見出し画像

2024年を振り返って

早くも年の瀬なので、慌てて一年の振り返りを書いていく。大体クリスマスが済んだあたりで手を付けないと間に合わなくなる。
今年はそんなに楽しい話もないのだが、そういう年こそ書いておいた方が良いだろう。

1月~3月

仕事疲れとSNS疲れを引き起こしていたらしい。気温差も厳しく、だいぶ参っていた様子がある。
新しい刺激を求めて色々と試していたが、こういう時に追い求めたものはあまり身体に馴染まない。

原神を熱心にやっていたのは、去年じゃなくて今年のことだったか。海灯祭と魔神任務で、2月はずっと璃月港にいた。中華産ゲームの中華っぽい国、あまりにも情緒がある。

嘉明あまりにも良い子すぎんか

2月はBlueskyの通常登録が可能になったので、Twitterから拠点を引っ越し。そこに棲み続けるのが嫌になったタイミングでもあった。
とはいえBlueskyで頻繁に呟くわけでもなく、Twitterの方も読み物としては未だに利用している。人の多さはSNSの価値。
一方で、引っ越し後もTwitterが改善されることはなかったので、戻ることはなさそうではある。


4月

今年の大河ドラマは、『平清盛』以来の平安時代を舞台とした『光る君へ』。しかも清盛と違い、摂関政治の最盛期を描く平安大河。大学時代の自分に教えてあげたい。
ということで花見も兼ねて、大河ドラマ館のある石山寺(滋賀県大津市)へ出かけた。

こういう機会がないとなかなか行かないので、良いきっかけになった。


5月~6月

大阪のフードフェスに行ったり、島根にグランピングしに行ったり、日記を見ていると意外と色々出かけている印象。

グランピングっぽい!

グランピング自体も良かったが、久しぶりに高校時代の友人と語らったのが楽しかった。
前回の集まりから少し間が空いていたものの、特にブランクもなく普通に話せて、良いものだなあとしみじみ思った。
人の人生の話を聞くことは、自分の人生の見直しや点検、救いにも繋がる。

マシュマロを焼く実績も解除


7月~8月

7月は喉の不調が長引いた。喉以外に症状が出なかったので病院に行くのも遅れたが、たぶん今回もコロナだったと思われる。
南海トラフと関係あるような地震の注意喚起があったり、毎日軌道の変わる台風10号だったり、自然災害も多い夏。

8月下旬から秋にかけて、パーティーメイク欲が高まっていた。おそらくドラクエ3の発売日が決まったせい。
剣の街の異邦人、残月の鎖宮あたりのダンジョンRPGを新規開拓するが、クリアには至らず。
その後にウィザードリィダフネと本命のドラクエ3HDを触った後、年末時点では世界樹の迷宮1HDリマスターに落ち着いている。
結局そこに戻るのかという話だが、昔の世界樹のシンプルさや情報量の少なさが、平日遊ぶのにちょうど良かった。


9月

残暑の厳しい中、グラングリーン大阪や神戸須磨シーワールドへ。新しいものは良いものだ。


10月

9月の自民党総裁選から、10月は衆院選と、まさに選挙の秋。夏のパリ五輪の記憶が薄いの、この時期の政局が面白すぎたからかもしれない。キャスティングボートという単語を一生分見た気がする。

仕事の状況が少々変わり、負担と責任感が増した。
傍から見てもオーバーワーク気味だった上司の感情に振り回されていたところから、自分の裁量を入れられるようになったという意味では、悪い変化ではない。
とはいえ分からないことは多々あり、綱渡りのように日々を過ごす。


11月

そしてこの月。入退院を繰り返していた祖母の容態が急変し、そのまま旅立ってしまう。
元々、次の桜は見られないだろうと宣告は受けていたのだが。

祖父母を喪うのはこれで4度目で最後。
7歳、17歳、24歳の時にそれぞれ体験してきたが、34歳の今回が一番堪えた。
従兄弟がいないのでよく可愛がってもらったし、趣味や感性の方向性が身内で最も近かった。この数年間も一緒に買い物に行ったり、観葉植物を眺めたり、スマホの購入手続きをしたり……。

亡くなったと知らせを受けて向かい、病室に入った時、ついこないだ水を飲ませるのに使った介助器具が置いてあるのを見て、まずそこで崩れ落ちそうになった。
直前に見舞いに足を運んでいたのは救いだが、記憶が鮮明だからこそ苦しい思いもある。

通夜と葬儀では、今後に備えて流れを学ぶつもりでいたが、感情がそれどころではなかった。この2日で数年分の涙を流した。
空っぽになった家も、相当に苦しかった。もうここに来ても祖母に会えないという事実が、とても冷たく感じられた。
「物心ついた時からずっとそこにあったもの」が一つ失われたのも、それ自体が大きな痛みになった。

金曜に連絡を受けて、土日に通夜→泊まりから葬儀を終え、また月曜から仕事したあの2週間は、よく身が保ったものだと思う。
仕事の忙しさには、冗談抜きに助けられた。そうでなければ精神的に参っていた。今回ほど仕事に感謝したことはない。ケの日々が一番良い。


12月

泣きっ面にインフル。ちょっと病気しすぎてない?
高熱が出た日の帰路が本当に厳しかった。ただ熱が下がるのも早く、仕事のクリティカルな部分をぎりぎり逸れていたのは助かったところ。

病み上がりで四十九日法要。ここまで至ると、気持ちの整理はついてくるので、四十九日という日数はよく考えられている。

年末は仕事が忙しく、四六時中考えているわけではないが、ふとした瞬間に思いを馳せることはある。
大河ドラマの最終回も、主人公の三郎とまひろの別れではなく、もっと普遍的に、大切な人の臨終・死別のシーンとして見ていた。特に死に関して、物語の受容の仕方が変わった実感がある。

生老病死の避けられぬ苦しみを、目先の仕事や趣味で紛らわせて歩き続け、いざ対峙する時は場当たり的に切り抜けるしかない……のかもしれない。色々なことを考える。


晩秋あたりからバタバタして時間感覚がおかしくなっているし、今年全般に対しても少し暗いイメージを持っていた。
が、こうして振り返ると前期はあちこち遊びに行っていたみたい。記憶は当てにならないというか、直近3ヶ月ぐらいのことしか考えてない可能性がある。
だからこそ年末の区切りの時期に、定期的に振り返るのは必要なことだと思う。

そして来年の抱負は、何でも安請け合いしないこと。
その場の辻褄合わせに腐心するところがあるので、もう少し長いスパンで考えて対応できるようになりたい。余計なことを言わず、引き受けず、本当にやるべきことを果たせる余白を持つ。

ともあれ今年も一年生き抜いた。来年も頑張っていこう。

いいなと思ったら応援しよう!