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#214_【まちあるき】いい路地あります_三軒屋(対馬市厳原町国分)

対馬の古地図を紐解きますと、江戸時代前期に対馬を治めていた対馬藩三代目藩主・宗義真公の時代に、現在まで残るインフラが数多く整備されたのが確認できます。

【冬の「対馬藩お船江跡」です。いまで言う「ドック」の役割を果たしていました。】
【江戸時代に開削された運河「大船越」です。現在も普通に利用されています。】

「西国一の長者」とも言われた、それほどの財力があった背景には、朝鮮との交易がありましたので、城下町府中(現在の厳原)では、港や多くの家臣、商人らが拠点とする場所が整備されます。とはいえ、平らな場所がほとんどない対馬ですから、掘削やら埋め立てやら、さぞかし大変だったことでしょう。
そして現在は、こうして「まちあるき」が楽しめるわけです。(何か違う?)

今回は、当時の玄関口であった「三軒屋」の路地を紹介します。


三軒屋

浜町小路から海側の一帯のエリアを「三軒屋」というようです。
実は、西の浜の交差点(大町通り、厳原大橋、臨港道路からの道)と浜町小路の間に、もうひとつ路地があります。

【大町通り側の入口です。】
【路地を少し歩き振り返るとこんな感じです。】
【味わい深い外壁です。】
【植物の生え具合も絶妙!】
【浜町小路に出られる「路地 of 路地」です。】
【意外と大きい建屋が多いです。】
【蔵の跡でしょうか。】
【玄関前に海岸とイスです。】
【濱町橋で浜町小路と合流です。】

中矢来

古地図を見ますと、港を整備したときに「中矢来」という防波堤が築かれたと描かれています。
しかし、現地に行きますと、素人目にはそれらしきものが見当たりません。一体どこにあるのでしょうか?それとも、東京湾の第三海堡のように船の往来のジャマになるということで壊されたのでしょうか。


【道路の足元にご注目!】

正解は、厳原大橋から西の浜の交差点につながる道路の下敷きになっています。対州海運さんの岸壁や対馬唯一の回転寿司屋さんもあります。

【対州海運さんです。】
【回転寿司の「すしやダイケー」さんです。】

中矢来から見る三軒屋はこんな感じです。

【中矢来から見る三軒屋です。】
【海にせり出した作業台?が良いですね。】
【潮が満ちていて分かりにくいですが、階段になっています。】
【対馬にも「目型」のガードパイプがあります。】

さいごに

ぶらぶら歩くのがお好きな方は、浜町小路とセットで探索してほしいです。
できれば、「路地 of 路地」も。
ちなみに、この通りでも普通に車が通りますので、細い路地だからといって油断なきよう…。


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佐藤雄二_ビーコンつしま
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