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#224_【まちあるき】いい路地あります_国分町通り(対馬市厳原町国分)

また「路地」に戻ってきました。
これまでの記事で、国分地区の川端通りから大町通りの間は書き終わりましたが、大町通りを越えた西側にも続いています。
もうここまで来たら、全域制覇したほうが良かろうということで、もう少し国分地区を取り上げます。

今回は、大町通りから西に伸びる「国分町通り」を紹介したいと思います。


国分町通り

「国分町」という地名が目に入り、ワクワクされた方もいらっしゃるかもしれませんが、残念ながらここは仙台ではありません。
そもそも、仙台にあります繁華街は「こくぶんちょう」と読みますが。

余談ですが、対馬藩宗家と仙台藩伊達家は、互いに助け、助けられた間柄になります。

だんだん話が脱線しそうですので、路地の紹介に移ります。

【大町通り側の入口です。】
【入口右側の建物の背後に敷石、何が立っていたのか気になります。】
【少し歩き、振り返って地蔵堂です。】
【地蔵盆の時はこんな感じでした。】
【塀の足元に色の違うコンクリートが。】
【「生き埋め」にされた境界標です。】
【こぎれいな漆喰の塀です。】
【反対側からです。】
【ラーメンどんぶりのような模様のブロック塀です。】
【対馬市役所側の入口です。】

郷宿

「郷宿」とは、江戸時代「郷」(ごう)と呼ばれる各地域から府中(厳原)に登ってきた時に、それぞれの郷の出身者が泊まる宿です。
島内には、豊崎、佐護、伊奈、三根、仁位、与良、佐須、豆酘郷の8郷あり、城下町にそれぞれの郷宿がありました。
そこには各郷から派遣された使いがおり、常駐して毎年藩主に献上する馬を飼育していました。昭和30年代までは、民宿としてその名残がありましたが、いまはなくなってしまいました。
このあたりには、三根、豊崎、佐護、豆酘の4つの郷宿があったそうです。

【国分町通りから数十メートル離れた場所になりますが、豆酘(つつ)郷宿の跡です。】

さいごに

厳原港や久田道方面から対馬市役所に行く際、この通りを抜けるとティアラ前の信号に引っかかることなく行けてしまうため(しかも、時差式なので待ち時間が地味に長い)、見た目と裏腹に抜け道で通る車が多いです。
ここに限らずですが、他所から来た人からしますと「なんで?」と思うくらい狭い路地でも当たり前のように車が入ってきますので、徘徊するときには注意しましょう。


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佐藤雄二_ビーコンつしま
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