絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #19
ギド婆のアジトの一角。こじんまりとした個室のドアを開け、足を踏み入れる。
見ると、薄暗い部屋の隅で、上物のドレスを纏った幼い子供が膝を抱え、静かにべそをかいていた。
こちらに気づき、身を縮こまらせている。明らかに怯えていた。
「……あなたは部屋の外で待機」
肩越しに、老婆を牽制する。
「はいはい、さっさと話を付けてくんな。ウチはただの電池なんか即売っぱらうことにしてるからねぇ! 邪魔だからねぇ!」
「黙って去ってくれ。邪魔だから」
嘲笑を浮かべながら去ってゆくギドを見送ることもなく、アーカロトは部屋に入った。
扉は開けたままにしておく。
――さて。
ここまで来て、ふと言葉に詰まる。思えば怯える子供をあやした経験などない。アーカロトの人生は実験と、戦いと、休眠だけで構成されていた。〈彼ら〉との終わりなき死闘は、アーカロトの心から柔らかさや温かみを確実に奪っていた。家族などいないし、いたこともない。友達などいないし、いたこともない。
ぽろぽろと透明な雫をこぼしながらこちらをうかがう子供に、なんと声をかけたものか。青き血脈とは是非とも友好的な関係を結びたいものである。
だが――大人とは違い、子供は理性的な話し合いなどほとんど不可能だろう。どこかで相手に共感し、寄り添ってやる必要がある。
ゆっくりと歩み寄る。
びくりと震えて、さらに小さく縮こまる。
このあたりが距離限界か。
アーカロトはその場に膝を下ろし、正座した。
――考えてみれば。
自分は人間関係が絶望的だったが、暗い目の男はそうではなかったはずだ。乙零式機動牢獄を着装した実子と、最初から殺し合う関係だったわけではあるまい。親子のやり取り、というものを学ぶ必要を、アーカロトは強く感じた。
《アンタゴニアス。僕らの導き手の記憶の中で、彼が自らの家族とコミュニケーションをとった際のものをいくつか送ってくれ》
《了解。ランダムに選定して送信する》
そして――いくつかの情景を、一瞬で体感する。
かつてあった、ある家族の肖像を。
恐る恐る伸ばした指先を、小さな手が握ってくるさまを。
消灯時間を大幅に過ぎても泣き止まず、困り果てたさまを。
肩車をしてやり、きゃいきゃいと笑うさまを。
五歳になり、もう笑顔を浮かべてはいけないのだと諭す際の、胸の痛みを。
幼年学府でいじめられて、泣きながら帰ってきたのを、気の利いた言葉の一つも言えず、一緒にうなだれるしかなかったやるせなさを。
手の中に、確かにあったはずの、宝石のような触れ合いの記憶を。
【続く】
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