擦り切れるほど音
人類はいつから、音を楽しむようになったのだろうか。 人類はいつから、音と言葉を組み合わせたのだろう。
人類はいつから、音に価値を見出せなくなったのだろう。
昨今、世界中では音楽の定額配信サービスが当たり前のものとなった。月額たった1000円程度でメジャーな音楽は聴き放題だ。もうCDを買う人はいなくなってしまうのではないかと思うほどそれらの勢いがすごい。
一昔前(とは言っても僕はそれを知らないが)までは、音楽は生でしか聞けなかった。誰かが楽器を弾き、誰かが声を歌う。そして音楽を奏でる。それを誰かが聞く。蓄音器が発明されて、生でなくても聞けるようになった。レコードが完成し、同じのもがみんな聞ける。CDが産まれて音を持ち運べるようになった。
そして今、音楽の形はもう見えなくなってしまった。
生の音しか聞けなかった時代はその会場に行くことがどれほど楽しみだったか。CDが発売されることによって買いに行き封を開け再生ボタンを押すまでのドキドキ感がそれほど待ち遠しいものか。その楽しみは減ってしまったのではないか。家で、ボタンを押すだけで聞こえてくる音に価値がないわけではないが、少し寂しさを感じる。もう二度とカセットテープが擦り切れるほど聞くということはないのだろう。
ただ、音楽は消費されるためのものではない。
もっと心ゆすぶるものであったのではないか。僕自身が時代錯誤者なのか。まだ20歳なのに。