明後日はいよいよ春季大祭です。明治二十年陰暦正月二十六日に思いをいたす上での参考になるやもしれぬ、と感じましたので、取り急ぎ記します。
前々回の記事『春季大祭を迎えるにあたり-明治二十年陰暦正月二十六日のおさしづ割書から-』でも掲載しましたが、以下に明治二十年二月十八日(陰暦正月二十六日)午後の『おさしづ』の割書を引用します。
この割書に続いて
とのお言葉が下ったのは皆さんご承知の通りです。
『みちのとも』立教99年(昭和11年)6月号にこの時の状況をさらに詳しく記した文章があるそうです。
それが、史料集成部 の白藤義治郎氏が教祖50年祭(昭和11年)の頃に『みちのとも』に連載していた「御教祖御臨終のおさしづの考察」です。
今回掲載するのは、その文章の仮名づかいを読みやすく改められたものですが、僕自身は『みちのとも』に掲載された原文を確認できておりません。なので二次資料であることをご承知おきいただいた上で、あくまでも「参考資料」としてお読みいただければ幸いです。
明治二十年陰暦正月二十六日の午後二時に至る直前とその直後のお側の方々やお屋敷の様子がリアルに伝わってきます。
「いつまでもこうしておってはどうもならん。伊蔵さんに願うたら」
「皆一様に願う心は、親様にまだ御身に温みがありますから、もう一度親様の御身上を、元の身体にして下され」
との、おやさまの蘇生を願う傍な者の悲痛な叫びに対して、
「そらいかん。何を言うぞ」
と、理に徹した神様の厳しい叱咤のお言葉が下ります。
おやさまの亡骸を前にして、一切の情を排し、理に徹した神意の峻厳さが胸に迫ります。
二次資料をもとに書きましたので、これ以上の私見は差し控えます。
以上、明後日の春季大祭を前に、駆け足で記しました。
ではまたいずれ。