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理の親ってなんだ?-捏造という誹謗中傷への回答を含む-

昭和27年に開講された第14回教義講習会で、講師である山名大教会 諸井慶五郎は「理の子供として、又理の親として、現実の姿には色々ありますが、これを具体的に申しますならば上級教会と部属教会、教会長と信徒、たすけた人とたすけられた人、という事になりましょう」と理の親子の関係について講義をした。聴衆は全国から寄り集った教会長である。教祖の教えに無い理の親信仰が、あたかも純教理の如く伝えられたのである。
この講義の内容に危機感をおぼえた二代真柱は、閉講式において

人とか自分ではなく、自分がこの人を導いている、この人をたすけておると言うような二つの見方であるのではなく、たすけ一条のひとつの心が二つの面に現れる、同時にその事柄は一つにおさまるのであります。たすけは一条であります。自分がたすける人であり、あの人はたすけをされる人と言うような二つの立場を考えるのでは、理を頂けないのであります。

第14回教義講習会

と、柔らかな表現ではあるが、諸井氏の発言を真っ向から否定している。
しかし教団トップが誤りを指摘したにもかかわらず、以後この「理の親」教理は国々所々に持ち帰られ、天理教の常識となって受け継がれてきた。
その後、三代真柱様も「かなめ会」(全直属教会長の集会・会合)の席上、「理の親という言葉は、教祖以外に使うべきではない」と明確に禁じている。(みさとブログ参照
また、昭和47年1月26日の少年会本部年頭幹部会においては

親(理の親)という言葉で言い表されるお方は、親神様しかおられないということなのであります。
親という言葉で意味するお方は、教祖以外にはおられないということなのであります。

- 中略 -

私たちの親(理の親)は、親神様・教祖以外におられないのです。私たちがその親という言葉を用いましても、真の底から親になってしまってはいけない。
※(理の親)は筆者による付記。

『みちのとも』 昭和47年3月号

と発言している。真柱が繰り返し語る理由は「理の親」という言葉を、都合良く使う者がなくならないからなのだろう。
良くも悪くも「理の親」という言葉はとてつもないパワーを持っている。キラーワードと言ってもいい。真面目な信者であればあるほど、この言葉に無条件に従うことを是としてしまうのだろう。
しかし、「理の親」という教理もどきに疑問を持つ方は多く存在し、年々増えても来ているように思える。あらゆる情報が収集できるネット社会において、それは当然の流れと言えるだろう。
かつて、身上・事情の悩みを救ってくれた布教師や会長を「理の親」と思い定めることは至って自然な行為であった。
「理の親」信仰という思想が昭和初期から中期の教勢発展に寄与したことは否定しない。また現在でも「この人を表現するには『理の親』という言葉しか無い」と思える素晴らしい信仰者もあまた存在する。私を育ててくれた先代の上級の会長などもそうであった。
しかし、信者との信頼関係すら気付けていない名ばかりの理の親が多く存在する現在では「理の親」信仰が教勢衰退の原因の一つになっているような気がしてならないのだ。
理の親に従わないこと=神様に逆らうこと、という強迫観念にとらわれ、無理をして会社を休んで教団のイベントに参加したり、生活に影響を及ぼすほどの御供をしてしまう。こんなことを続けられるわけが無い。
また、信仰が二代・三代・四代と代を重ねるにつれて、すでに故人となっている「理の親」や、自分を助けてくれたわけでもない会長さんと、信仰二代・三代目の信者との関係性は「濃密さ」という点では遠く初代に及ばないだろう。「理の親」と呼ぶには無理があるのではないだろうか。
畢竟、理の親子の関係は、人間の信頼関係に大きく依存すると言えよう。
子から信頼され慕われることのない人物を理の親と思い定めなくてはならないというのは不幸以外の何物でも無い。
下世話な話で恐縮だが、私が「理の親」と仰いだ大教会長は億を超える金銭のがらみの不祥事に加担して本部から罷免されたが、部内教会には○○億の負債が残された。
理の親が起こすこうした話は教祖百年祭以降、枚挙に暇が無い。「理の親」って一体なんなのだろう?と考えてしまう。
もちろん、教祖が仰るように、教会長は親が子を思うのと同じ気持ちで信者さんに接することは大事なことだ。いや、当たり前なことであろう。
しかし三代真柱が言うように、やはり「真の底から親(理の親)になってしまってはいけない」のだ。
教内にはいまだに「理の親」信仰こそお道で最も大事な基本。などと言い放つ教会長も存在するが、教祖がお許しにならなかった言葉を用いて信者たちの心をコントロールすることの罪は重い。

令和4年9月2日追記
さて、今回の記事の中で、まず第14回教義講習会での二代真柱の発言について

全国の教会長を前にして講義する以上、事前の申し合わせがあったハズです。「理の子供として、又理の親として、現実の姿には色々ありますが、これを具体的に申しますならば上級教会と部属教会、教会長と信徒、たすけた人とたすけられた人、という事になりましょう」という発言は、この当時全教的に定着していた信仰形態を再確認したにすぎません。当然、二代真柱様も否定どころか了解しておられたハズです。

こせつさんのnoteより

と、
「事前の申し合わせがあったハズ」
「二代真柱様も否定どころか了解しておられたハズ」
などの、責任を回避するかの如き表現で反証されているが、ハズでは反証にならない。
このお言葉にある「自分がたすける人であり、あの人はたすけをされる人と言うような二つの立場を考えるのでは、理を頂けないのであります。」とは、つまり理の親子という上下関係の慣習を戒めていると私は理解している。

次に、昭和47年1月26日に行われた少年会本部年頭幹部会での真柱のお言葉を部分的に引用したが、これに対してこせつ氏から捏造文書」であるとの批判をいただいた。どうやら「親(理の親)という言葉で言い表されるお方は、親神様しかおられないということなのであります。」というお言葉の中に出てくる「親」という記述に対して、筆者が(理の親)と付記したことが、我慢ならないのだと思う。
ちなみにこせつさんのTwitterのプロフィールには

理の親に目覚めれば、世界の景色は一変して、感動と感謝に満たされる。お道の覚醒とは、この事だが、今はほとんどの人が知らない。

こせつ氏のTwitterプロフィールより

と記載があり、「理の親」という考え方を至上の教えと捉えておられるようだ。
また「このお言葉は少年会を指導する立場の方々の心の持ち方をお仕込みくださるものであり、『理の親』を否定するものではない」ともご指摘いただいた。
(理の親)の付記に対しては分かり易くするのためのものであるが、仮にこの括弧書きを削除したところで、真柱の論旨に影響を与えるとは考えられない。よって敢えて削除せずにおきたい。
この付記をもって捏造と言うなら、それでかまわない。

また、「少年会指導者へのお言葉である」という指摘についても、まさにその通り。それに異論はない。
しかし真柱の「私たちの親(理の親)は、親神様・教祖以外におられないのです。私たちがその親という言葉を用いましても、真の底から親になってしまってはいけない。」
というお仕込みの前後の文脈から考えて、つまるところ、この太字部分の心得をもって少年会員の指導に当たって欲しいと述べられているので、婉曲な表現をもって「理の親」という考え方を戒めておられるとも取れよう。
何故なら、「真の底から親になってしまってはいけない。」というお仕込みは信仰の態度において普遍性を有すると考えるからである。

こせつ氏は

少年会の幹部にこんな話をわざわざするでしょうか?
「幹部への心構え」の話が「理の親の話」に完全にすり替えられています。

と、推測によって、私が論のすり替えおこなったと主張しているが、すり替えではなく、「親は親神様・教祖だけ」という、忽せにできない真理をこのお言葉の奥に確認したが故の引用である。

さらに、こせつ氏はこの画像のお言葉をもって、真柱が「理の親」を肯定していると主張している。

これは昭和44年3月に行われた天理教学生会、第5回「春のつどい」でお言葉である。 
真柱が少年会年頭幹部会で「理の親」信仰を戒めたのは昭和47年。
次いでかなめ会で戒められたのは少なくとも昭和61年以降である。
こせつ氏はかなめ会での発言は記録が無いことを理由に、発言自体を否定しているが、私はあの「みさとブログ」の故植田義弘先生の記述に嘘があるなどとは思えない。
事実、私は百年祭後、当時の上級の会長(集会員)から「後本部で、理の親という言葉は親神様、親神様に対してしか使ってはいかん。と言われた」と伝えられている。これは多くの人の記憶には残っているはずである。

あらためて言うが、私は一貫して「理の親」という教理もどきが、苦しみを生む一つの原因であることを主張してきた。一方では「理の親」としか呼びようのない立派な会長や先達が存在することも認めている。
「理の親」たる資質を有さない者が、それを名乗り、信者さんたちに苦労を強いる制度になっていることに対して問題提起しているのだ。
「理の親」を真柱が否定したか肯定したかなどという枝葉の議論によって、私の考えかたが揺らぐことはない。

「理の親」という教えに歴史的かつ教理的な正当性があるならば、こせつ氏にはその根拠を示していただきたいものである。
以上が「木を見て森を見ぬ」如き批判への回答となる。
こせつ氏は事の本質については議論するつもりが無いようなので、当記事内で一応の反論を試みた次第である。
ことの是非は読者に問いたいと思っている。



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