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秘剣〈宇宙ノ颶〉 #19
サブマシンガン。
詳しい型番など覚える気になれなかったが、要するに引き金を引けば弾がたくさん出てくる武器だ。
近接戦闘における、問答無用の最強手段。
父さんが昔のツテで調達してきたものを、借り受けた。
銃口の前に、剣を振りかぶるリツカさんの姿がある。
――捉えた!
さぁ、どうする!
その秘剣は、確かにあらゆる剣技を超越する。
剣闘を支配する四つの力学――〈先の先〉〈先〉〈先の後〉〈後の先〉。
そのいずれに対しても優越する手を出せる究極の技だ。
だが、〈先〉も〈先の先〉も知ったこっちゃねえとばかりに弾を吐きまくるこの頭の悪い兵器を前に、そんなチマい理屈が通用するか!
無闇にやかましい、ひとくさりの射撃音。
思わぬ反動に、腕がすぐ跳ね上がる。マズルフラッシュが眼を灼く。
慌てて引き金から指を外すと、唐突に訪れた静寂の中で、彼女の姿はなくなっていた。
悪寒。
何らかの対処を成す前に、腰の辺りを冷たく熱い感覚が走りぬける。
斬られた!
その瞬間、ぼくの肉体に、何か途方もなく巨大で、粘く、熱い何かが流れ込んできた。魂を陵辱した。臓腑が痙攣し、吐き気を生じさせるのを感じた。
ソレの感情はあまりにも異質だったのだ。
生き物への好奇心、無機物への恐怖、知性への慈愛、本能への憎悪。あるいはその裏返し。致命的な矛盾の集積。
そして、無限にとぐろを巻く、殺意。
ぼくは身を折って、胃の内容物をブチ撒けていた。
全身が、痙攣していた。
これが、〈宇宙ノ颶〉。
これが、赤銀無謬斎。
ほんとうに、人だったのか!?
「笑止、なり」
後ろから、猿のような笑い声。
「かような玩具が、俺の芸術に優る道理なし」
がちがちと噛み合わなかった歯が、不意に、軋んだ。
反則野郎が――!
クソッタレ・ファッキン・死にぞこない・ガイキチ・タマなし・剣豪のどうしようもない妄執は、ついに近代テクノロジーの殺傷システムすら凌駕した。
●
あぁ――
なんとなく、わかった。
なんで昨今、日本中で辻斬り事件が多発しているのか。
思えば一連の斬殺事件は、確か拳銃を引き抜いた状態で正面から斬り殺されているヤクザの遺体が最初ではなかったか。
事件当時、付近では銃声を聞いたという通報があり、さらに現場からは硝煙反応が出いたという。
――日本中に雌伏していた、潜在的な人斬り野郎ども。
彼らは、気づいてしまったのだ。
剣術とは、とても振れ幅の大きい技術体系だ。
その戦力の全体的な平均値は、銃に比べれば話にならないほど低い。
おまけに、使い手の才覚に著しく依存した戦闘方法だ。
大量の人材に、短期間で確実な戦力を付与することが鉄則の近代戦術においては、スズメの涙ほどの価値もない。
だが――それゆえに――
その数少ない例外となった剣才者たちは、この事件を契機に自らの力のほどを自覚した。
集団対集団の平均ではまるで敵わないが、個人対個人の領域において、才覚と経験がものを言う剣術は、ごくまれに奇形じみて強大な力を持つ鬼子を誕生させることがある。
七から九までの力を万遍なく使い手に与える銃は、決して十の力を持つことはない。
だが、剣はその不完全さゆえに、十の力を持った魔人を極小の確率で輩出する。
極小とはいえ、全国規模で考えれば百人は下るまい。
そして、この世のいかなる暴力も、彼らを止めることはできない。
その連中の中には、暴力衝動に対する物理的な抑圧がないことに気づき、自らの欲望のままに動き出した者もいただろう――
――剣は、弱い。
それは不変の真理。
だが、使い手を野放図に強くする蓋然性を、わずかながら持つ。
この国の人斬りブームは、つまり、そのようなものなのだ。
●
まだわずかに震える体を押して、ゆっくりと振り返る。
彼女が、いた。
『サブマシンガンで蜂の巣にされる自分』ではなく、『その場に留まって敵手の腰を斬る自分』を選択したということか。
……父さんの言葉が思い出される
『いいか? 〈宇宙ノ颶〉の事象記述は、それ自体が物質の実在をあやふやにするキーコード――いわゆる量子化だ。己の存在を拡散させ、さまざまな技と動きを繰り出す『あり得たかもしれない自分』を複数発生させる。そしてその中で最も都合のよい結果を出した『自分』を選択し、確定させることができるってわけだ。ヘドが出るほどの無敵ぶりだよ。最低にタチの悪い後出しジャンケン――それと似たようなもんだ』
そう、無敵だ。
どれだけ巧みな対処を成そうが、彼女はそれに対して噛み合う動きを選ぶことができる。
ぼくはゲームの中の敵キャラクターであり、奴はセーブとロードを繰り返して何度でも挑んでくるプレイヤーだ。
本質的に、勝ち目はない。
――だが。
「ッ!」
――唯一ぼくに有利な要素があるとするなら。
背中を走る、横一文字の熱。
じわり、と湿った感触が、出血を報せる。同時に流れ込んでくる腐った魂の怒涛に、死に物狂いで耐える。
――奴は、その救いがたい嗜虐の性ゆえに、ぼくをひと思いに殺さないということだ。
さんざんにいたぶられ、嬲り殺されるまでのわずかな間が、ぼくに与えられた勝機だ。
……いや、本当にそうなのか?
そんな単純な理由か?
「ぐっ!」
再び、斬られた。
今度は、腕。利き腕ではないのは、慈悲ではなく悪意。
目の端や、鼻や、口や、耳から、何か粘つく液体が流れ出ている。同時に胃液が後から後から止まらない。数年間放置された冷蔵庫の中に押し込められる方がよほどマシだと断言できる気分だった。
そして愕然とする。
これが……無謬斎の魂の欠片だというのなら。
その魂の本体に侵略され、等しい存在と化したリツカさんが味わう業苦は。
その狂気は。
その末路は。
眼球が、びくびくと熱くなる。眼から、今度はさらさらとした何かが零れ出る。
喉の奥から、獣の慟哭がせり出てくる。
死んだほうがいい。
赤銀家の人間は、全員死ぬべきだ。
こんな、おぞましいという言葉すら形容しきれぬ、腐乱し切った秘剣を編み出した先祖の責任をとって、全員死ぬべきだ。
この剣技の存在を知っている人間がいること自体、ぼくには耐えられない。
〈宇宙ノ颶〉の痕跡を、滅ぼす。徹底的に滅ぼす。
死に物狂いで、見出す。
ひとつの手順を。
――確かに、ゲームの敵キャラクターは、プレイヤーに絶対に敵わない。
だが、ひとつだけ例外がある。
ひとつだけ、勝ちうる可能性がある。
――例えばの話だが。
深い深いダンジョンの中へ、プレイヤーキャラクターたる勇者が潜入したとしよう。そこでは無数のモンスターがひしめいており、戦いの中で勇者は徐々に傷ついてゆく。アイテムや魔法で回復もできるが、それとて無限ではない。やがて、ボスキャラクターの直前に存在するセーブポイントにたどりつき、プレイヤーは安堵のあまり深く考えもせずにセーブしてしまう。そして、ボスと対峙する。勝てると高をくくっているのだ。だがボスは強かった。想像以上の攻撃力で、あっという間に勇者を瀕死状態にしてしまった。勇者は体力を回復しようとするが、すでに魔力もアイテムも枯渇していた。やがて成すすべもなく殺されてしまう。プレイヤーキャラクターはセーブした時点からやり直すことを考えるが、思い出してみればあの時点ですでに魔力もアイテムも枯渇している。これではどう考えても、勝ち目がない。何度か繰り返してみたものの、どうやっても勝てず、やがてプレイヤーはそのゲームを投げ出してしまった――
……奴のセーブは、どういったインターバルで繰り返されるのか。
どういう時に、奴はセーブするのか。
決まっている。
仕掛ける直前だ。
奴の姿が、再び消滅した。
やるしかない――
正直、血を流しすぎた。正気を喪いすぎた。
意識を保っていられる時間は、そう長くはなさそうだ。
ぼくは、引き金の前から突き出ている弾倉を放り捨てると、コートの中から新たな弾倉を出して叩き込んだ。
これからやろうとしていることは、はっきり言って机上の空論だ。
理屈としてはありえなくもないが、しかし実際にできるかと言えば寸暇も置かずノーだ。
ここはマス目で区切られたゲームの世界ではない。
無限の尺度を内包する三次元空間。
できると思う方がどうかしている。
――そんな在り来たりな理屈をこねる自分を叩き殺し、
ぼくは、吠えた。力の限り、咆哮した。
喉も破れよと。
活路は、自分の手でこじ開ける。
そのために、肉を捧ぐ。
意思を捧ぐ。
魂を捧ぐ。
背後に銃弾を放った。
マズルフラッシュ。
跳ね上がる銃身を片手の力で必死に押さえ込みつつ、そのままターン。
銃口が旋回する軌道を変化させつつ、振り回す。
傷つき疲れ果てたぼくの肉体は、この土壇場で最後の炎を燃やす。
神速の境地を見る。
ジャイロスコープの多重リングのごとく、銃弾の結界が紡がれる。
それだけでは不足だ。
銃把から手を離し、佩剣に手を沿え、抜刀瞬撃。全身の骨肉が血の叫びを上げる。さまざまな組織を断裂させながら、ぼくの斬撃は、手首を粉砕しつつ、刺突に変わる。
名も知らぬ、あの人の神技。
その切っ先は、
血の霧を穿ち、
空気の壁を穿ち、
連なる銃弾の間隙を縫い、
そして、音速を
――剣先が、彼女の体を貫いた。
結局奴は、迷いに迷った挙句、胸を貫かれる最後を選んだようだった。
奴が取りうる、あらゆる選択肢に蓋をする、それは『ハマり』という名の無限地獄。
もちろん、サブマシンガン一丁の弾幕ごときで『ありえたかもしれない可能性』のすべてを潰せなどしない。
だが、可能性の分岐点の設定――わかりやすく言うところの『セーブ』――を行うタイミングに当たりをつけていれば、対処のしようはある。
すなわち、攻撃を仕掛ける直前。
その瞬間から可能性の枝は時間と共に広がってゆき、やがて無限の『ありえたかもしれない可能性』が発生してしまう。
だが。
それより前。
セーブが行われた直後。
可能性の枝が広がりきらない極微の刻。
その刻のみ、奴のあらゆる選択肢を比較的簡単に塞ぐチャンスが来る。
はっきりいって九割方バクチである。
奴のセーブのタイミングをわずかでも見誤れば、ぼくは死んでいた。
それだけでなく、弾幕の配置が少しでも適切でなければ、〈宇宙ノ颶〉は逃げ道を見つけていたことだろう。
そして、弾幕の穴を塞ぐ最後の刺突、その動作に極小の遅滞でもあれば、彼女の刀が先にぼくを貫いていたことだろう。
もう一度同じことをやれと言われても、絶対に無理だ。
たとえ、生涯をかけて研鑚を積み重ねたとしても、あの瞬間の自分に追いつくことなど永遠にないだろう。
それほどの死線。
それほどの神技。
だが、ぼくは、それを成した。
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