#160_【観光ガイド】ガイドの助っ人?
数日前、毎日新聞に、バスガイドに関する以下の記事が掲載されていました。
要約しますと以下の通りです。
コロナ禍や人手不足のなど、世の中先が全く読めない中で一生懸命考え開発したかと思うので、あまり揶揄するのは控えたいと思うところもありますが、それでも違和感が拭えないところがあり、それがガイドの存在意義を考えるための話題でもあるかと思い、あえて取り上げてたいと思います。
単なるノスタルジーによる否定ではない
オンラインコミュニケーションツールが普及してきたことは、われわれのようにへき地に住む者としては、ありがたいことです。
バスが複数台になった時に、引率教員が全体に話しかけられるのも便利かと思います。
コロナ前であれば、「おもてなしの心がこもっていない!」と速攻却下されそうなアイデアかと想像しますが、オンライン会議が普及したからこそ、 抵抗感が薄れ、踏み切れたところもあろうかと思います。
対馬みたいに国道沿いでもケータイの圏外になる場所ですと、厳しそうという話はありますが…f^_^;)。
従来の修学旅行というフォーマットに限界?
記事の中では、奈良近郊を神奈川県からきた修学旅行生に案内している事例が紹介されています。
私も、中学の修学旅行で奈良・京都でした。京都は6人くらいのグループ単位で回れましたが、奈良については、学年まとめてクラスの数だけバスが手配され、ゾロゾロ動きましたね。
大型バス1台に45人着席できるとして、これが複数台になるということはそれ以上の人数で動いていることでしょうから、従来の方法にテクノロジーが合わせている感じなのかなぁという印象を持ちます。
様式美を保つ?
行き先を複数用意して教育旅行を実施する学校も出てきている中で、それでも従来型の旅行形態が多くを占めるのはなんでだろうと考えていたところ、先日木下斉さんと前武雄市長の樋渡啓祐さんが面白い対談をしていました。
※メインテーマは「ライドシェアをめぐる動き」(有料放送)で、この記事の文脈とあまり関係ない話ですが、地方の交通問題、人手不足、所得機会の創出など内容満載ですので、オススメです。
まさに、無料放送の冒頭で触れられている「様式美」ではないかと。
つまりは、修学旅行というのはかくあるべきという型に囚われているということです。
みんな平等になるように同じ場所に行かねばならないということなのか、何もせずに移動するのでは教育的効果がないのでガイドさんの案内を入れてもらうことが必要になるのか、どのようなものなのか分かりませんが、「修学旅行あるある」の話をすると、だいたい全国共通で共感の嵐が生まれますので、何らかの「様式」があるのでしょう。
しかし、世の中の変化を考慮せずに現状維持に固執してしまうと、手間もお金もべらぼうにかかることがあるということが考慮されているのだろうか、と感じるところもあります。
ガイドとして思うこと
おそらく、従来提供していたレベルのガイドであるなら、その場にいることの意味はあまりなさそう、という現実を突きつけられたように感じました。そして、ゆくゆくは、生成型AIにでも置き換えられるのだろうとも。
記事にありましたバスガイドの数の減少については、コロナ禍で人員削減をし、明けて人手が必要になっても集まってこないことを考えますと、低賃金や就労日数の不安定さなど処遇の問題によるところが大きいのだろうと思いますが、AIにこなせないスキルを身につけて乗り切るのか、「様式」を切り崩す新しいスタイルを開発するのか、試行錯誤の日々は続きそうです。