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絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #59

  目次

 それは赤ん坊と芋虫のあいのこのような姿をし、闇色の節足を視認できない速度で動かし、人類に対し徹底的な虐殺の挙に出た。
 月世界における「現実感を保った意識」の割合は低下の一途をたどっており、それを補うために強制的に新入りを収穫しはじめたのだ。
 当然、生者たちは全力でこれに抵抗。だが、贖罪神機はあまりにも既存の兵器から逸脱していた。火力も装甲も機動力も、何もかも鈍重な戦車や小回りの利かない航空機などとは比較にならない域にあった。そして周囲の人類の精神を汚染し、錯乱からの同士討ちを攻撃手段として最も好んだ。何よりまずいのが、彼らに「攻勢限界点」などという概念が存在しないことだ。贖罪神機は補給線を必要としなかった。月より奔放な縦深攻撃を仕掛け、いつまでも、どこまでも、無尽蔵に動き、殺し続ける異形の軍勢。一矢報いることすらできず、あっという間に人類は滅亡の瀬戸際まで追い込まれた。
 この流れを最初に変えたのはヴァーライドであった。自らの大罪を重く重く受け止めながら、彼は自殺と言う逃げには走らなかった。この身は永遠に赦されない。救われない。だがそれは、俺がこのまま何もせず腐って良い理由にはならない。生き恥を晒し、人々から後ろ指を指されることぐらい笑って甘受しよう。俺は永遠に人類の幸福のため頭と手足を動かし続ける。俺がそうしたいからそうするのだ。
 ヴァーライドの苦闘は、今度は実を結んだ。第一大罪フォビドゥン・セフィラを償うにはまったく足りなくはあったが。
 まず月世界を創造したのと同じ要領で、「いかなる意識も存在できない領域」を地表の一地方に構築し、そこに贖罪神機を誘い込んだ。月世界じごくの亡者に憑依されていた胎児たちは、一斉に機能を停止。そのままヴァーライドはロボットを遠隔操作して贖罪神機を分解・解析し――その永久機関めいたからくりを完全に理解した。
 物質世界と月世界の物理定数の違いを利用した、「貿易的交換」。熱力学第二法則をやすやすと踏みにじる真正の永久機関。それは人類を滅ぼす存在だったが、同時にタービンを回すネタを失いつつある人類を救う可能性をも秘めている。
 ヴァーライドの頭脳をもってすれば、逆用は容易かった。罪業変換機関は、今でこそ「罪を熱に」変換する動力源と認識されているが、最初は違った。モーターを逆に回せば発電機になるように、それらは本来「熱を罪に」変換する代物だったのだ。
 月世界から無尽蔵に供給される熱を罪に変換、周囲に拡散し、これをもって人類に同士討ちという禁忌を犯させていたのだ。
 ――ならば、残存人類の中で最も罪深いこの俺こそが、亡者たちに対する最大のカウンターとなるはずだ。
 ヴァーライドは自らを贖罪神機と接続、その極限の大罪をもって月世界を灼熱の煉獄と化さしめた。月を覆いつくしたメガストラクチャーは、ファラリスの雄牛となって哀れな死者たちを永遠に責め苛んだ。その中にはヴァーライドの両親もいた。本来は救いたかった人たちが。
 血涙が、頬を伝った。
 かくして――人類守護の修羅と化した男と、冥界の女王は、ひとつの妥協点、密約を交わしたのだった。

【続く】

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