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植物と「当たり前」

こんにちは、Be greensideです。

昨日は、私の誕生日でした。

いくつになっても嬉しいものですよね。
でも、今年の誕生日は、なんだか朝からモヤモヤの連続でした。

なぜかというと、
誕生日を忘れられていたり。
当たり前の日常に特別感を見出せなかったり。。

後から振り返った時に、なんでかなぁと。


一つの答えとして出てきたのが、

「私にとっての当たり前」

これが強くなり、
期待値を勝手にあげていたな、と感じました。


相手が優しく何かをしてくれた時に
その時はありがとうと感じ、嬉しい気持ちでいっぱいになる。

でも、それがいつしか
「当たり前」
となり、

さらに
「もっと、もっと」
と期待してしまう。

そして、いつしか
相手が親切心で、
やってくれたことに対して
「不平・不満」
をいうようになる。


あーーーー・・・
このメカニズム。


植物からも、教わっていたなぁ


植物の水やりも同じで、
植物に水をあげる頻度を
甘やかして
常にあげていると、

急にやめた時に
すぐに枯れてしまうのです。

そう、それは、
その頻度で水をもらえることに慣れて
根っこがその状態を前提に根を張るからです。


でも、もし水をあげる頻度が変わってしまったら
植物は次に水が吸収できる場所へねを張り直していきます。

つまり、環境に依存しないで、
また環境に適応するように
主体的に動く。


そう、だから私も同じ。
相手がしてくれることに依存するのではなく、

自分がどうしたらご機嫌でいられるのか
自分で適応していくこと。

これだな、と。


そして、一番は
「当たり前」になっていたことは
「有難いこと」だったことに
気づくこと。


特別なことをしなくてもいい
ただ、毎日が当たり前になるくらいに
平穏で無事に過ごせていること
そして、
ちゃんと愛情が行き来していること

それを信じ、認めることができている。

その状態をありがたいと感じる。

わざわざカッコ良い言葉で着飾る必要もないし、
それを相手や周囲の人に、あえて言葉にいてもらわなくとも

ちゃんと自分で、感じられれば良い。


私、認められたかったんだなぁ
自分で、認めたかったんだなぁ


どこか、日常の忙しい自分を
誰かに認めてほしい
誰かに褒めてもらいたい
誰かに愛されていると感じたい
誰かに大切にしてもらいたい

そう感じていたなぁ・・・

土台にある欲求がムクムクと姿を現しました。


この気持ちをまるっと受け止めて
「そっか。そっか。認めて欲しかったんだよね
愛されていると感じたかったんだよね」
と理解して、
頑張っている自分を ぎゅっとして
「いつも、ありがとう、よく頑張っているね、お疲れ様」
そう、言葉をかけました。



私が私をちゃんと、認めてあげてられていなかった。
それに気づけ、軌道修正すると、

すーーーーっと
なんだか心がスッキリ。


誕生日は過ぎてしまったけれど、
毎日が誕生日と同じ奇跡の連続。

今日、改めて
ハッピーバースデー、おめでとう、私。








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