#222_【まちあるき】いい路地あります_丸山町(対馬市厳原町田渕)・津辻越(対馬市厳原町大手橋)
先日、二十四節気の大寒が過ぎまして、次に来るのは「立春」です。
季節の変わり目ですから、その前日が「節分」となります。
※今年の節分は2月2日だそうです!
冬から春に移りゆく「節分」といいますと、対馬には「厄入り」という風物詩があります。
これまで、国分地区を中心に「路地」の取り上げておりますが(紹介しきれず出られない、という感じもありますが)、今回はそんなことを思い出し、唐突ですが厳原町田渕の「丸山町」界隈から大手橋の「津辻越」に足を運びました。
丸山町・津辻越
「厳原古地名地図」によりますと、「焼肉万よし」さんがある複雑な交差点周辺に「丸山町」と記されています。現在の地区では「田渕」になります。今回は、「万よし」さんの交差点から厳原南保育園の前を通り過ぎ、高台を越えていきます。
厄入り
厄入りという通過儀礼そのものは、全国的に知られているかと思います。
だいたい初詣に行きますと、お寺や神社に「今年は、この年に生まれた方が厄年ですよ」とご丁寧に張り出されていますが 、いわゆるそれのことです。
全国的にどの程度の方が寺社でご祈祷されるのかは分かりませんが、対馬では、とくに大厄の時には、ほぼ皆さん行かれていると思います。
ただ、よその地域と全然違うのはこのあとの話で、祈祷が終わった後に「宴会」が開かれます。
一般的によく言われる理由として、厄をひとりでかぶるのではなく、みんなでからう(背負う)ということだそうです。宴席に行きますと、主賓となる厄年を迎える方が上座にいて、その面前にはでっかい鯛が鎮座しているという構図になっています。大相撲の優勝祝賀会みたいな感じ、と言ったら伝わりますでしょうか(私が見た限りの話で、幹事の差配により色々な流儀があると思います)。
かつては対馬以外でも、九州を中心にこんな感じの風習があったらしいという話を聞いたことはありますが、最近では「なんで人のために厄をもらわなきゃいけんのか!」ということで、ほぼ廃れたようです。
世の中が世知辛くなったのかと思いつつ、対馬では宴会をするための口実を残しておいたのかな、と思うところも。
以前、佐世保の飲み屋街を徘徊していたところ、ある居酒屋さんの看板に、宴会の一例で「厄入」と書かれているのを島外で唯一見かけましたが、そのことを知らない人にとってはナゾすぎますよね。
興政山國昌寺
厳原南保育園の前を通り過ぎ、もう少し登ると左手の高台に、國昌寺というお寺が見えてきます。
こちらは、対馬唯一の日蓮宗の寺院で、日奥上人と呼ばれる僧侶が開きました。
日奥上人が対馬に来た経緯ですが、1600(慶長5)年に「不受不施」の思想と相容れない徳川家康の命令を拒否したため流罪となりやってきました。
その後、赦免され開かれたのが國昌寺です。
対馬は、国益を考える上で重要な場所ですので、誰かが島流しされた話はないのかと思っていましたが、全くないわけではないようです。
國昌寺の住職は、先日対馬高校商業科の授業をしていただきました、作元功照さんです。
厄入りの祈祷の流儀は、各宗派で異なりますが、こちらでは水浴び「水行」を行います。もちろん冬もです。
さいごに
これまで、「国分」や「今屋敷」ばかり回ってきましたので、ちょっと違う趣の路地もあるのをお感じいただけましたでしょうか。
「厄除け祈祷」は節分までに済ませるものですので、最近あまり良いことがないというみなさま、気分転換にいかがでしょうか。
詳しくは、國昌寺Instagramをチェックするか、直接お問い合わせください。
※「水行」をしているのは國昌寺さんだけですので、「水をかぶるのはちょっと…」という方は、他の宗派のお寺に尋ねてみてください。
・國昌寺Instagram
https://www.instagram.com/kokusyoji/
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