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雑記


眠れなくなった。バカモ〜ン!!!!生活リズムを正したいのに。しょうがないから書きます。

(心にうつりゆくよしなしごとを)


📄どうでもいいような (少女、少年)

どうでもいいような夜だけど〜...♩とimaseのNIGHT DANCERでは唄われる。

幼少期に歌い手のsou君とかあの感じが好きだったから、(血圧の低そうな、ゆるくて爽やかなあの声質) imase君のあのライトな歌い口は耳に馴染みやすい感じがする。

なんとなく耳が疲れない感じでたまに聴くのだけれど、MVを見たらこれが、本当にどうでもよさそうにうたうのだ。(いいね)
愛して、とかってセリフまでもめちゃくちゃ執着なさそうに、ほんと生返事みたいにうたうからわ〜んってなってしまった。

濃さのない端正な目鼻立ちで、陶器みたいにつるんと引っかかりの無い姿をして ほんとに何にも本腰を入れてないみたいに、すとんっと目線を滑らせて吐き捨てるみたいに居るのである。


私はあの少年とか少女の、なんにも執着がなくて、全身からすとんと荷がおりているあの感じに ちょっと異質な気の掛かり方(惹かれる意味で)をしてしまう。憧れるとかは思わない。けど目がいく。
どうでもいいような、って言いながら、ほんとにふらっとどこかに消えちゃいそうな、全部急に捨てちゃいそうな感じ。
なんか老婆心だとちょっと心配になっちゃうような、危うく儚い足許のおぼつかなさ。あれってちょっときれいなのだ。


私は (それが有るから今ここに居てる気もする、それが無ければ居られなかった気もするから  悪いことだとは思っていないけれど)、
しんどいのにめっちゃ諦めが悪くて、生きることへの諦めの悪さ、執着みたいなものがすっごくねっちり強い方だと思う。
だからすっごく泥臭くてバタバタしてはわんわん泣いてばかりいる。

そんな私の対極にあるのが、少年少女の、あんなかるさで どうやってその両の足で立てているのか想像もつかない憂いの目である。
だから、「なんで?どうしてそんなふわ、っと倒れちゃいそうなはかなさで そんな風に立ってられるの??」って目が飛び出すイメージで身を乗り出しちゃうんだと思う。

ボカロの「帝国少女」の歌詞も、正に少女をありありと描いていると思う。
あのうたのなかでは紛れもなく少女がそこに立っている。
「未来などドウデモイイノヨ」ってホントに思えちゃう、(「明日が来なくたって もういいの」)
ともすると本当に危うく その一時のしがらみのなさ・錘のなさでいなくなってしまいかねないあの瀬戸際のバランス。私と違うから惹かれる気がする。あんな軽さでどうやってきみたちはそうも美しく立っていられるんだろう。

ふらっと居なくなっちゃいそうで、でもなんどもなんども些細なことで蘇る。
きれいだ、と思うし、そう思うと同時に 頼まれてもいないのになんとか生きていてと思う、謎の応援みたいな祈りが絶対に同時に背中合わせで生じている気がする。 私は肩の力をあんなふうにぐにゃんと抜くことがどうしてもできない、暑苦しい人間だから。

imaseもDAOKOも宇宙ネコ子もそうだ、ウィスパーボイスの大好きなアーティストに、私の崩れそうな気持ちを添わせながら、同時にどこか、必ずいきろ〜と思っている。本当は自分に言いたいんかもしれない。 しっかり。!!しっかり。


📄どっちでもええな(北信介の声真似)

この間、私にハイキューを教えてくれた仲良しの友人と帰るときに「そういえば前話してたいいかんじのお兄さんってどうなったん?」と訊かれた。

私は「最近になってより仲良くなれそうな感じがあるよ」という話をゆったりした。

お兄さんはかわいいものが好きで、LINEもなんだかちょっと面食らうレベルで絵文字が盛りもりだ。

彼女は「いないです〜」との下がり眉を拝見したけれども 女友達もすごく多いようで、だから私は彼についてちょっと女性的な気質を持った (分かりやすいから自分の中ではそのように表現してしまう) 雰囲気のひとなのかなあと理解しかけていた。

のだけれども、見た目はなんかゴツくて厳ついし、服装も含めてゴリゴリにいわゆる男性っぽい。なんかイヤーカフもしてる。怖え。(へんけん)

うえに、何かと「男なんて言う事聞かなきゃ肩揺すぶってやっちゃえばいいんですよ!」とか、
先方の傘の大きさに言及した時に「男なのでね.、」みたいなことを最近よく言われたりする。

何かと出会ったときに、やっぱり早目にその輪郭を掴みたいとか 把握したいと思うのは自然な事だと思う。 「フワフワしてるひと」、そうじゃない「男っぽい人」、というふうに分かりやすく理解をしたくなる。
ようやく集めた情報の地盤が固まりそうになった時に矛盾があると、のうみそがエラーを起こして混乱する。

だから、「このひと一体なんだろう...」と興味より訝しさが顔を出し始めているこの頃なのだが、
ともするとこの情報が蓄積されている土壌のかき混ぜが、いちばん楽しい醍醐味なのかもしれないと思う。
それを楽しむ余裕と経験がまだ私には無いだけで。

「ほう、それはさあ恋になりそう??」ともう一度訊かれたのだが、
「__どっちでもええなって、思うようになった__」(ハイキューの北さん声マネ)と渾身の物真似で回答した。本当にそんな感じがしているのだった。似てたらしくウケて良かった。なんかどうやら変に発揮したい時があるネタ根性を有している。なんこれ。

📃おとなな友達

友達のG (※第二外国語として履修した中国語で、彼の名前はそう発音するように聞こえるという、学生感のあるがきんちょテイストの愉しいあだ名。)  は大人だ。だからとても安心する。

彼は、直接話したり電話で喋ったりするときには誰かへのヘイトやら乱暴なことばかり発していて大変だなあと思う。すぐなんらかを殺そうとする。ボーイやな...。
けれども、話し言葉と書き言葉は違うことを弁えていて、LINEはいつも誤解のないよう簡潔だ。
送られてくる文章は、「丁寧」というほどきちんとした体裁ではないけど 静かで明晰な思慮がある。

だから用事のある時にはやいやい適当なやり取りをするけれども、何となくとても安心しきってやり取りができる。

男の子という感じで基本ぶっきらぼうだけど、ちょっとつれない (ように受け手が取りかねないと客観的に判断される) LINEがきたあとには、数十分後に追いで補足や誤解を払拭するようなLINEや、相手の表情がわかる柔和策としての文章が入っていたりする。
そういう追いLINEを画面を確認する時にとてもわはは〜良い奴だなあ〜と最高にかっけえと思うし、大人だよなーと思う。好きな友達。てきとうに長く仲良くできたらいいな。



📄横浜のこと

私は去年の夏って何してたんだろうな〜と思った。夏がもう1年前?!という、そこにもびっくりである。早い。
けどそうでもないのかなあ。意外と色んなことがみっちり詰まっている。

去年私は謎に横浜の中華街で、南九州か北九州か忘れたが、遠くに住んでいるレスリングかプロレス選手の(本当にすみません)男の子にぎゅーされてどうしようかとなっていたのでした。どうしよ〜〜〜と思ったけど特にどうもしなくてよいと判断され、爽やかに葬られた、南か北九州の男の子でした。お目にかからぬ。

横浜にはなんやかやいろんな因縁があり、港町の美しさと反するようなケッという愛憎がある。
でも、東の国の横浜に、良いでも悪いでも私と言う人間と関連する思い出が出来ていることは不思議ととても嬉しいような気もする。土地と関われている、関わらせてもらっているということだ。

生まれ育った以外の場所を、好けることも嫌えることも希望のある話だ、と思う。
これからも色んな思い出が出来てほしい。なるべくならすてきなものを。

📄もっともいい水温で好きでいる

大好きな同性の友だちと一緒にうつらうつらしていたり、悩みや嬉しかったことを 時間も痛みも忘れて話したりしていると、ああ、このひとと恋愛にならぬかたちで出会えて仲良くできてよかった、と思う。

もし私が男の心身だったら、私の大好きないまの友人達と出会えていても こんなふうには居られなかっただろうと思う。
また、性別にかかわらず 恋を介在させて(仮に恋人として関わって)いたとしたら、同性の友達として私ができないしされないことを その友達ともできたかもしれないけれど、絶対にもっと危ういと思う。別れちゃうかもしれないし、今のようには相手のことを好きでいられない瞬間があるかもしれない。だからほんとにほっとする。

恋愛にならないかたちで出会えたことを本当に有難いって思うだいすきなひと、いっぱい居る。

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