知識を「体感」することの難しさの話。
地球は丸い。
空が動いているのではなく、地球が回っている。
月は自分では光っていない。
少なくともこの国では常識。
でも、それを実感することは、実はほとんどの人には、ない。
今日、子どもたちとそんな話で盛り上がった。
常識にも学力にも乏しい彼ら。
そんな彼らの知識欲や好奇心を呼び覚ますため、
僕は結構、疑問を投げ掛けることが多い。
で、大抵彼らは答えられない。
虹がなんで色んな色に見えるのか、
夕陽はなんで紅いのか。
答えられない質問をぶつけられることにも、
そしてぶつけられた質問に自分が答えられないということにも慣れた彼らは、
時として、
幸運にも答を知ってる質問に出会ったとき、
自信満々に答を言う。
(これは、小学生ではなく、少しおかしな17歳くらいの子たちの話だ)
だから今日もそんなやりとりがあった。
「地球ってどんな形してるか知ってるか?」
「丸です!」
はい、正解。
ただし、今日の僕の狙いはそこじゃない。
(そして、僕と付き合いの長い何人かの子はなんとなくそういう雰囲気を察してるから、「丸」なんて答を簡単には言わず、様子を見てる)
「ホントに丸か?」
すると彼らがこう答える。
「海行くと丸いのがわかります。こう『⌒』なってるから。」
そう。ここまでが予想通り。
問題は次だ。
「ふーん、そうか。
でもさ、それって、パッと見でわかるようなもんか?
地球は丸いって知ってて見てるからそう感じるんじゃねぇの?知らなかったらわからなくない?びっみょーなカーブだから。」
「…(確かにそんな気がする)」
ここで追い打ち。
「ヒトは猿から進化したって、みんな知ってるだろうけど、それ、見たことはないだろ?」
教科書に載ってるから、常識としては知ってる。
でも、体感したことはない。
そんなことは世の中にたくさんあるんだ。
でもだから、
「知識を体感する」
ってことは実は凄く貴重なんだ。
宇宙に行った人は、地球が丸いことをその目で見た。
今から数百年前の人は、宇宙には行けなかったけど、
地球を船で一周することで、地球は丸いって体感したんだ。
本当の勉強とは「体感」の積み重ねだ。
そして体感できるってのは貴重なことなんだ。
地球が丸いって知ってたって、
それを本当に体感できることなんかほとんどないんだから。
でも、
「知ってる」からこそ体感できるんだ。
知らないことは、体感しても気付けない。
気付けないから感動できない。
「知る」とは、「感動の入口」だ。
どんどん学び、学んだことを体感できるように、
ゴタク並べて逃げないで、
できない「からこそ」、やったことない「からこそ」やってみる、
そういう人生を生きてみなさい。
という話。
本当は知るより体感が先のことだってある。
でもそういう細かいことはいいんだ。
大切なのは「そうか、よし、俺ももっと勉強しよう」と彼らが思うこと。
そんなささいな日常のやり取りでした。
(あれ?なんか今日は真面目なトーンになってしまった。ウケる話のつもりだったのに。。。)
今日も、ご一読に感謝。