#203_【観光ガイド】ジブンの「好き」をどのようにしていきたいか考える授業#1_上野芳喜さん
先日対馬高校商業科の生徒と一緒に対馬のまちの中からお気に入りを見つける授業を行いました。
その様子を弊社noteに書きましたが、新聞にも掲載してもらいました。
思っていた以上に生徒たちがまちの中を観察し、そして想像以上にたくさん「お気に入り」を持っていることを知り、大変興味深かったです。
しかし、まちは移ろいゆくもの。人々のライフスタイルが変われば、昔ながらのものが廃れたり消滅したりすることもあれば、新しいものに置き換えられてしまうこともあります。
近年では、テレビやYouTube などから全世界の情報が気軽に手に入る時代になり、そのことがすべて悪いとは思いませんが、地域の文化が失われ、まちの画一化にもつながっていると感じます。「うちのまちも、都会と同じにせんばいけんたい!」という感じに。
ですから、うかうかしている間に「まちにあったお気に入りがなくなっていた」ということも起こります。
対馬の場合、大学ほか高等教育機関が島になかったり、島にある仕事も限られたりしますから、高校あるいは中学卒業後、ほとんどの生徒が島外に出てしまいます。
せっかくふるさとのお気に入りを見つけても、一時的に離れていて戻ってきたらなくなっていた、という現実に直面することもありえます。
そこで今回は「城下町 厳原の景観を考える会」代表の上野芳喜さんをお招きし、ジブンが見つけた「お気に入り」をどうしたら残しつづけられるのかについて考えるお話をしていただきました。
上野芳喜さんってどんな人?
生まれは厳原で、厳原幼稚園、厳原小学校、厳原中学校、対馬高校を卒業後、若き頃はロックンロールやハリウッド映画が好きで、東京やアメリカにあこがれ、Gパンを履き都会を闊歩していたそうですが、30年ほど前対馬にUターンされました。
現在は、浅茅湾でシーカヤックツアーをしている対馬エコツアーや海洋ゴミ問題に取り組んでいる対馬CAPPAの代表であり、厳原で飲み会があったあとのたまり場になる「風音家」というバーのマスターでもあります。
授業のあと、ある生徒の感想に「なぜここまで対馬のために色々なことをしようと思ったのか」と書かれていましたが、上野さんは「対馬のためというか、自分のためかもしれない。自分がやりたいことが「一番好きな対馬(故郷)」のことだったと思う」とおっしゃっています。
シーカヤックからなぜ景観保全活動に?
若い頃は対馬の景観について特に考えることもなかった上野さんですが、対馬にUターンし、シーカヤックと出会って考え方が変わったとのこと。
湾という地形は、風も波も穏やかで人の営みが築きやすいことから、一般的には家屋や別荘や電信柱など人工物が立っていることがよくあるものですが、対馬の中央部に位置する浅茅湾にはそれらがほとんどありません。
1300年前の古代の景色がほぼそのまま残った場所を、シーカヤックを漕ぎながら楽しめます。
そして、シーカヤックのフィールドになっている金田城跡や対馬について、上野さんはこのようにおっしゃっています。
カヤックで古代山城が見られるのは対馬だけ。冒険しながら、安全に古代の史跡も楽しめる。
金田城のある城山の中には、1300年前に築かれた石塁と100年前の陸軍軍道が交差する場所もあり、土木技術の視点からも面白い。
韓国からとても近いのに、日本の城下町ができるというのが奇跡であり、歴史の面白さでもある(シーカヤックですと、対馬から朝鮮半島まで7時間くらいで渡れるそうです。一方福岡は、1日がかりでも厳しいそうですが)。そして、日本というかたちで磨き残していくのが、また観光の視点として面白い。
「カヤックで古代の史跡も楽しめる」くらいの話は過去にも伺ったことがありましたが、そこからどのように城下町の景観とつながるのかは知らなかったので、私も新たな視点を得ることができました。
「城下町 厳原の景観を考える会」の活動が始まった経緯
江戸時代、桟原屋形を造営した際に港から整備された「馬場筋通り」は、整備された当時から最近まで道幅が変わらなかったそうで、いまの感覚では「車がかろうじて対面通行できる程度の狭い道」と感じますが、江戸時代は人と馬しか通りませんので立派な大通りだったと推察されます。その通り沿いに家老屋敷が並んでいましたので、私が移住してきた10年前でも、もっと石垣や漆喰の塀が並ぶ風情のある通りでした。
しかし、歩行者のスペースが狭かったことなどから、現在道路拡幅工事が行われています。
ストーリーテリングとしては「江戸時代から現在まで同じ道幅です!」と説明したほうが観光客に刺さりそうですが、狭い側溝の上を自転車で走るじいやんに冬の突風が吹こうものなら、普通に車を運転していても接触しそうでしたので、こればかりは致し方ありません。
拡幅工事の過程で、道路沿いにある建物や塀を奥に引っ込めることになったのですが、対馬南警察署の石垣移設において入札の金額が折り合わず工事が進まないので、石垣を復元するのではなくブロックにしようという話が持ち上がりました。
その後仕様を変えたことにより応札が済み、手続きが規定通りに粛々と進んでいくこととなりますが、そこの石垣がなくなったら大通りがブロック塀で並んでしまうので、どうしても石垣を復元してもらいたい(補足:ただでさえ目立つ場所な上に、公的機関がある場所の工事です)と、上野さんらが署名活動を始めました。
そうしたところ、たった2日間で3,000人の署名が集まり、住民も城下町の石垣を残したいと思っているんだ、自分だけではなく住民の思いは一緒だったんだ、と感じたそうです。
この出来事をきっかけに、城下町の景観を守っていきたいということで、「城下町 厳原の景観を考える会」(以下「景観を考える会」)が作られました。
景観を考える会の活動とそこから見えてくること
「景観を考える会」では、城下町にある建屋の外壁の色や看板の文字などについて、城下町にそぐわないものに対して設置者に修正をお願いし、対応をしてもらっています。文字はハングルだけでなく日本語を加えてもらうとか、周囲と調和する色合いに抑えてもらうとか。
といっても、ネット上で見られる「なんちゃら警察」のように、取り締まりの目を光らせているとか、文句を言いに行くとかいう類いではありません。
例えば、免税店が八幡宮神社横に移転する時は、当初駐車場を広く取ろうとし、建物を2階建てにして壁面にモデルの写真を大きく掲示する計画でした。
そこで、当時の店長のところへ話しにいったところ「私も神社の隣にハングルはイヤです」と言われ、すんなり話が動いたそうです。
私は韓国の事業者さんとの接点があまりありませんので、「ホントですか?」という感じでしたが、上野さんは「対馬に来ている韓国人は、対馬が、日本が好きだから分かってくれる人は多い」とおっしゃいます。
生徒からも「相手と話をする時、どんなことに気を付けているのか知りたい」という感想がありましたが、「相手の立場になって言い分を十分に聞く」とのこと。
出店側としては、投資する以上、お客さんから認知してもらい元を取る必要がありますし、経済活動の自由もありますから「利害関係のない他人からとやかく言われる筋合いなどない」とブチ切れられる可能性もあります。
ただ一方で、投資する側にとってはインバウンド観光客に来てもらうことが大事なわけですから、景観の色や文字に余計な経費をはたいたとしても、お店がある場所が素敵であると感じてもらい、結果訪問者が増え売上につながればそれでいい、という決着の仕方もありえます。
また、業態によっては地元市民もお客様になりえますから、あながち強者の論理で無下にされるとは限らない気もします。
補足しますと、厳原のマツキヨさんが聞く耳をまったく持っていないわけではなさそうですので、一方的に非難したところで、問題は余計にこじれる感じのようです。
そして、長崎市内のマツキヨの看板がなぜこのようなカラーリングなのかについては、一個人の推察ですが、ランタンフェスティバルの時に見栄えが悪くなるからなのだろうか、と思います。
回りくどくなりましたが、つまるところ声を上げなければ伝わらない、話してみないことには分からないことを物語っているのではないでしょうか。
対馬における景観保全の実情
数ヶ月前、行政の担当の方から実情を伺う機会がありましたが、石垣は私有財産であることが一般的ですので、その保全に公金を投入することが果たしてどうなのかという問題が立ちはだかりますし、屋外広告物については経済活動の自由がありますので、権力で一方的に抑え込んでしまうことが適当なのか、という問題にも直面します。
ならばどうすれば良いのかということですが、そこに画一的な答えはないと思います。
市民が、できるだけ江戸時代の城下町に近い状態にしてよそにはない風情にするのが良いと考えればそうすればいいわけですし、それではバリアフリーに逆行して不便ということであれば、例えば石段をスロープにしたり、玉砂利をアスファルト舗装にしたりすれば良いでしょう。
もちろん二元論で語るのではなく、何が大事であるのかを天秤にかけ、残すところ、変えるところを考えても良いと思います。
本質は、どのような落としどころになったのかではなく、落としどころを付ける過程に住民の意志があるのかではないでしょうか。
もうひとつ付け加えるなら、景観保全のルールが外国人に対しても含め誰にとってもわかりやすく明示されているかというのもありますが。
誤解なきよう補足
このような話をしますと、大資本はけしからんとか、あなたは右だの左だのという話になりがちですが、
上野さんはあくまで
「まちの中にお店はあってほしい」
「空き店舗が増えているので、投資をしてもらいたい」
「国境の島として、インバウンドと一緒に心から交流しながら発展していきたい」
という想いから、この活動をされています。
その一方で、地先などの文化、しきたり、海洋をはじめとする地域資源などを守ることも大事なので、そこは主張しないといけない、とも。
対馬の三聖人に挙げられる雨森芳洲先生も、朝鮮との外交の中で、向こうの文化や歴史を学び言い分を思慮しながらも、対馬藩として譲れない言い分を伝える丁々発止のやり取りをしてこられました。
そのようなやり取りを経たからこそ「誠信の交わり」、そして友情につながったのでしょう。
もともと対馬は架け橋になってきた場所、
排除、差別をするのではなく一緒に考えよう、
対馬はそれができる、と。
生徒からの感想
コロナが明けたからでしょうか、今年は高校卒業後島外に出る高校生が多いらしいというウワサを耳にしていますが、上野さんの話を聞いた生徒からは、
「対馬の歴史や自然の魅力を島外の人に伝えたい」
「ボランティア活動に参加したい」
「対馬を出る前に存分に楽しみたい」
という感想を多くいただきました。
また、
「好きなことに突き進んでいく姿勢」
署名活動をはじめ「やりたいことを成し遂げようとする行動力」
が印象に残ったという生徒も多かったです。
今回の授業をきっかけに、はなから何もせずに諦めるのではなく、最初に「自分には何ができるだろうか」と思考するクセが身についてくれたらうれしいです。
ちょっと宣伝になりますが…
上野さんのように、江戸時代の城下町の風情を残したいという先人の想いがあって、現在の厳原、そして対馬の景観が成り立っていることをお感じいただけましたでしょうか。
私も観光ガイドとして、「城下町厳原」「浅茅湾」「白嶽」などの資産を利用する立場ですので、微力ではありますが、今後景観保全活動に関わっていきたいと考えています。
私の目から見て、対馬の方々の意識が相対的に低いとは思いませんが、当たり前だと思っている景観を客観的に捉え直したり、いまも残る景観の価値は歴史の積み重ねでしか生みだせないものと認識してもらう必要があると考えます。
島外の方々に、対馬の景観保全活動の現状や今までの取り組みなどを紹介するまちあるきコンテンツを造成し、将来のあるべき姿について関心を持つ市民の方が増えるように努めていきたいと思っています。
教育関係者や建築・まちづくり関係に携わる方など、景観保全活動に興味があられましたら、些細なことでもかまいませんので、下記のお問い合わせフォームからご連絡いただけますと幸いです。
さいごに
ここ数年、対馬の海洋漂着ゴミ問題の注目度が上がり、上野さんのインタビュー記事などを拝見しますと、聖人君子のような感じになっていますが、ご本人とお話しますと「昔からそんなことはなかったよ」と自然におっしゃるところが、人として信用できますし、そこで暮らしているリアリティが感じられるところなのだろうかという気もします。
良し悪し色々あるかもしれませんが、都合の悪い過去を包み隠さず自然体でいらっしゃる方が多いのは対馬の人の魅力ではないかと感じます。
講話を聞いた生徒たちにも、そのような先輩に倣い、対馬の歴史と自然、そして人としての魅力を島外の人たちに発信してくれることを期待したいです!