#2 アメリカで初めての就活と出会い
その夏は私にとってクレイジーな夏だった。学校を卒業したのに就職も決まらず、どうしようもない不安に襲われたり、アパートも決まらず。これからのアメリカ生活に一人で生きる自身が無かった。ただ大学を出ただけなんて皆もっとすごい学位を取ってるのに、まして日本人で英語も留学生並なんてアメリカでは通じない。。。履歴書を何十枚送ってもどこからも反応がない。当時サンフランシスコ、ベイエリアでは、アパート代が高騰し、収入もない無職の私には不利になっていた。それならいっそ日本でリッチなダンナの元で贅沢をしてくらす方が良いのか。。。この選択が出来きずに悩んでいた。
彼は、初めて会った私に、真剣に付き合っている彼女がハンガリーに居ると言った。でも1時間も続いた話の中で、最後の方だった。15年も前に離婚した奥さんとの事を散々聞かされた後。私が今住むところがなくて困っていると言うと、「何とかして助けてあげたいから、僕の知り合いの日本人女性を紹介するよ」といって、電話番号を教えてくれた。
彼は私の事をどう見ていたのだろう。日本人に興味があったのだと思う。私のスリムな足や歩いている姿を見て「話てみたいと思った」と後から聞いた。
それから少しすると私は初めてアメリカでの就職が決まった。就職と言ってもアメリカの大学を卒業した後のOPTという研修期間だ。それと同時に住む家も決まった。バークレーの狭くて汚いアパートだが、選択の余地はなかった。私の人生がまた動き出した。「あの時カフェで会った彼と同じ町。でも、だから、この町に住むことにしたのかな?」と密かに思った。
9月にロサンゼルスで研修を終えてバークレーに帰ってきたとき、彼にメールをしてみた。「この町に引越してきました」という短いメールだった。そうすると彼の方からすぐ「Welcome!」と返事があった。そしてハンガリーから帰ってきたら是非会いましょうと書いてあった。
私は9月から超忙しくて超貧乏な生活を送っていた。「就職をしたから、もう仕送りはいらない」と言って、日本のダンナからの毎月の仕送りをとめてもらっていた。お金は必要だったけど、人の助けを借りないで自立したかった。その後4ヶ月は全く収入が無く、貧乏のどん底だったが、それでも仕送りは強請(ねだ)らなかった。これが今でも私の自信に繋がっている。