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#215_【まちあるき】いい路地あります_池ノ神小路(対馬市厳原町今屋敷)

過去の記事で、ドヤる感じに「国分地区だけであと5本は書けそう」と書いてしまいました。

いざ書き出してみますと、さらに1・2本いけそうなくらい撮れ高が膨れあがっています(苦笑)。
しかし、このまま国分地区で書き続けてしまうと、良い路地は国分地区にしかないと思われてしまいそうですので、いったん別の地区に移りたいと思います。

厳原の城下町は地区が細かく分かれていますので、大して遠くに飛びませんが、今回は今屋敷地区にあります「池ノ神小路」を紹介します。


池ノ神小路

「池ノ神小路」は、対馬市交流センター、十八親和銀行対馬支店、東横INN対馬厳原のある大町通りの交差点から、厳原本川に架かる一ツ橋までの路地になります。

【横断歩道で韓国人観光客が謎の動きをするのはパンダのせい?】
【どこの横断歩道でも歩行者がいれば車は止まらないとダメですが、ここは歩行者がいたらほぼ確実に止まります。ドライバーの方は追突注意です!】
【「ふれあい通り」ともいうそう。そして、ここも暗渠です。】
【東横INNの石垣は、きれいな段になっています。】
【立派な門のあるお宅とおかだ屋のビルです。】
【風の影響なのか、ぶつけられたのか、どの標識もあさっての方向を向いています。】
【今日のガードパイプその1】
【今日のガードパイプその2】
【一ツ橋側の入口です。川端通りから銀行の間は一方通行ですが、たまに逆走する車もいます。】

池神社と「今屋敷」の地名

その昔、神社があるあたりに「男池」「女池」と呼ばれ祀られていた池があったそうな。
1526(大永6)年、島主の宗将盛がその池と周りの湿地を埋め立て、中村屋形から新しい屋形を開いたので、「今屋敷」という地名が付けられました。そして、その屋形は「池の屋形」と言われています。
しかしながら、家臣らの謀反により2年で焼失し、その後金石の地に移転したため、多くは謎に包まれています。
埋め立ての祟りなのでしょうか…。

【池神社の由来です。】
【池の屋形跡の解説版です。】

さいごに

そのような場所に、対馬一の高層建築物が立つのがまた不思議ですが、土地がなく必要に迫られて造成するあたりに至っても、昔も今も変わりませんね…。


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佐藤雄二_ビーコンつしま
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