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春から住んでいた祖父母宅での生活に 膝を折ってしまった私のいまについて、その暮らしを どこを最終着地点とするでもなく綴ってみる。


あまりにもおぞましく、苦しいことは 文字に起こすのもどうにも耐えがたくこわい、という感覚があるので  文字に起こせる程度のことを、指が動くままに羅列してみようと思う。

私がお手洗いの個室に入ると、「個室が埋まってしまっている」という不安からであろう、きまって祖母は狂ったように扉を叩く。

(想像に難くないことでありましょうが、)ドアを殴打し絶叫されては、からだも心もこわばってしまって、まともに身体から必要なものを排出することもできない。
そのため、私は近所のコンビニにお世話になることも多かった。しかし、それもまたなんだか申し訳がない気持ちがあって、御手洗に足を運ぶという行為自体が良くないことだという強迫観念をおぼえてしまうようになった。
そんな強迫観念によって、人間の生理的なはたらきも抑制されればよいが(よくはない)、悩ましいかなそのようなことは起きるはずもない。お腹に空気がたまってしまって、毎晩腹痛をかかえてまるまって泣いている。


私の部屋は四畳半の物置である。
一応、そこが私の避難場所として確保されているのだ。
目が回るほどにせかせかと、成る可く急いで家事をこなすと、私は逃げ帰るように部屋に戻った。
食事を作って、一緒に食べる。でも、食卓にのぼる祖父母の話題にどんどん心がぺしゃんこになる。
ふっくらときれいな身をしたさばも、白米もどんどん砂のように味がしなくなってくる。

もとより食いしんぼうで食べることが好きな私は、それが本当に悲しいことだった。そのため、まだちゃんと食べ物が美味しいうちに、大慌てでろくに噛みもしないでごはんを食べた。そして一目散に部屋に向かうと、部屋に溜め込んでおいたお菓子をゆっくりゆっくり食べた。部屋で食べると なんでもちゃんと美味しいので、つい過食をしてしまう。
私は高校時代から5キロ以上体重が増えてしまった。
(そのあとは大抵床に座り込んでぼうっとしていた)


しかし、そんな避難場所の部屋も、物置であったため ドアがぴっちりとは閉まらないのだった。

先方の(ため息まで!)生活音も、またこちらのあくびまでもが筒抜けである。
そういった中で、祖父の怒鳴り声や祖母の大きな足音が聞こえると 気にするなと言われても理屈なんてもはや働かないようなところで、びくりと身体をすくませて動けなくなってしまうのだった。
そんなとき、私の胃がぎゅっとねじれて胃酸に脳味噌まで全部が漬かってしまうような心地がした。気持ちが悪くて、お腹が痛くてずっとだんご虫のように丸まっていた。最近はもはや反射のように、祖母の足音だけで食べたものを戻してしまうようになった。



私はイヤホンで音楽を聴くのが好きだ。
どこへ行くにも何をするにも音楽を携えていて、悲しいときも嬉しいときもずっと身につけている お守りのイヤホンがある。

でも、苦しさから逃げ出すために 耳栓としてつけるイヤホンは、私の耳をただふさぎ、閉塞感で視野をどんどん狭めてしまうだけのものだった。
それまでずっと心地よく、ヴェールのように自分を包んでくれていたはずの音楽が、私の両耳をただ圧迫し呼吸を浅くするだけの雑音に変わり果ててしまうのだ。

私はどうにか耳をふさぎ、視界が灰色になるような罵詈雑言から自分を遠ざけたいのだけれど、大好きな音楽を汚してしまうことのほうがよっぽどしんどい、いやだと思った。だから仕方なくずっと、呼びつけた業者を罵る祖父の声を耳に注いで布団を被っていた。
また、スピーカーで音楽を聴けば、それを聞きつけた祖父に「なんだお前元気じゃないか」と家事や買い出しをどんどん頼まれてしまう。



ドアの向こうから音がするので...、というか 私がその音を過敏に拾ってはえずいてのたうち回ってしまうので、ふかく眠ることもなかなか叶わなかった。
一日10時間寝ても、ずっと眠くて生活ができなかった。

家の中にいると胃が本当に すりきれてしまうのではないかと思うので、私は外に出たいのだけれど、外に出ても眠くて仕方がない。
飲食店であってもデパートでも、私が倒れてしまっては迷惑であるし、おおごとになってしまうのもこわい。しかしホテルや宿泊施設は高いし、日々繰り返しそういった施設で寝させてもらっていては、私がどれだけ身を粉にして働いてもまるで追いつかない。

困り果てた私は、それもつい昨日のことである、駅の目の前で「急行」と書かれたバスが停まっているのを発見した。

よくわからんが急行である。
そのときの私は閃光を見出したような気分で、考えるよりも先に体が動いていた。
急行ならばどこか遠くとおくに行ってくれるはずで、それに何かしらの公的なバスであれば 安全が保証されたかたちで自分を攫ってくれると思ったのだ。渡りに船である。

これ本当にどこに行くんだ〜と思いながら、窓際に座ってぼーっと流れる景色を見ていた。
私はここで、安全な状態で 車に揺られるのが大好きっぽいことが分かった。景色がゆっくり変わって綺麗だった。
高速に乗った瞬間、あ、もう乗っちゃったんだ、戻れないんだ、と急にぱっと体調がよくなっていくのを感じた。血圧測定が終わって、締め付けがふわっととれていくときみたいに 血がちゃんと巡っていいうような感覚だった。
心地よく、ほどよい不規則なリズムで揺れてくれる車内と やわらかい暖房、コロナ禍もあってかしんと静まり返ったバス車内に私はとてもほっとした。そのうちに私は眠っていたようだった。

案の定終点までぐっすりと(夢を見ないで眠れたのは久しぶりであった)眠りこくっていた私は、謎に某有名な浜辺まで来てしまっていたらしかった。
それが日の出ている日中であれば、水面Loverの私は身一つ、何も考えず大はしゃぎで海まで走っていたことだろう。
しかし私が終点まで辿り着いた時、すっかり日は落ち、辺りは真っ暗だった。
どうしよう と途方に暮れ、とりあえず夜の海でもきれいかなと思い立った。バス停そばの事務所に佇むおじさんに声をかけ、海までの道を聞いた。
お嬢さんひとりで行くの?とやさしい声で不安げに訊ねられるも、大丈夫夜の海も好きなんです!と いま振り返ればとんちんかんで どこからその能天気が生じるのかと頭が痛くなるような返答をして歩いた。

しかし道の真ん中くらいで、辺りに街灯もなくなり、人っ子ひとりいない真っ暗な田舎道に迷い込んでしまった。
私は急にぞっとした感覚をおぼえ、何度も後ろを振り返った。
街灯も無いので、前も後ろも数メートル程度しか確認がとれない。


私はなんてばかなんだろうと思った。
いっぱいいっぱいになって、自分を守ろうとして、でも全然上手く出来ずに 怖いところに来てしまった。
私が「好きなので大丈夫」と言った夜の海も、隣で一緒に見てくれたひとが居たから ただ綺麗だと思えたのであって、沢山たくさん気を回して擦り切れているようなつもりの自分が、気付かないところで安全をつくってもらっていたのだと情けなくなってきた。

とりあえず半分しゃくりあげながら、それを悟らせるまいと頑張りながら弟に電話をかける。
私の声の後ろに聞こえる妙な足音で察したであろう心優しい令和のテキトー男は、結局二十分くらい通話をつなげてくれていた。(途中でファミマをみつけ、ファミチキを購入し 音フェチ通話やりまーすと言ったところで切られた)(そういや入店音と購入時の店員とのやりとりは聴いてくれてたんだな...と思う)。

そのあとはバスの事務所でおじさまに散々笑われ、彼は奥から若いtofubeats似のお兄さんを連れてきた。お兄さんは次のバスが出るまでの30分、自分だけのためにバスの中で待たせてくれた。エンジンを入れて暖房をつけてくれたのだ。
私は本当になさけなく、しょうもない小娘である。出世払いで頭を下げなければならない場所が多すぎる。うかうか死ぬこともできない...。

あと少しで、私が物件探しに奔走した新居に移ることができる。
そこも、私が満身創痍でどうにかつないでいるアルバイトでカバーできる程度の格安の寮である。不安要素もいっぱいある。

新しい場所でも、おだやかにただ暮らすことができなかったらどうしようと思う。
幸せ、だったらもちろん一番いいけど、幸せとまでいかなくてもいいからただふつうに暮らせたらいいとずっと願っている。それはそんなに贅沢なことなんだろうか?と聞きたいときがある。

どうにかなってほしいと思う。どうかどうか。


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