『生命(いのち)の進化』は現代の『泥海古記』である
著者との妙な縁から『生命(いのち)の進化』をかついで行商に出たり、あるいはTwitterのネタにしたりしておりますが、今日は「元の理」と、その元になった「泥海古記」について触れてみます。
まず「元の理」が『天理教教典』の第3章に収められた経緯について簡単に記します。
教祖は明治14年(1881)頃から、特に熱心に信仰する人々(高弟の方々)に「こふきを作れ」と仰しゃられ、明治15年から明治20年に現身をお隠しになるまで、折に触れて人間と世界の創造説話である「元始まりの話(こふき話)」を説かれました。それを口述筆記したものが「こふき本」と呼ばれるものであり、およそ40の写本が現存しているとされます。教祖の直筆のものはありません。
この点について教祖の高弟の一人、高井猶吉氏が
と述懐しています。
高井氏の言う「どろうみこふき(泥海古記)」という名称については渡辺優氏が「『泥海古記』の想像力」(東京大学人文社会系研究科・宗教学宗教史学科 准教授 2019年4月現在)の中で次のように述べています。
明治・大正期から戦前までは「泥海古記」は教祖の教えを表した教義書として、別席のお話しにも取り入れられるなど、教えにとって無くてはならないものとして天理教の中で認識されていたわけです。
渡辺優氏の論文にも
とあり、「泥海古記」が4種類の「天理教基本教義書」の筆頭に置かれていたことが分かります。
しかし、どじょうから人間が創造されたなどという荒唐無稽な教説は『古事記』と『日本書紀』を重んじ、天皇中心の国家神道体制を確立を目指す明治政府との間に軋轢を生みました。
国の公認を得ることが悲願であった教団にとっては「泥海古記」を積極的に表に出すわけにいかなくなったわけです。
そこで、なんとか一派独立のめどが立ちつつあった教団は、明治36年(1903)に編纂された『天理教教典』(明治教典)から「泥海古記」に関する記述を取り除き、天皇崇拝を唱えて記紀に登場する神名の使用に踏み切ったのです。
昭和13年(1938)12月26日に発表された「諭達第8号」には
とあります。
これ以降、事実上「泥海古記」を表立って語ることはできなくなったわけです。まあ、言いたいことは山ほどありますが、先人たちも苦渋の決断であったはずです。国からの弾圧に怯えることもなく、ぬるま湯に浸かる私などが軽々しく批判はできないと思っております。
それから約10年を経た昭和24年、敗戦と共に二代真柱の主導で『天理教教典』(復元教典)が公刊されました。
その際に、これまで「泥海古記」や「元初まりの話」「こふき話」と通称されてきたものから不確かな記述が一気に取り除かれ、『天理教教典』第三章に「元の理」という名称で収められました。
しかし、二代真柱の実証主義的態度が反映された「元の理」は「こふき話」と比較すると、大きな変容が見られるものでした。
この点について、渡辺優氏は
と指摘しています。
参考までに「元の理」以前は十全の守護について、
くにとこたちのみこと
男神 頭一つ尾一条の大竜
天にては月様
人間身の内の眼うるおい、世界では水の守護の理
をもたりのみこと
女神 頭十二、尾三筋、尾の先に剣のある大蛇
天にては日様
人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理
くにさづちのみこと
女神 亀
天にては源助星
人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理
月よみのみこと
男神 鯱
天にては破軍星
人間身の内の男一の道具、骨つっぱり、世界では万つっぱりの守護の理
くもよみのみこと
女神 鰻
天にては明けの明星
人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理
かしこねのみこと
男神 鰈
天にては坤に集る星
人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理
たいしょく天のみこと
女神 鰒
天にては艮に集る星
出産の時、親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引きとる世話、世界では切ること一切の守護の理
をふとのべのみこと
男神 黒蛇
天にては宵の明星
出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の理
いざなぎのみこと
男神 岐魚
天にては七夕星(牽牛星)
男雛形・種の理
いざなみのみこと
女神 白蛇
天にては七夕星(織女星)
女雛形・苗代の理
のように、天体見立てや仏法見立てと呼ばれるものも含まれ、また大龍、大蛇、亀、鯱などといった、一見荒唐無稽とも取れる神の姿形についても語られることもありました。
たとえば「こふき本」(十六年本)には「くにとこたちのみこと」について以下の記述があります。
教祖がこれらのことを幕末明治を生きる人々に対して敢えて説いたとしたら、それなりの意味があったのではないかと思うのですが、新しい「元の理」ではそのあたりがごっそりと削られておます。
おとぎ話の要素が実証主義の対極にあることは理解できますし、淫祠邪教と蔑まれた教祖の教えを、どこに出しても恥ずかしくない教義として体系化することが教団の急務であったことは重々承知しております。
それでもなお、星の降る音さえも聴こえてきそうな大和の夜のしじまに流れる教祖のお声が、ふいにかき消されてしまったかのような寂しさを感じてしまうのです。
シェイプアップされた「元の理」が、たとえば「くにとこたちのみこと」様のお姿が月であるという表現を除いたことによって「こふき話」に触れたことのない後世の人々が「月日親神」という言葉をおとぎ話的な比喩としてしか捉えられない原因の一つになっているとしたら、やはり「泥海古記」は「泥海古記」として後世に残すべきであると思っております。
私の勝手な願望はさておき、「教祖は“こふき”を作れと御命じになった。山澤〔良助〕氏が筆を執ってお目にかけたが、それでよい、とは御受納にならなかった」という筆録にある「それでよい」という教祖の言葉を、「許されなかった」と解釈するのではなく、「否定されたわけではない」と受けとめることはできないでしょうか。。
教祖は当時の人々の知見に照らしてお話しをされ、聞いた人々のそれぞれの感性に基づいて受け止めたことを「今はそれでええ」と嘉納された気がしてならないのです。
そう考えた時、いみじくも西山輝夫氏の
という言葉は正鵠を射ていると思われます。
今回、徒手空拳で「元の理」の現代的解釈に挑んだ秋治・shin氏の『生命(いのち)の進化』は、図らずも西山氏の懸念に応え得る書になったのではないかと思っています。
天理教における教義裁定者である二代真柱によって編集された「元の理」の現代的解明に挑戦することは、とてつもなく困難で勇気のいる作業であったと想像します。(※難解で多種多様な解釈ができる「泥海古記」が「元の理」に整理再編されていたからこそ、著者の挑戦が可能になったとも考えられます。間違っていたらごめんなさい)
しかし遂に花開いた作品(著書)は多くの読者の心を鷲づかみにするものであると確信しております。
その内容を少しく俯瞰すると、たとえば「くにとこたちのみこと」が「天にては月様」「世界では水の守護の理」と教えられたことが決しておとぎ話などではなかったことを、著者は科学の観点から丁寧にひもとき
1.地球に四季をもたらすとため
2.地球の平均気温を一定にするため
3.水を宇宙空間に逃さないため
4.大気を宇宙空間に逃さないため
5.地球の自転速度を現代において24時間にするため
6.磁気で太陽から降り注ぐ太陽風を避けるため
7.有害な宇宙線から人間をはじめとする生命を守るため
8.潮の干満をつくるため
と、月が実際に担い続けている「くにとこたちのみこと」の働きを明かしてくれています。
この月についての説明など、私たちが「月日親神」と教えられてきたことが決して比喩などではなく、真実のお話であったことを気づかせてくれました。
それは、突然かき消えてしまった大和の夜のしじまに流れる教祖のお声を、再び耳にしたかのような深い感動と共に胸に迫りました。
決して大げさではなく、信仰が再び始まったかのような感覚に陥った瞬間でもありました。
よくぞ書いてくれたものだと思います。
著者の秋治・shin氏は言います。
何億年もの過去に、地球は3度のスノーボールアース(地球の全休凍結)を迎え、その都度宿し込みがあったと。
地球に生まれた生命の萌芽は、大絶滅の度に「真核細胞」が生まれ「有性生殖」が始まり「多細胞生物」が誕生するというバージョンアップを繰り返してきたのだと。
そしてこのバージョンアップの物語こそが「元の理」の主題であり、その後の八千八度の生まれ変わりへと繋がるのだと。
神様は多種多様に進化できるシステムとして、真核細胞が集まってできた多細胞生物を創り、「五分五分」つまり半々の遺伝子が交じり合う 有性生殖で少しずつ進化が出来る仕組みを創造されたと。
故に 「元の理」には事実が書かれているのだと。
私は思うのです。秋治・shin氏がものした『生命(いのち)の進化』は、教祖が語られた「元のはじまりの話」を高弟たちが一言たりと漏らすまいと書き留めたものを、科学の発達によって多くの知識を獲得した現代人のリテラシーに応じて書き換えた令和の「泥海古記」とでも言うべき書ではないかと。
慎ましやかな著者は「今後の科学の進歩によって、解釈も変化するかも知れない」と言います。
でも教祖は「それでええ」と微笑んでいらっしゃると、私は思っております。
よって件のごとし。ではまたいずれ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?