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#220_【まちあるき】いい路地あります_南川端(対馬市厳原町国分)・魚肆(ぎょし)(対馬市厳原町今屋敷)
週末は山の保全活動をしておりましたが、また路地に戻ってきました。
国分地区の大町通りを挟んだ東側で、ひとつだけなぞっていなかった路地がありました。
そのままにしておくのは気持ち悪いので、今回ご紹介いたします。
南川端
「南川端」は、「AGORA対馬」や「観光情報館ふれあい処つしま」あります江尻橋のたもとから、濱町橋までの路地になります。
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魚肆(ぎょし)
「厳原古地名地図」に載っていたものの、聞き慣れない言葉ですなので、何を示しているのかと思いましたが、「魚屋」「魚市」といった意味のようで、「肆」(し)とは、品物を並べたお店だとか。まぁ、数百メートルで河口ですからね。
対馬で暮らしていますと、たまに「生まれてこのかた魚を買ったことがない」という方に出くわしますが、江戸時代の厳原には、武士や町人が大勢いましたので、商売が成立していたということでしょうか。
場所で言いますと、江尻橋から南川端と川を挟んで並行して下り、カーブする手前あたりまでの場所を、このように呼んでいたそう。
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コテ絵
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レンガ塀ごしに立っている白壁の土蔵に、絵が描かれているのが分かりますでしょうか。
この絵は、平面の壁に塗料で塗られたものではなく、壁に塗った漆喰が乾く前に模様をつけています。
左官屋さんが描いたものですので、「コテ絵」と呼ばれてます。
大正時代の頃、この界隈には海産物や貿易関係の商人の蔵がたくさんあり、ほとんどの蔵に「コテ絵」が描かれていたそうですが、現在残っているのはこれだけだそうです。
さいごに
「コテ絵」は、遊びの中から技術が磨かれる感じで面白いですね。いかにも日本人らしいと言いますか。
そして、大正時代と言いますと、朝鮮を併合していますので、外交的に対馬は最前線でなくなった気もしますが、それでも経済力はあったと言うことでしょうか。興味が尽きないです。
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