その時、とっつぁんの名言が僕の心に寂しく響いた~バレンタインのおもひで
それは今をさかのぼること16年。そう、珍しく雪の予報が出た2001年のバレンタインのことだった。
東京から電車で1時間弱のザ・ベッドタウンにあるザ・県立高校の1年生だった僕。
バレンタインであることをさっぱり忘れ…いや正確には忘れようとやっきになって、学校中の電気が消える夜8時まで体育館でシューティングをして、真っ暗な教室で着替え、寒風吹きすさぶ中をいつものように帰るつもりだった。そう、雪が降り始めたあの瞬間までは。
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これは、チームメイトの心が盗まれ、僕の心が吹雪に見舞われた忌まわしきバレンタインの話。
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真っ暗な教室で、手探りで自分の制服を探しながらいつものように語り合う。今日の練習はどうだったとか、アイツのあのプレーがよかったとか。
話の相手は通称”ルパン”。僕のバスケ部のチームメイトであり、クラスメイトでもある。面長の輪郭に長いもみあげ、白い肌に真っ黒な髪の坊主頭。当時としては比較的最先端の3和音で鳴る彼の着メロはもちろん”ルパン三世のテーマ”だ。
高校入学と同時に知り合った彼と僕は、部活での切磋琢磨もあり、この頃には既に互いの見た目をネタにしあうくらいの親しき仲で、この日はやっぱり、たわいない会話の端にふとこんな話が出た。
「今日ってバレンタインだよな」
そう、その日は紛れもなくバレンタインだった。彼はこう続ける。
「何が悲しくてこんな日に遅くまで練習してんだ俺たちは」
遂にその話題を出しちゃったかと思いながら僕はこう答えた。
「でも今日練習やめて時間空けたって余計切なくなんじゃね?今日なんて雪も降りそうだし、さみいよ、いろんな意味で」
確かになと言ってルパンは苦笑い…していたはずだ。暗くて顔は見えなかったけど。
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着替えを終えて、真っ暗な玄関を抜け、駐輪場に着いたそのときだった。
向こうから影が近づいてくる。街灯の逆光で影しか見えず、女子であることしかわからなかったが、その直後、声と近くなったシルエットでその正体に気づく。同じクラスのすらっとした美人のOさんだった。
こういう時、バスケで培われた僕らの状況判断能力は一瞬にしてその意味を理解する。そう、チョコを渡すために待っていたのだ。雪の予報が出ているこの寒い夜に、暗い駐車場で、一人で。
わからないのはそれが”どっちの”なのかということだったが、それも次の瞬間すぐに明らかになった。彼女が明らかに、僕よりも後方、2mほど離れたルパンの方を向いていたからだ。
さっきまでの会話がすべて壮大なネタ振りに変わる。…と同時に僕は信じがたいほどドラマチックに、その年の初雪を確認した。
ルパンとOさんのちょうど真ん中に立ちすくむ僕。チャリを右手で支え、空いた左手ではらはらと舞い始めた白い粒を受け止める。
つい数秒前まで同じ立場だった僕とルパン。しかし今、ほんの2mほどの距離で同じように自転車を支えていた彼と僕の距離は、一人の美女の登場で恐ろしく深い溝に隔てられた。
まるでなんだかんだで不二子が寄り添うルパン三世と、それをしり目に沈思黙考の石川五右衛門のように。
僕はただ、こう言ってその場を去ることしかできなかった。
「お!雪だ。じゃ、ルパンまたな」
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自転車をこぎ始めた僕の背中に、ルパンとOさんの会話が、聞き取れないほどの小さな声で聞こえる。そのとき僕は確かに聞いた。あの、銭形のとっつぁんの名言を。
「奴は大事なものを盗んでいきました。あなたの心です」
盗られたのはルパンの心で、盗ったのは姫さまだったけれど。
それは、年に数回降るかどうかの貴重なはらはらと舞う雪を、強烈な猛吹雪に感じさせるほど切ない2001年のバレンタインの出来事だった。