リアリティー【ビーズドール作家への道のり②】
↓↓↓のつづきです
方向転換
ビーズブームがピークを迎えた頃、ワタシがやってきたテグス編み以外にビーズステッチやビーズクロッシェなど手法が多様化したことにより、流行の作風も素朴なものからゴージャスなものへと変わりつつありました。
ワタシが作りたいのはこういうものじゃないんだよなぁ…。そう思う反面、ずっと続けてきたテグス編みで作れるアクセサリーを考えることにも次第に限界を感じるようになりました。もともとデザインのセンスなんてなかったのです。
アクセサリーは作りたい人たちに任せて、ワタシは違うものを作ろう!
デザインよりリアリティーを追求
数年間迷走した結果、デザインのセンスがないなら本物を模倣(模写)すれば良いのでは?という結論に至ります。あ、これは決してパクリではありませんからね!(^^;
例えばアゲハ蝶を作りたければ、あの翅の模様をそのまま作れば良いのです。要するにモデルになるものがあれば良いというわけです。
それでは何をモデルにしようか?
ちょうどその頃からワタシはフィギュアスケート観戦にハマり、念願のアイスショーを観に行くことになりました。出場するスケーターにプレゼントが渡せることを知り、だったらワタシの作品を…
スケーターをモデルにした人形をビーズで作ろう!
となったわけです。
そして浅田真央ちゃんと安藤美姫ちゃんのビーズドールを作り、プレゼントとしてアイスショーに持っていったのです。
※当時はもっと稚拙でした。左:安藤美姫さんの現役最後のシーズンショートプログラムの衣装。右:浅田真央さんのソチ五輪フリーの衣装。
スケーターは衣装を真似て作ることができるので、デザインを一から考える必要はありません。そして髪型の分け目などを変えればわりと本人に近づくのです。
ほかにも何か良いモデルはないかとアンテナを広げていく中、娘がバレエを習っていたことで華やかな衣装をたくさん目にしていくうちに、バレリーナを作ってみるのも面白いのではないかと考えました。試行錯誤の末に出来上がったのが、ワタシの代表作とも言えるバレリーナビーズドールだったのです。
今ではスケーターやバレリーナだけでなく、芸能人やスポーツ選手などをテレビで見るたび、この人を作るにはどうしたらいいかな?この衣装の後ろ側がわかれば作れるのになぁ、など考えてしまって肝心のパフォーマンスが頭に入ってこないことも多々あります^_^;
安室ちゃん
ビーズドール作家
以前はワタシが作家などと名乗るのはおこがましいと思い「ビーズ愛好家HARU」というハンドルネームを使ってネット販売などしていましたが、バレリーナビーズドールの売れ行きも良くリピーターも増え、これから販路を広げていく上でもう少し信頼度を高めたほうが良いと思い、「ビーズドール作家」と名乗ることに決めました。そしてそれは屋号でもあります。だから、そういう認定試験があるわけではなく、あくまでも「自称」なんです。
母の影響
このように振り返ると、ワタシがハンドメイドの道を歩んでいくことになったのは、やはり母の影響が大きいのだなぁと改めて感じます。
母と過ごしたのは僅か9年間(そのうち約2年はほぼ入院生活だったので実質7年間)でしたが、仕事でもミシンを踏み、暇さえあれば裁縫したり、編み物したりしていた姿、そして作ってくれた洋服やマフラー、体操着袋に至るまで鮮明に憶えています。晩御飯に作ってくれたおかずは殆ど覚えていないんですけどね(今思えば母は料理があまり得意ではなかったんじゃないかな。そんなところも母譲りのワタシ…)。
母から直接手ほどきを受けたことほとんどありませんでしたが、自分がものづくりをする姿を見せることでその楽しさをワタシの記憶に残すという形で教えてくれた母に感謝し、これからも誰かの心に残る作品を作れる作家として精進していきます。