I'm back!「理の親」再び
立教153年度(平成2年・1990年)の『かなめ会報』を読んでいて、とても気になるお話がありました。
上の画像は教祖100年祭から4年後、当時の表統領である故深谷善和氏が「かなめ会」で語った言葉です。
読者に分かりやすいよう、以下に黄線枠内を抜粋してみました。
※深谷善和氏は元表統領室長、深谷善太郎氏(河原町大教会長)の父
深谷元表統領は「かなめ会の席上でも何度か私共に、お預かりしている理の子に対しての、理の親としての心尽くし、という点を重ね重ねお仕込み頂いている訳でございます。」と、真柱による理の親・理の子についてのお仕込みがあったと話していますが、百年祭前後の『真柱訓話集』に収録されている「かなめ会総会でのお話」を見ると、むしろ「教会長が『親』になってしまってはいけない。」という趣旨の発言が目立つように思えました。
ちなみに「かなめ会総会」は毎年度開催されています。
表統領が文中で触れている真柱による年頭御挨拶(下記画像)にも、「理の親」「理の親子」などの文言は見当たりません。
深谷元表統領は何故「理の親子」の信仰に拘泥するのでしょうか。真柱のお仕込みを受けての発言としては、ちょっと理解に苦しむところがあります。
かなめ会で真柱と深谷善和元表統領がどのような発言をしてきたのか調べてみたいのですが、何故か天理図書館では『かなめ会報』の1990年度版より古いものが閲覧できなくなっていました。全巻収蔵されているはずなのですが・・・(謎)
幸いにも『真柱訓話集』には「かなめ会総会」での真柱によるお言葉も収録されているので、そこから教祖100年祭前後の「親」に関する発言をいくつか取り上げてみます。
などがあります。本記事の冒頭に記した第50巻でのものを加えると、真柱は「かなめ会総会」において5年連続で「親とは親神様・教祖だけである」とお仕込み下さっています。これほど毎回同じ事をお話しになるということは、真柱の思いが伝わっていないと判断されたからなのでしょうか。
改めて言いますが、本部直属の大教会長、分教会長で構成される「かなめ会」は教内でも最上位に位置する、謂わば「理の親」の集合体とも言える組織です。
そこで真柱が「『親』は親神様、教祖だけ」と何度も諭しているという事実は決して軽くは無いと思うのですよ。
ただ、公平性を保つために付記しておかなければならないのが、数々の講話(お仕込み)の中で、真柱は「理の親」信仰を直接的に否定しているというよりも、むしろ「親(をや)」という言葉が軽々に用られる風潮を戒めておられるとも受け取れることです。
ただし、控えめに言っても、真柱は「親」という言葉の乱用がお嫌いであったことに間違いは無いと思います。
とは言え。三代真柱が当初から「理の親」「理の親子」という考え方を否定していたわけではないようです。
『真柱訓話集』第34巻(昭和49年度)811ページの「かなめ会総会に於けるお話」では以下のように「親と子との理の関係というものがあるわけでありまして・・・」と抵抗なくその言葉を使われています。
この記述以前に遡って検証はしていませんが、当時はその慣習というか教えというか、そういったものに否定的な態度を取っておられなかったと考えられます。
昭和49年は教祖90年祭の2年前です。
では真柱の「理の親子」という言葉に対するこうした変化はどこから来ているのでしょうか。
100年祭前後にはお金(無理なお供え)に起因する大きな事情(事件)や不祥事が頻発したように記憶しています。
「理の親」の声がどれほど苛烈なものであったとしても、歯を食いしばってでもその声に従うのが子のつとめ。
そうした強迫観念にも似た思考が産み出したともとれる出来事を目の当たりにしたことで、真柱のお考えに変化が生じたと推察するのは不敬でしょうか。
『真柱訓話集』にある「かなめ会」でのお話に関していうと、三代真柱は教祖100年祭前後から「理の親」という言葉をほとんど用いられていません。その代わりに「をや」あるいは「親」という言葉をもって、教会長など指導する立場の者の心の持ち方を戒められていることが多いような印象を受けました。
また「教会長が『親』になってしまってはいけない」と発言されてはいても、同時に部内教会や信者さんには実の親同様の愛情をもって丹精することの大切さもお仕込みくださっています。
「理の親」という概念は功罪相半ばするものであると私は思っております。
歴史的に見れば「理の親子」という信仰形態が、おさづけによる身上たすけと並んで天理教の発展を支えたという事実に間違いは無いでしょう。
私自身を振り返ってみる時、私を我が子同様に慈しみ育ててくれた方を「理の親」と思い定めて歩んできましたし、私の信仰的血肉は「理の親」によって形作られました。それ故、今もってその方に対しては「理の親」以外の呼称を思い浮かべることができません。
周囲を見回してみても、「理の親子」の関係が健全に機能し、信仰の喜びや日々の勇みの源泉になっているケースも少なくないのも事実です。
たとえば、私を非難したこせつさんにしても、TwitterなどのSNS上で拝見する「理の子」を慈しむ態度と良好な関係性には、お道ならではの暖かさを感じます。ですから、こせつさんが「理の親」信仰を否定する私を非難するのは、分かりすぎるほど分かることでもあるのです。
お道の中に今も存在する「理の親子」の良好な関係を目にする時、つまるところ、どのように呼ばれようとも、結局は「理の親」と呼ばれる側の人間性や心の置き所の問題に過ぎないと片付けることもできるのですが、事はそう簡単な問題ではないことも、お道の歴史が証明しているのではないかと思っています。
本当の「親(をや)」である親神様・教祖は絶対に間違いません。
しかし所詮は人間に過ぎない「理の親」はちょっとしたことで間違いを起こしてしまうのです。
「理の子」からの御供えによって何不自由のない生活が保証され、「理の子」への真心の丹精など忘れて安穏と過ごす「親」のなんと多いことか。
今、まさに「理の親子」という信仰の形が、子が勇めない原因になってしまっている気がしてなりません。
SNS上を見渡してみると「理の親」の弊害の実例があまた見受けられます。
一例を挙げると、
・進学先を決められた。
・本部勤務、大教会や上級教会での青年づとめ(住み込み)を強要された。
・生活を脅かす無理なお供えを求められた。
一部の系統では恋愛の自由を許されず、また結婚相手すらも決められてしまう。などという声も聞きます。
前稿でも触れましたが、私共の系統は「理の親」が浅はかな人間思案から作った莫大な負債を抱えました。返済に加え、本部へのお詫びの御供もあり、長年にわたって経済的な困窮が続きました。
その道中が決して無駄であったとは思ってはいません。しかし更迭され、お道を去った彼ら「理の親」達が悠々自適の生活を送っているという風の便りに、心をザワつかせたことがあったのもまた事実です。
時に実の親子関係すら凌駕する麗しき「理の親」という慣習であっても、それが不幸を生み出す可能性を内包していることを三代真柱は危惧されたのではないでしょうか。だからこそ、何度も繰り返し戒められていたのだと私は感じています。
さて、下記に画像形式で引用する教祖100年祭直前の昭和60年度の『真柱訓話集』第45巻に収録された「かなめ会総会におけるお話」には「親」についての真柱のお考えが集約されていますので、最後に是非一読いただきたいと思います。
「親会長さん」「親奥さん」が各地の教会で「前会長さん」「前奥さん」に改められるようになったのも、このお言葉が元になっているのではないかと思っています。
私は過日、noteに「真柱がかなめ会で『理の親』信仰を否定した」と書いて、捏造や誘導との非難を受けました。
その際に引用した文章は故植田義弘先生の「みさとブログ」に記述されたものなのですが、以下に画像をもって引用する「かなめ会総会におけるお話」が「真柱様が理の親を否定した」文章に当たるのではないかと考えています。
確かに、真柱は文中で直接的に「理の親」という文言を用いて「理の親信仰」を否定してはいません。そうした意味では植田先生の記述にも、また私の過日の記事にも誤謬があったことは否定できません。
それに対する批判は真摯に受け止め、反省と共に今後の引用方法にも細心の注意を払いたいと自らを戒めております。
では改めて下記の真柱によるお言葉をつぶさに見てみましょう。
真柱は人間が「親」になってはいけない。「親」は親神様、教祖をおいて他にはないと言われています。「親」という言葉の乱用を戒めておられますので、「理の親」の乱用も同時に戒めていることは言をまたないのではないかと思っております。
私は過去の糾弾に抗議する気など毛頭もありません。
今回の記事は敬愛する故植田義弘先生の業績に傷をつけてしまったという慚愧の念にかられ、先生の名誉を回復したいという気持ちから書いたものであります。
では、以下に画像形式で引用した真柱のお言葉をお読みいただき、三代真柱が「親」「理の親」「理の親子」という信仰について、どのように考えていたかをご理解いただければと思います。
最後にザックリ言ってしまうと、信仰している以上、教える者と教えられる者という関係は必ず発生するものだと思います。それは学校での教師と生徒、あるいは先輩後輩の関係のように自然発生的なものなのでしょう。
教える側が常に親神様・教祖に心を繋ぎ、間違いの無い信仰を続けていれば、そこに問題は発生しないと思いますし、その関係性によって教えられる者の信仰が進むというのもまた事実だと思います。
そうした関係性を指して「理の親子」と呼ぶことを私は否定しません。歴史的に見て、それはお道における一つの理想的な信仰形態であったとも言えるのですから。
私は「理の親子」という慣習の最大の弊害は、親神様・教祖に心を繋がぬ、一部の「似非(エセ)親」が、自分を「理の親」と勘違いして、親の声に逆らうことのできない人々に「辛く、勇めない」信仰を押しつけている、という点ではないかと考えています。
三代真柱がどれほど「親」の乱用を戒めようとも、今もって「親」の資質を欠く者が「親」になってしまっているという現実を解決する手立てはないもものでしょうか。
「理の親」「理の子」「理の親子」などの慣習や呼称を廃しさえすれば、本質的な問題が解決されるのかというと、それも甚だ心もとない。
そこが実に悩ましいところでもあるのです。
畢竟、「理の親」の弊害は、教え、導き、育てる立場を与えられた者が、決して思い上がることなく、常に親神様・教祖に心を繋ぎ、思召にそった生き方を実践しつつ、寄り添うように「理の子」に向き合ってさえいれば、発生することは無いのではないでしょうか。
解決の糸口を求めるとすれば、ここにしか無いと私は思っております。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
ではまたいずれ。
※当記事は筆者の「気づき」に応じて適宜修正することをご了承ください。