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機械仕掛けの墓標

 海の見える丘に、その墓標は建っていた。
 王族でも貴族でもない男のものにしては、いささか大きすぎる墓だった。
 家屋三階分はありそうな、塔の形をしている。
 その姿は、さながら天に向かって突き上げられた剣のようだ。
 低く重い歯車の音が、周囲に漏れ出てきている。
 ごとり、ごとり。
 規則的なその音は、墓の内部で恐ろしく複雑な機械仕掛けが作動していることを物語っていた。
 墓標の基部には墓碑銘があり、中で眠る男の名が刻まれている。
 特にどうということのない、王国に住む者なら誰でも聞くような、ありふれた名前である。
 そのすぐ下には、丸いボタンがひとつあった。
 丁寧に磨かれた紅玉で作られ、その周囲は飛び散る血を模した縁取りがなされている。

 この墓標がどのような機能をもっているのか。
 すべてを知る者は、この世にいない。
 このボタンを押すとどうなるのか。
 試みた者はまだない。

 生前この墓を造り、死後はこの墓に入っている男――
 彼は、宮廷に仕える武器職人であった。
 と言っても剣や槍などを作っていたのではない。螺子や歯車や梃子を利用した、巨大な攻城兵器を手掛けていたのだ。
 彼が製作した投石機や弩砲は恐ろしく精度が良く、王国がここまで巨大になったのは男の尽力があってのことだった。
 国王は彼を重用し、宮廷での豪勢な暮らしを約束した。
 しかし、周囲の国々を平らげ、もはや外敵など存在しない状況に至ると、王は男を次第に冷遇するようになっていった。
 国王は、何かの争いごとに関わっていないと生きている気がしないという性根を持っていたのだ。だからこそ周囲の国々に次々と戦争を仕掛け、自身も剣聖と呼ばれるにふさわしい剛勇を誇るほどまでに人殺しの技を磨いていた。
 そんな者が、平和な時代を喜べるはずもなかった。
 武器職人の男に、新たな仕事が与えられた。
 それは、国内の反乱分子から仲間の情報を吐き出させ、その後できるだけ苦しめて殺すための機械を製作せよというものだった。
 拷問装置であり、処刑装置でもあった。
 兵器を作らされるよりも陰湿で凄惨な命令である。
 さすがにそんなものは造れない、と男が言う。
 男は元々、子供たちのための楽器や玩具を作っていた、ただの玩具屋だったのだ。
 兵器を作れという命令すら心苦しかったというのに、拷問機械など良心の呵責に耐えられそうになかった。
 だが、王は彼の妻子を人質に取っていた。
 ……頷かざるを、得なかった。

 彼は復讐心を抱いていたのだろうか。
 自分の半生を血塗られた記憶で塗り固め、妻と子供を牢に放り込んだ王を、彼は怨んでいたのだろうか。
 どちらにせよ、男の思いは満たされることなく終焉を迎えた。
 彼は数年後、毒を飲んで自殺したのだ。
 そして男の友人や親戚たちが、彼の遺言に従って、人里から離れた海の見える丘へと遺体を運び込むと、そこには巨大な墓標が建っていた。
 男がどんな魔法を駆使して一人でこんなものを建造したのか――もはや誰にもわからないが、「この中に入れてくれ」という男の遺志だけは伝わった。

 かくして、奇妙な墓標の噂は王国中に広まっていった。
 巨大で、精緻な、機械仕掛けの墓標。
 いったいどんな仕掛けが隠されているのか。
 墓碑銘の下にあるボタンを押すとどうなるのか。
 無論、気になる。誰もが気になっている。
 だが試してみる者はいない。
 男が晩年に恐るべき拷問処刑機械を造っていたことはすでに知られていたし、ボタンの周りを彩る血飛沫のような縁取りも、不吉さを際立たせていた。
 ボタンを押す勇気のある者など、町には一人もいなかった。

 町にはいなかったが、宮廷には一人いた。
 国王その人である。
 機械仕掛けの墓標の噂を聞いて、王はせせら笑った。
 武器職人の目的が、手に取るようにわかる。
 ――奴は復讐を企んでいたのだ。
 しかし、まっとうな方法で王を殺すことはできない。
 王の剣技は、宇宙の理と合一を果たすほどまでに磨きあげられていた。
 殺意を読むなど眠っていてもできることであり、どんな闇討ちも王の前では意味を成さなかった。毒の酒を差し出されても、酒に宿った殺意の残り香から、簡単に見分けることができる。
 突かれるべき隙などない。
 打たれるべき不意などない。
 それほどの達人なのだ。
 精強な兵士が大勢でかかればなんとかなるかもしれなかったが、武器職人の男にそんな大量の仲間を用意することなどできなかった。
 要するに、王を倒す手段など実質存在しなかったのだ。
 ――だからこそ。
 王はほくそ笑む。
 ――だからこそ、奴は自ら死を選んだのだ。余を油断させるためにな。
 たったひとりの敵対者が死ねば、どんな戦士でも緊張は解く。
 武器職人の男は、そこを狙ったのだ。
 自分が死んで、のうのうと墓を見物にきた王を、墓の仕掛けで殺すつもりなのだ。
 ――自らの命すら投げ捨てての策略、見事である。
 だが、それでは王は倒せない。
 だからこそ、王は出向いた。自らの勝利を確信するために。

 潮風が、吹いている。
 件の墓標は、長い影を草原に投げかけながら、超然とそこに建っていた。
 絶壁に打ちつけられた波の音が、遠くから響いてくる。
「見事なものだな」
 王は嘲笑交じりの讃辞を風に乗せた。
 馬を一頭連れてきただけで、供の者は一人もいなかった。
 質素な外套に身を包み、剣だけを持っている。
 一人で挑んできた者には一人で相手をする。王はいつもそうしてきた。
 心地よい高揚感が身を包んでいる。
 果たして、あの男が墓標に仕掛けた罠は、どのようなものなのか――
 毒矢が飛んでくるのかもしれない。
 無数の刃物が振り下ろされるのかもしれない。
 ことによると、周囲の地面を崩落させて生き埋めにしようというハラやもしれぬ。
 しかしどのような攻撃が来ようと、王には通用しないだろう。
 機械仕掛けの動作など、人間以上に読みやすいのだ。
「余は貴様のことを尊敬していたよ……あそこまで恐るべき兵器や拷問器具を考案できる鬼才は、余には決して真似できぬものであった……」
 述懐しながら、王は泰然とした足取りで墓標に近づく。
「自らの命を捨ててまで余を殺そうとした、その執念も瞠目に値した……」
 墓碑銘の前にたどりつく。
 血の塊のような紅玉が、夕陽を浴びて妖しく輝いていた。
「だが貴様は決定的なところで愚かであった。よもや機械仕掛けの処刑装置ごときで余をどうにかできるなどと考えていたとはな」
 ギリツ、と王の歯が軋んだ。
「その侮辱は万死に値する! ……といっても貴様はもう死んでいるのだがな。せいぜい貴様のたくらみを造作もなく打ち払い、自分は無駄に命を落としたのだという事実を見せつけてやることで満足するとしよう」
 王の人差し指が伸び、紅玉のボタンに触れた。
 押し、込んだ。

 毒矢は飛んでこなかった。
 刃物は振り下ろされなかった。
 周囲の地面が崩落するということもなかった。

 無数の部品が動き、こすれ合う音が、周りを満たした。
 王の見る前で、剣のような形をした墓標は、ゆっくりと形を変え始めた。
 剣身が複数のパーツに分かれ、回転し、別の形に組まれてゆく。それは台座のようであり、舞台のようであり、巨大な花のようでもあった。
 重々しい音とともに、変形は完了する。
 一瞬遅れて花の中央部が迫り上がっていって、何か複雑な構造物を露出させた。
「なん……だ……これは……」
 王は嘲笑をやめていた。
 その構造物が、なにやらひどく美しく感じられたからだ。
 黒く滑らかな質感の石柱が、そこにはあった。表面を、黄金の紋様が迷路のように走っていた。
 きりきりと螺子が巻き上げられる音がし、櫛のようなものが横から起き上がって石柱に触れた。
 やがて、石柱はゆっくりと回転し始めた。
 ――そして。
 音楽を、奏でた。

 王は今まで、光を反射する刃の輝きや、命を賭して闘う戦士たちの生き様を美しいと称することはあったが――
 絵画や彫刻のような、何を目的ともせず、ただひたすら美しいだけの存在には触れたことがなかった。
 だから。
 だからこそ。
 今、目の前のモノが奏でる旋律は、圧倒的な重みを持って王の心を打った。
 それは哀しみを詠っていた。
 ままならぬ生への哀しみであり、争いの絶えぬ世の中への哀しみであり、あるいは妻と子供を守ってやれなかった無力な男の哀しみであったかもしれぬ。
 物静かで、ゆったりと進行し、しかし決して沈鬱にはならない、透明な哀しみが、新緑の葉を伝う雫のように流れていった。
「おぉ……おぉ――」
 花の中央に現れたそれは、巨大なオルゴールだったのだ。
 石の円柱が回転することで、押し当てられた巨大な櫛が金の紋様を弾き、複雑玄妙な楽曲を紡ぎだしている。
 そして、王にとってこれは。
「余は……余は……」
 胸の中に、恐怖があった。
 今までまったく意識したことはなかったが、王の心に刻まれたあらゆる記憶が、その情景が、たとえようもなく尊いもののように思われてきたのだ。
 その情景は、争いの記憶ばかりであった。
 初めて人を斬った時の記憶。
 戦で大勝した時の記憶。
 自分にとっては剣の師匠であった古参の騎士を、些細な理由で処刑した時の記憶。
 目障りな政敵を、策謀で犯罪者に仕立て上げてやった時の記憶。
 壮麗な石造りの街を、ことごとく焼き払ってやった時の記憶。
 あるいは、武器職人の妻子を牢獄に叩き込んでやった時の記憶。
 ――今まで、余が壊し、殺し、踏みにじってきたすべてのモノが、それぞれに美しく、貴く、価値ある存在だったのではないのか。
 オルゴールの柔らかな旋律が、王の心底で封殺されていた美意識を、呼び覚ましたのか。
「余は……今まで、余は……何をしてきた……?」
 常人であれば、ここまでの反応はなかったであろう。普通の人間は、世の芸術文化にそれなりには触れているものであるし、多少は目も肥えている。巨大なオルゴールの造形美に驚嘆し、その旋律に感激し、作者の名前を永遠に覚えておく程度の反応であったことだろう。
 だが王は違った。
 争いの中にこそ安らぎを見出し、芸術など鼻で笑って最初から相手にしなかった王にとっては。
 黄金の夕陽に包まれた飴色の情景でただひとり、恐るべき完成度の美をいきなり見せつけられた王にとっては。
 ……意識そのものを変革するほどの、絶大な衝撃であったのだ。
 美しいものを尊いと思う感性。常人であれば当たり前に持っているはずのもの。
 拒みたかった。拒めなかった。
 目の端から、涙が一筋、伝っていった。
 王は悟った。
 これこそが、武器職人の復讐なのだと。
 今までの行いが、いかに恐ろしい罪であったかを、魂に理解させる。
 なんと残虐な仕打ちであろうか。
「なんだというのだ……貴様、こんな……こんな……余に何の恨みがある!!」
 知らずにおれば、王はこれからも、野放図な殺戮の渦中で笑っていられたことだろう。
 だが、もはやそれはできないのだ。世界が美しく、貴いということを知ってしまったから。
「なんということだ……なんということだ……」
 もはや戦いの愉悦を味わうことはないのだという喪失感が、王を打ちのめした。
「償えというのか……貴様……なんと惨いことを……」
 王は立ち上がった。
 涙は拭かれていた。
 馬に打ち跨ると、勢いよく腹を蹴った。
 ――都へ、戻ろう。
 今まで自分が壊してきたものの欠片を、拾い集めるために。
 さしあたっては、武器職人の妻子を牢獄から出してやるために。
 王は馬を急がせる。
 わけのわからぬ焦燥に突き動かされ、もはや前しか見えない。後ろなど見えない。背後で墓標がどのような変形を始めようが、もはや意識に上ることすらなかった。何かが弾ける音も、何かが空を切り裂く音も、改心した王を振り返らせることなどできはしないのだ。
 殺意は、失意と衝撃に紛れて、
 自らの胸板から生える、凶悪な逆棘のついた槍を茫然と見つめ、
 何事かを絶叫しようとして、しかし血塊がごぼりと口元を穢し、

 恐るべき暴君は、慟哭と絶望と憎悪を撒き散らしながら無様に孤独に死んだ。
 その生と死に意味と呼べそうなものは何一つなかった。

【おわり】

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