どこかに飛ばしたくなった日記
詩人の先生からの案内をうけて、詩人の集まりのような会にあいさつに行った。
夜も夜、とても遅い時間の会だったのでちょっとしり込みはしたけれど、私はしょっちゅう夜風にあたって歩いているのでそうそう抵抗があるというわけでもなかった。ありがたいな、と思っていた。
何者なのかもまだ定まらないような、はたち間際の小娘が一人でそんな会に行ったわけだけど、
もうつめつめになっている席に 途中から顔をのぞかせたら、場の中心に居た先生がなつっこく手を振ってくれた。
私はそのあとも、色んな格好をした大人たちから引っ張りだこにちやほやと話しかけられている先生を ぼやっと視界には入れながら、薄暗い店の装飾を楽しく見てはカメラでぱしぱし撮っていた。
場には溶け込んでいなかったと思うし、わかりやすく不思議な顔をした大人たちとも沢山目が合った。だけど、「入るなり先生が(あの先生が、)にこにこで手を振ったあの女の子」、みたいな感じで 周りのお客さんたちもふしぎに一拍おいたような扱いをしてくれている気がした。
マイクを持って、アマチュアの詩人たちが詩を発表しているのを聞いた。
詩人というのもふしぎなもので、自分が詩人であると自覚したならもうそれは詩人なのだろうね、という感じである。詩を詠んだらその瞬間からあなたは詩人、でもいいし、自分のなかに 発語しなくても黙った詩が眠っていると思ったならそれも詩人でいいじゃない、みたいな。
私はあんまり、感覚として自分のことを「詩人です」と言って世を渡っていくようなことが 好きなほうではないというか、私はできないししないだろうなという気がしている。私は悩んでばっかりいるし、言葉と美しいものが好きだ。だから詩歌との親和性も高いんだと思うし、紙とペンがあればもういつのまにか手が動いているしなんかできてる。
でもそれは、対外的に胸を張れるものではないなと思っている。気恥ずかしさ、甘美さ優美さにたらんと乗っかるのが人一倍好きなくせ、べったり身を預けたロマンチストにはなりきれない。ちゅうか普通に、聡明で淡々とした明晰な文章が好き。そこに詩的な余白があるとはっとうれしい。そんな感じだ。
基本的に、詩を諳んずることも 開示することもはずかしい。
ただ、そこで恥ずかしいなかで生まれた、ためらいと自然な表現の綱引きのあとにしょうがなく俎の上に乗っかったような詩やうたが大好きだ。
そのような意味で、その会では私の好きな詩はひとつもなかった。
とりわけ詩歌の世界なんて、(自分に)酔ってナンボだし、それを聴く周囲もなんか目がとろーんとしている。
私は うーん、ひとりでは空想たくましくぽうっとしているくせに、集まった場でそういうのを見ると、なんだか怖いなと思って波が引いてしまう。みんなとろんとろんとしていて、これ大丈夫?ってなる。ライブとか、音楽とかだと大丈夫なのになあ。詩で、ことばで みんなが揃って同じくとろーんとなってしまうことって、本当にあるかな?と思う。
言語、詩とか詞って皆ほんとにクセが出るところで 刺さるところが違うものじゃないのかな
詩人です!って言われた瞬間に、みんな聞く前からもううっとり頬杖をついている、それってちょっと怖いし、なんかさみしい。
私はぴんとこない詩にはふうむ、と虚空を眺めたりおじいちゃん店主と微笑みあったり(?)していたのだけれど、スーツのサラリーマンがマイクをキーンと言わせながら 喘ぎつつ四つん這いになりだしたときにはもう無理だと思って、電話を受ける振りをして席を立った。
たぶん私は詩とか、そういう界隈に身を投じるのってあんまり向いていないかもしれないなあと思った。洗練されていった、詩をつくるひとのピラミッドがあったとしたなら、てっぺんに向かうにつれどんどん研ぎ澄まされた作品とか ぐるりと世界を塗り替えられて 救われちゃうような作品とも出会えるのかもしれない。
また、きっとそれをちゃんと汲めるはずだと思う。
だけど、そこまでの道中で、四つん這いになったサラリーマンとか 読みながら近くの男の人にぐるっと手をかけるおばさまとか、いっぱい居るんだと思った。いっぱい居るし、そういう人たちと交流しながら歩いていく道なんだろうと思った。
私にはちょっとそれはしんどいだろうなと思った。
あんなの、公開の自慰行為みたいなもので そんなものに誰かを感動させるとか、あってたまらないよと思う。
その場にもうひとり、私より二歳くらい上かなあ、というくらいの男の人がいた。
なんとなく私と同じ大学生だという確信だけあった。ちょっときょろきょろしている感じと、ぼんやり服に着られている感じ、まだ何にも存在にブランド名がついていない感じ たぶん同じ種族の人間だと思う人だった(集団の中にいて、そういうのってなんだかすぐにわかる...)。
その人はずっと席が無いのに「あるかな〜いややっぱりないな〜」みたいな感じでずっとうろうろしていた。
なんの人だったんだろう。
なんの人、っていうのも 私が常々さみしがっている考え方のはずだけど、その場にふたり同じような若い人間が居たからやっぱり気になった。
私と同じように、大学の講演なんかを受けた教え子だろうか。でも先生からも周りの大人からも相手にされず構われることもなく、ずっとふらふらしている。本当になんのひとなんだろうなと思った。
私は先生に呼ばれていた時点で、なんとなくマイクを持たせてもらって、自分のつくったものを読むように言われるだろうと分かっていた。だからそんな、ちょっと居た堪れないような詩が目の前で読まれても、踊り出してもなんとなくその場に私を引き留めるものがあった。
(後半、仲良しの人のことばかり思い浮かべていた。親友ちゃんとか、聡明な関西のお姉さんお兄さん、妹、弟。一緒にいたらどんなふうに思うかなと思った。おんなじくサイアク!ってかるく笑ってくれたらいいなあと思っていた。ちゃんと座ってたけど、同じ場にいたら一緒に 汚くない言葉でだけどボロカスに愚痴りてえ〜〜って思っていた)
だけどその男の子(男の人)は、本当に誰とも話さずに、けどたぶん私と同じ感想をもってそこにいた。
同じ空間にいて、目の前に現れている何かに対して「これすげえや、」って思ったり 逆に「これって 違うよね」って思ったりしているひと、同胞みたいなのって 不思議だけど本当に分かる。
向こうもそうかもしれないし、それは聞いてみなきゃわからない。そういうときってまず聞けないし、聞かないから ずっとわかることはないままだけど、互いにそうなんじゃないかって気がする。
サラリーマンがちょっと(かなり)変になりだした時に、電話を受ける振りして外に出たら そのお兄さんも半歩あとくらいに着いて出てきていた。
その後ホントに私は友だちに電話をかけたので(同じ詩の授業を受けている女の子に)、店の外でふらふらしていた。
お兄さんはタバコをふかすわけでもなく、私と同じくアルコールも頼まずに立ってだけいた。
なんかほんとに「つまんないですね」(こんなパーティー)って声をかけたくもなったけど、ちょっとyoutuberのはなお似のお兄さんは何を考えているか分からなかったし、もしかしたら感動して夜風に当たっているのかもしれない。それはほんとうに分からないことで、押し付けてはいけない。
ふわっと予防線的に、「なんか叫んでますねえ、」って笑おうかとも思ったけど なんとなくお互いしゃべらないのが自然な気がして サラリーマンの声が終わるまで外にいた。
私が、退屈してはなかったけど うーん と内心つまんなく居て手遊びに消毒スプレーなどしていたら、その人も倣って消毒していた。
もう一回お店の中に入ったら先生と目が合って、「未成年がここに一人いるので ちょっと早めに紹介して帰ってもらったほうがいいかもしれないねえ」とマイクで言ってもらった(23時時点)。
私は読ませてもらうために、先生に出していた自分のメモとか遡りながら 大事なものだけど こんなふうに読みあげてすごいもの、では全然ないと本当に思っていた。
読んでるときに、ずっとふらんふらん歩いてた男の人が 私の真向かいでシート?みたいなところに腰掛けてまっすぐこっちを見てくれているのに気付いた。
私は読み終わって、拍手をもらって、先生と 隣で寄りかかっている奥さまにちょこっとよさげな挨拶をしたあとに なんかもう恥ずかしくてノールックで退店をかましてしまった。ホントに不自然すぎたと思うし名乗りもしなかった。ちょっとまじで照れ屋な大学生女子に見えていたろうなとか思った。古典の「ちごのそら寝」的なはずかしさ。
まあたぶんもういいわと思ったのでこれきりでいいんだけど、あの男の子としゃべらなかったのだけ、なんかもう少し勇気があったらと思った。
あの子はなんのためにあの場に居て、なにを待って残っていたんだろうと思った。それで、私のやつだけちゃんと座って正面で聞いてくれていたのはなんでだったんだろう。
理由というか、なにかつながりがあったのではないかなあ。あったらいいなと思う。
私のが良いって全然まじで思わないけど、あの場で読まれていたもののなか ちょっとでも味が違うものになってたらいいなってそれだけは思っている。
その後詩作の授業で一緒の、超絶ドライな女の子に話を聞いてもらいつつ帰って、アーウワーンあの人と話せばよかったよ〜ってべそべそ言ってたら「妖精だったんじゃない全部が、幻覚幻覚おめえの妖精」とのことであり、や〜たしかに言われてみれば全部が妖精......と思った。
先生に相手にされていなかったところをみると、きっと「あの緑の服を着た入口の男の子って誰でしたか?」って聞いても分からない、繋がれないんだろうなと思う。蒸し返してつながる話でもないのかもしれないけれど、私はあきらめが悪いから、あの先になにかがあったんじゃないかとか考えてしまう。まだ何にもなくて、何もかも全部に どこかに何かがあるかもしれんって思うから。
妖精ってそれこそなんか詩的で、なんかもうああこりごりなんだけど、「あの時あれを踏みとどまってよかった...」という記憶ばかりの私にしては珍しく ちょっとやらなかった後悔だ。でも、あの場に居てくれて会えてうれしかったなあ。
誰に何というわけじゃないんだけど、すごく放流したくなった。夏の夜は変なことがある。
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