#226_【まちあるき】いい路地あります_田ノ平通り・奥里通り・西ノ平通り(対馬市厳原町国分)
前回の米倉通りの記事で、西山寺のことについて触れました。
西山寺には、外交を扱う「以酊庵」(いていあん)がありました。
国書改竄がばらされて起きた柳川一件以降、外交を扱う僧侶が京都から交代では派遣されてくるようになりましたが、それでもひとりでできるようなことではありません。
そこで、西山寺の下にあった朝鮮からの使者の宿である「御使者屋」の中に、外交人材を養成するための「韓語司」という学校が設けられました。
そのあたりの路地が、とってもシブい雰囲気を放っていますので、紹介したいと思います。
田ノ平通り・奥里通り・西ノ平通り
区画で言いますと、丸屋ホテルさんやみつわ会計さんがあるあたりになります。
こんな狭くて細い路地にも律儀に名前が付いていて驚きます。
能書きを垂れるよりも、一気に写真で紹介したほうが魅力が伝わりそうですので、まとめて並べていきます。
田ノ平通り
奥里通り
西ノ平通り
韓語司
冒頭にも少し触れましたが、西山寺の下に「韓語司」という「朝鮮語通詞」(≒通訳) を養成する学校が設けられました。
文禄・慶長の役の頃には、対馬の通詞が全軍に配属されるなど、対馬藩には朝鮮語を話す人が多かったそうですが、江戸時代に入り時代が下るにつれて、外交交渉は複雑化します。
ますます通詞の重要性が増していく中で、対馬藩の儒者であった雨森芳洲が建議し、1727(享保12)年に開設されました。
雨森芳洲と中央との関係で話されるエピソードとして、朝鮮との交流をめぐり新井白石とバチバチやり合った話は聞いたことありますが、韓語司ができたとされます享保年間といいますと、徳川家の将軍は吉宗の時代です。
その頃から貿易が制限され、貿易で成り立つ対馬藩の勢いに陰りが色濃くなる頃でしょうから、雨森芳洲はどのようにコトを進めていたのか、気になるところです。
さいごに
前回の「米倉通り」が初心者向けだったのに対し、今回は一気にマニア路線に振り切ってしまいましたが、いかがだったでしょうか。
路地をひとつずつ紹介しましたが、1本ずつなぞるよりも、気の向くままぶらぶら徘徊したほうが断然面白い気がします。
「こうしなさい」「ここに注目しなさい」というルールはありませんので、自分にあった散歩スタイルを探してみてください。
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