吐血潮流 #7
その後、どうにか言葉を尽くして自殺を思いとどまらせると、タグトゥマダークはため息をつきながら言った。
『で、えーと、つまり? 諏訪原篤は君の「真夏☆恋仕掛け急接近大作戦」を軽やかにスルーする精神と眼力を持ち、かつ《絶楔計画》の存在を知れば確実に邪魔立てをしてくるであろう人物だと、そう言いたいわけだね?』
いきなり冷静な口調。しかし☆のところで変な抑揚をつけているのがなんかムカつく。
「はぁ、えっと、急に話が進んだでごわすね……まぁそーゆーわけだから、普通に戦っていいでごわすか?」
射美の操停術は、絶大な破壊力を誇るものの、静殺傷能力は著しく低い。
超目立つ上に超やかましいので、使ったら即バレるのである。
政府のポートガーディアンたちと正面からぶつかるのは今は避けておきたいので、射美はあらかじめ上司に了解を得ていないと戦闘能力を解放できないのだ。
『ま、そうなるよね。いいよ、ヴェステルダークさんには僕から言っておく。隠蔽工作はまかせといて』
「ありがとうごわします♪ じゃ、切るでごわすよ~」
『あ、そうそう! ちょっと待って。ヴェステルダークさんがさっき言ってたんだけど、諏訪原篤の抹殺の他にもうひとつ任務が追加されたみたいだよ』
「ヴェっさんが? どんな任務でごわすか?」
『人を一人、拉致ってきてほしいみたい』
「りょーかいでごわすよ。どこの誰でごわすか?」
『霧沙希藍浬だ』
「……へ?」
『霧沙希藍浬』
「…………それって」
『霧沙希藍浬』
「い、いや三回も言わなくていいでごわすよ!」
『あだ名はキリっぽ』
「変な設定付け加えないでほしいでごわす!」
『その様子だと、もう心当たりがあるみたいだね。さすがは射美ちゃんだ。その調子でたのむよ~?』
「は、はぁ……」
電話を切ってから、射美はぼんやりと空を見上げた。
飴色の空が、どこまでも広がっていた。
スカートのポケットに手を突っ込んで、血まみれのハンカチに触れた。
霧沙希藍浬から預かったハンカチだ。
興奮すると血を吐くというホラーな体質を目の当たりにしても、ふんわり微笑んで口元を綺麗にしてくれたくれた人のものだ。
……ぎゅっと、握りしめた。
「作戦、変更でごわす」
●
「いっ」と、篤が声を上げた。
「せー」と、攻牙が続けた。
「のー」と、響司郎が繋いだ。
「「「せッ!」」」
三人そろってシメ。
がたん! と音が鳴り、ロッカーの入り口からホウキとモップが外れた。
「ふふ、ありがとうね。三人とも」
中からゆっくりと霧沙希藍浬が抜け出てきた。
「うむ、無事でなによりだ」
篤は重々しく頷いた。
「別に大したことじゃねーよ」
攻牙は何故か目をそらす。
「女性のお役に立つのは男の本懐さ」
謦司郎は篤の後ろでフワサァ……っと前髪をかき上げた。
いや、後ろだから見えないのだが、篤には気配でなんとなくわかるのだ。
恐らく、薔薇などが周囲に舞っているのではないか。
見えないけれど、見えないから余計にそう感じられる。
「うー……んっ」
霧沙希は二の腕を掴んで伸びをした。
しだれ桜のような肢体が、しなやかに解放を謳歌する。
女子としてはやや長身の背中に、光沢を宿した黒髪が柔らかく散らばった。
「……帰ろっか」
こちらを振り返り、ふわりと微笑う。
同時に、千切れたボタンが引き起こす極限の狭間が幕を開け、白く神話的なある種のふくらみが二つ、窮屈そうに互いを押しあっている荘厳な光景が篤たちの視界に入った。
「いや待て霧沙希―!」
攻牙が叫んだ。
「お前ちょっと外に出る前にちょっとお前そのあれだ」
そして汗をかきながら眼をそらす。
「まままっまままっ前をな前を気にしろうん気にしろ」
「え?」
言われて藍浬は自分を見る。
一瞬の沈黙。
「……きゅう」
妙な声をあげて、胸元を抑える藍浬。
「もう、先に言ってよ攻牙くん……」
そして目じりを押さえた。
「ちょっとショック」
謦司郎がやれやれとため息をつく。
「攻牙~、泣かしちゃだめだよ。もうちょっと空気読むべきだったね」
「今のボクが悪いのか?」
「あのねぇ、キミが何も言わなければ、霧沙希さんは恥ずかしい思いをせずに済んだんだよ? そして僕は豊かな生命の神秘を存分に鑑賞することができたんだよ?」
「明らかに本音は後半」
「僕が彼女の胸をなめるようにいやらしく上から下から眺めまわしてどこに星マークを付けるべきか慎重に見定めるという高度な思考活動を止める権利が君にあるとでもいうのかい?」
「あるよ! ありまくるよ! なに本人の前で邪まな欲望をカミングアウトしてんだよ!」
「違う。僕はエロくない。変態なだけだ」
「どっちでもいいし変態だったとして何を正当化できるつもりだったんだよお前」
藍浬はうつむきながら蚊の鳴くような声でしゃべる。
「そ、そうだよね。しょうがないことなのね。お、男の子だもんね……」
「おい霧沙希ィィーッ! こいつの妙に堂々とした弁舌に流されるな! 気を強く持て! 変態のたわごとに耳を貸すな!」
誰の前だろうと自分の変態ぶりを隠す気がまったくない謦司郎は、ある意味自らの道に殉ずる忠烈の士とも言えるような気がする。そうか?
とはいえ、いつまでも霧沙希をこのままにしておくわけにもいかない。
篤は自分のカバンに手を突っ込み、中を探る。
中には教科書やノートに紛れて、手紙の入った便箋が二つあった。
……二つ……?
ひとつは下駄箱の中にあった桜柄の手紙だが、はて、もうひとつは……?