隣に女の子が座ってきたときの対処法
ネットでおもしろいニュースを読んだ。いや、少々奇妙なニュースと言ってもいいかも知れない。
JR鹿児島本線の列車内で女子高生への不審な接近が発生したと言うのだ。おそらく警察の不審者情報で通知されたのだろう。昨今、よくある話だ。
その記事によると「30歳くらいの小太りの男性が、八代駅から熊本駅方面の空席のある列車内で、女子生徒の隣に座った」とのことである。
思わずフフフと笑い声が漏れた。声を出して笑ったことなど何年ぶりだろうか。ただ小太りの男が女子高生の隣に座っただけで通報されるという事態に、いったいどんな男だったのだろうかと想像してしまったのだ。
顔がジョーカーだったのか。それとも卑猥な落書きが描かれていたのか。もしかすると顔だけ辻元清美だったのかも知れない。
私は、かつての経験を思いだし、少し優越感を感じた。そして、またフフフと笑ったのである。
あの時も、記事のシチュエーションと同様、空席が多かった。乗り込んだ時点では、ほとんど人がいなかったのである。
どこでも座り放題だ。私は、1両目の一番後ろの5人がけのシートを目指した。左手には硝子窓があり、2両目の車両が見える。
本来私は、座席には座らない主義なのだが、ガラガラなのに立っているのもかえって目立つ。乗ってきた乗客から「あの爺さん、痔だな」などと笑われるのも腹立たしい。
ウォシュレット歴30年。私の尻の穴は、いつだってピカピカだ。嘘だと言うのなら、いくらでも見せてやる。
しばらくして若い女の子が乗り込んできた。女子大生だろうか。
私は、チラッと見たあと視線をそらせた。若い女の子というのは、視線が合うと、「こっちを見よった。きしょ」などと毒気をはく。非常に愚かで腹立たしい存在だ。
だから、若い女の子がやってきたら、逆を向くのが私の生きる術である。もし、若い女の子に取り囲まれたら上を向くし、上にも女の子がいたら下を向く。下にも女の子がいたら、ためらわずに目をえぐり出す覚悟である。
ガラガラなんだから、あっち行けよ。
そう思っていたら、彼女はこちらにやってきた。向かいのシートに座るつもりか。視線が合う危険性が増えるではないか。どうせ「あっ、ワタシを見よった。きしょ」などと思うに決まっている。なんと腹立たしいことか。視線が合うということは、お前もこちらを見たということなのだぞっ。
ところが、彼女は予想外の行動に出た。
私の隣りに座ったのである。しかも、隙間を空けずにピッタリくっついてきた。彼女の肌が、私の腕にふれる。
言っておくが、私は若い女の子と隣り合って喜ぶ男ではない。むしろ迷惑である。そもそも鉄壁の潔癖症なのだ。
どんな美人であっても、まったく知らない相手だと、肌が触れるのも嫌なタイプだ。神経質だと笑う人は、それは危機管理能力が欠如しているのだ。
彼女が風呂に一週間くらい入ってなくて、しかも、ウォシュレット未使用者。三時のおやつに鼻くそを食べて、さらに何かの記念日にはウンコでデコレーションしたケーキも食べている。100%そうでないとは言い切れない。だって、見ず知らずの他人なんだから~っ。
私の隣に座るんじゃない。
本当はそう言いたかったのだが、さすがにそれは言えなかった。ガラガラだからといって、隣に座ってはいけないという法律は、日本国憲法にはない。
ならば、私が席を替わるか。
いやいやいや。そんなことをしたら、相手を傷つけるかもしれない。傷つけるだけならいいのだが、突然ナイフを取り出して「せっかく隣に座ったったのに、なんじゃ~、このハゲがっ」と刺されるかもしれない。
ものすごく命が危険なのである。
そもそも女の子の意図がわからない。なぜ、私のようなイケメンでも若くもないジジイの隣に座ったのか。おかしいではないか。何らかの魂胆があってしかるべきだ。
途中で男があらわれて「おい、コラ、ジジイ。わしの彼女の隣に座りやがって」と脅されるのか。それとも実は女性に扮したオッサンで、本当は凄腕のスリなのか。まさか、私に一目惚れということはないだろう。
念のために私は、自分の容姿を再確認する。
身長は低い。小太りでもある。足は、当然のごとく短い。体は小さめだが頭のサイズは62センチで、大谷翔平とは正反対である。目は小さいが、鼻の穴は大きい。唇は無駄に分厚い。眉毛は八の字でゲジゲジだ。そして何よりハゲている。
極めて不幸。再確認していて、私は、気が狂いそうになったほどだ。自虐はやめろ、と自分に強く言い聞かせる。
とにかく隣の女の子への対応をどうするかが問題だ。そちらに意識を集中するのだ。私は、冷静さを取り戻し、IQ99.97の脳細胞をフル回転させたのである。
ちなみに99.97と言うのは、HEPAフィルターが0.3μmの粒子を捕獲するパーセンテージと同等である。試験に出るかも知れないので、覚えておくとよろしい。
私は、たちどころに危機的状況への対処法を思いついた。お教えしよう。
寝たふりである。寝たふりがこの状況に対する最適解なのだ。
この間、道に迷った外国人が近寄ってきたときも寝たふりで危機をしのいだ。言っておくが、夢遊病者のふりをするのは、高度な技術を要する。
居酒屋で相席になったサラリーマンの焼き鳥を間違えて食ってしまった時も、寝たふりをしてギリギリセーフだった。
私は、左のガラスに頭をもたげた。軽くあくびをする。これで誰が見ても疲れ果てた爺さんだ。
数分後には私はいびきをかき、ヨダレを垂らし、だらしなく腰をずらした眠り込んだ爺さんになっていた。大学時代にメソッド演技法を学んだ私ならではの完璧な演技だ。
15分ほど私は寝たふりを続けた。そして、降りる駅についた瞬間、猛ダッシュで開いたドアに突進し、その危機的状況から脱出したのである。
あの時はピンチだったなあ、と私は当時のことを思いだしてブルッと身を震わした。寝たふりをしていなければ、どうなっていたことか。おそらくは大変な目に遭っていたはずなのだ。良くて痴漢。運が悪ければ、殺人事件に発展していたかも知れない。ああ、くわばらくわばら。
だが、大切なことはそこじゃない。
彼女の目的はいまだ不明であるが、それでも私の隣に座ったという事実は揺るがない。私は、確かに、隣の席に若い女の子が座ったという、モテない男としては極めて希有な経験をしたのだ。
いや、したのであるっ!と強く言うべきだろう。
それに比べて、この鹿児島本線の男ときたら……。
ネットの記事を読み返しながら、通報された小太りの男のことを考え、私は、みたびフフフと笑ったのである。