィも一度見た。怪力のオークをも縛り上げる、極細の糸。
魔法――ではない。魔法の領分は破壊と変容だ。何かを創造する魔法など聞いたこともない。
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