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ケイネス先生の聖杯戦争 第三十四局面
腹の底に響く銃声。
ロード・エルメロイの苦悶の声が上がった。
《ケイネスッ!》
直後に飛翔してきた翅刃虫が、腹部の先端にある斬撃器官を突き刺してきた。咄嗟に顔面を庇った前腕を貫き、目の前で切っ先が止まる。
トンプソン・コンテンダーの反動に逆らわず、割れた窓から外へと飛び出す。あの銀の流体を前に、いつまでも超至近戦など続けるのは自殺行為だ。
アスファルトを転がって衝撃を逃がし、跳ね起きた。
タクシーはそのまま速度を上げ続け、あっという間に遠ざかってゆく。
ケイネスは撤退するつもりだろう。当然の判断だ。トンプソン・コンテンダーの咆哮が轟き渡って、キャスターに気づかれなかったわけがない。
片腕を貫かれている状態では、ワルサーWA2000セミオートマチックによる狙撃も難しい。即座の追撃は諦めるほかない。
だが、まぁいい。十分な戦果はあった。逃がしたのは悔やまれるが、敵に回復不可能な損害を一方的に与えたのだから今日のところは満足すべきだろう。
無造作にコンテンダーをホルスターに収めると、前腕でキチキチと蠢いている翅刃虫を見やる。
いかに間桐の神秘の産物とはいえ、昆虫には違いない。おもむろに抜き放ったグロック・フィールドナイフが、胸腹部神経節を正確に貫通した。びくんと節足たちが痙攣し、動かなくなる。
無線機に口を近づける。トンプソン・コンテンダーの発砲時には抜かりなく口を開け、鼓膜の内外の気圧差を発生させなかった。耳鳴りはするが、会話はどうにか支障はない。
「舞弥。僕たちも撤退だ」
『……はい。迎えに行きます』
●
「お、おのれ……ッ!」
ケイネスは、この戦いで初めて想定外の損害を被った。
脂汗を垂らし、歯を食いしばりながら負傷箇所を確認する。
手の甲に大穴が開き、裂けた血肉と砕けた中手骨が花開き、見るも無残な様相を呈していた。現代医療では、もはやこの手をまともに動かせる状態まで回復させることは不可能だろう。
だがそんな些末事よりも重大なダメージがあった。
令呪が一画ほど、物理的に潰されてしまったのだ。残りはあと一画しかない。
月霊髄液が蠢いて負傷箇所を覆い尽くし、止血した。水銀は分子単位でケイネスの制御下にあるので、水銀中毒のリスクは無視して良い。
ぎりりと歯が軋る。
やはりこの単独行は軽率だったか? 否、絶対に必要なことだった。こうでもしなければ衛宮切嗣をおびき出すことは不可能だった。
「ふ、ふ……くくく……」
痙攣する口元を強引に笑みの形に歪めた。
衛宮切嗣の危険性は、もはや語るまでもなく明らかだ。だがケイネスは、ある意味においてその生殺与奪権を握る重要な伏線を、今回の攻防で根付かせることに成功した。
「く、くくく……ッ、私を殺し損ね、令呪を二画も削っていった代価は高くつくぞ〈魔術師殺し〉……ッ!!」
ボンネットより上の部分が自らの礼装によって斬り飛ばされており、風が激しく吹き込んでくる。脂汗に濡れた顔を冷たく嬲った。
日の出はいまだ先。しかし東の空には払暁の色彩が切なくなるようなグラデーションを描き始めている。
これより起こる凄惨な殺し合いの運命を知らぬかのように、その美しい光景は、すべての冬木市民のもとへと平等に降り注いでいた。
第四次聖杯戦争一日目、終了――
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