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しかしまわりこまれてしまった!
不動明王の加護が宿る身代わり札の呪力を逆用し、実在しているものを札へと変える総十郎オリジナルの呪法は、極端に巨大でもないかぎりはほぼどんな存在でも札に変えることができる。
それは人間とて例外ではない。
そして、札化された人間の主観では、札になっている間の時間を認識できない。
そもそも札化されている物品は時間の経過を完全に止められるので当然であった。
シャラウ・ジュード・オブスキュアの認識においても、総十郎に札化の呪法をかけてもらったかと思えた次の瞬間、黒い人影の背中が目の前に突如出現したように感じられた。
直前の打ち合わせでは、札化が解除された瞬間に〈道化師〉が目の前にいて、自分は即座に国外永久追放を命じればいいはずであった。
だが――今目の前にいる人物は、明らかにあの愛らしくも危険な少年ではない。
立ち昇る瘴気。ほっそりとした長身。闇色のマントと、その上でなびく灰色の長髪。肩にはダークエルフの祀将であることを示す、竜の頭蓋を加工した肩当てを装着していた。
だから、シャラウは神統器を握る手から力を抜き、カランと転がる聖杖にも構わず一歩を踏み出した。
一目でわかったから。
どれほど変わり果てていようと、彼を見間違うことなどありえないから。
両腕を拡げ、祈るような気持ちで、一歩二歩と足を進める。
彼はこちらに気付かない。シャイファとシャーリィに注意を奪われて、平静を失って。
いつもそうだ。彼は少し抜けている。
ちょっとむくれて見せれば、いったいどうしたのだろうとおろおろしながらこちらの機嫌を取ろうとする。本当は特に大した理由などなく、困り顔が可愛かったからわざと不機嫌なフリをしていただけだったのだが、彼はそのたびに右往左往してくれた。
だからいつも、彼が困り果てて謝ってくる前に、抱きついて謝るのだ。
ほら、こんな風に。
するりと彼の両脇に手を差し込み、その背中にぎゅっと抱きついた。
途端に襲いくる寒気。脱力しかかる腕に強いて力を込め、彼の胸の前で手を重ねた。
「ッ!」
彼の体が強張って、反射的に逃げようとする。だが、その力は弱い。彼が本気ならば、自分はたやすく引き剥がされてしまうはずだ。
だが、そうはならなかった。
抱きついただけで、彼の体つきも、筋肉の硬さも、鼻先をくすぐる髪の感触も、すべてが百年前のままなのがわかったのと同じように。
彼もまた、後ろから抱きつかれただけで、こちらの腕の肌触りや、胸の柔らかさや、吐息の湿り気を、瞬時に見分けたから。
自分が今誰に抱きつかれているのか、言葉を交わすまでもなく悟ったから。
だから、無意識のうちに振り払う力が出ないのだ。
シャラウは、確信を込めて爪先立ちになった。
身長差を埋めるために、うんと体を伸ばした。
そして、こちらを振り返りかけたその青白い頬に、祈るように、じゃれるように、啄むように、かつて何度もしたように――キスをした。
彼の横目と視線を合わせる。
「抵抗」
「な……え……」
「しなくていいの?」
「……う……」
強烈な葛藤が、彼の中に渦巻いているのがわかる。
引き剥がさなくてはならない。だけど、引き剥がしたくない。
このままでは愛しい人が衰弱死してしまう。だけど、引き剥がしたくない。
シャラウには、その心境が手に取るように分かったから。
「かわいい人。ずっと、ずっと、あなたをこうして抱きしめたかった」
全身から、生命の熱が失せてゆく。力が抜けそうになる。彼は瘴気の漏出を最小限に抑えているようだが、それでも長くは持たないだろう。
「父上っ!」
そして、左右からシャイファとシャーリィが彼に抱き着いた。
「……ぅ、うぅ……っ」
彼が、力尽きたように膝を折った。
母と娘たちは、そこを取り囲んでしがみついた。命を蝕む冷たさも、その奥に凝っている哀しみも、三人で分かち合うように。
「ねえ、ギデオン。女たちは、幸せだったのよ? 決して、我慢だけしてたわけじゃあないのよ?」
「では……」
引き絞るように、彼は言う。
はらわたを吐き出すような声だった。
「では、なぜ、なぜ、シャロンは、死んだのだ……」
「それは……」
言葉がよどむ。だが、決然と言う。
「確かに、幸福な最期ではなかったわ。だけど、その生涯に、本当にひとかけらも幸がなかったと思う? あなたとわたしの間に生まれ、皆に愛され、ちょっと頼りないけど可愛らしい騎士くんと恋をして――それらすべてが、最期の絶望の前振りとしての意味しかなかったと思う? 価値が、なかったと思う?」
「う……」
「もしそう思っているのなら、あなたはシャロンを侮辱している……わ……」
くらりと、意識が遠のく。
「シャラウ!」
「ふふ……やっと名前を呼んでくれたわね、ギデオン……愛しい人……」
震える手を伸ばし、彼の頬に触れる。
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