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ケイネス先生の聖杯戦争 第三十七局面
体の芯に熱が宿り、心臓が落ち着きを失くした。
体温が有意に上がる。特に頬は火が出るかと思うほどだ。
目が潤んでゆく。浅い呼吸を繰り返しながら、敵サーヴァントを睨みつけようとする。
だが、彼の愁いを帯びた眼差しがこちらを見つめていると気づいたとき、胸は経験したこともない多幸感で満たされた。なのに、彼の顔を見返すことがどうしてもできない。
舞弥は恥じらいのあまり顔を横に振り向けた。
「なに、を……っ」
「こっちを向いてくれないか」
びくり、と舞弥は身を震わせた。
●
血を吐くような煩悶をおくびにも出さず、ディルムッドは女の頤に触れ、優しくこちらを向かせた。
「俺はディルムッド・オディナ。かつてはエリンの守護者だった者の一人だ。此度はランサーのクラスを得て現界した。君の名を教えてくれないか」
「あ……っ」
至近で視線を絡ませ合う。熱病にうなされているのかと思うほど紅潮し、羞恥と恐怖に震えているそのかんばせを、ディルムッドは愛らしく思った。
――グラニア! 頼む! 今すぐここに現れて俺の頬を殴り飛ばしてくれ……!
魅了のかかりが良すぎる。この娘が今まで一度たりとも恋に胸を燃やした経験がないためか。自分の中に根付いた熱を、どう制御していいのかわからないのだ。
「魅了の、魔術……こんな、ことで、私が、自分の陣営を、裏切るとでも、思ってるの……?」
「いいや、思わない。君は強い人だ。俺が去れば、きっと平静を取り戻して普段通りの振る舞いができるはずだ。だけど、もし……」
彼女のかぼそい肩を掴み、抱き寄せる。
「い、いや……っ、やめて……!」
構わず強引に抱きすくめ、包み込み、自らの胸板に埋もれさせた。
「もしこの出会いを幸いだと思ってくれる気持ちがほんのわずかでもあるのなら、また君と会いたい」
もがき、抵抗する力が弱くなってゆく。
「そうすれば、またこうして君を抱きしめることができる」
彼女の御髪に頬を埋める。その震えを抑えるように時間をかけて抱きしめ――やがて身を離した。
「次の日付が変わる時刻、間桐邸の前で待っている。もちろん君も聖杯戦争で忙しいだろうから無理強いはしないが、毎日、その時刻に、待っている」
腕から解放した途端、彼女はくたりとその場に崩れ落ち、壁に寄りかかりながら力なく尻餅をついた。
「あ……」
その声に、寂寥のようなものを感じたディルムッドは、己に求められたことを完璧に果たし終えたことを悟った。
「では、俺はもう行く。君もあまりここの家主に迷惑をかけぬよう」
そして霊体化し、姿を消した。
●
高鳴る胸とは裏腹に、空気の冷たさが舞弥の身を震わせた。さっきまであんなにも暖かかったのに。
自らの心身に起こっていることを、頭で理解しても感情が御し切れず、しばし茫然と浅い息を繰り返し続けた。
瞬間、窓の外でタクシーが急発進する音がし、直後にトンプソン・コンテンダーの咆哮が轟き渡った。
舞弥は冷や水を浴びせられたかのように見当識を取り戻し、慌ててステアーAUG突撃銃を回収して外に向かった。
ほどなく、無線が入る。
『舞弥。僕たちも撤退だ』
一瞬、呼吸を落ち着ける。
「……はい。迎えに行きます」
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