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理の親ってなんだ?

※こせつ氏からの批判に対する反証はこちらをクリック

昭和27年に開講された第14回教義講習会で、講師である山名大教会 諸井慶五郎は「理の子供として、又理の親として、現実の姿には色々ありますが、これを具体的に申しますならば上級教会と部属教会、教会長と信徒、たすけた人とたすけられた人、という事になりましょう」と理の親子の関係について講義をした。聴衆は全国から寄り集った教会長である。教祖の教えに無い理の親信仰が、あたかも純教理の如く伝えられたのである。
この講義の内容に危機感をおぼえた二代真柱は、閉講式において

人とか自分ではなく、自分がこの人を導いている、この人をたすけておると言うような二つの見方であるのではなく、たすけ一条のひとつの心が二つの面に現れる、同時にその事柄は一つにおさまるのであります。たすけは一条であります。自分がたすける人であり、あの人はたすけをされる人と言うような二つの立場を考えるのでは、理を頂けないのであります」

第14回教義講習会

と、柔らかな表現ではあるが、諸井氏の発言を真っ向から否定している。
しかし教団トップが誤りを指摘したにもかかわらず、以後この「理の親」教理は国々所々に持ち帰られ、天理教の常識となって受け継がれてきた。
その後、三代真柱様も「かなめ会」(全直属教会長の集会・会合)の席上、「理の親という言葉は、教祖以外に使うべきではない」と明確に禁じている。(みさとブログ参照
また、昭和47年1月26日の少年会本部年頭幹部会においては

親(理の親)という言葉で言い表されるお方は、親神様しかおられないということなのであります。
親という言葉で意味するお方は、教祖以外にはおられないということなのであります。

- 中略 -

私たちの親(理の親)は、親神様・教祖以外におられないのです。私たちがその親という言葉を用いましても、真の底から親になってしまってはいけない。
※(理の親)は筆者による付記。

『みちのとも』 昭和47年3月号

と発言している。真柱が繰り返し語る理由は「理の親」という言葉を、都合良く使う者がなくならないからなのだろう。
「理の親」という言葉は良くも悪くもとてつもない重みを持っている。真面目な信者であればあるほど、この言葉に無条件に従うことを是としてしまうのだろう。
しかし、「理の親」という教理もどきに疑問を持つ方は多く存在し、年々増えても来ているように思える。あらゆる情報が収集できるネット社会において、それは当然の流れと言えるだろう。
かつて、身上・事情の悩みを救ってくれた布教師や会長を「理の親」と思い定めることは至って自然な行為であった。
「理の親」信仰という思想が昭和初期から中期の教勢発展に寄与したことは否定しない。また現在でも「この人を表現するには『理の親』という言葉しか無い」と思える素晴らしい信仰者もあまた存在する。私を育ててくれた先代の上級の会長などもそうであった。しかし、信者との信頼関係すら築けていない名ばかりの理の親が多く存在する現在では、「理の親」信仰が教勢衰退の原因の一つになっているような気がしてならないのだ。
理の親に従わないこと=神様に逆らうこと、という強迫観念にとらわれ、無理をして会社を休んで教団のイベントに参加したり、生活に影響を及ぼすほどの御供をしてしまう。こんなことを続けられるわけが無い。
また、信仰が二代・三代・四代と代を重ねるにつれて、すでに故人となっている「理の親」や、自分を助けてくれたわけでもない会長さんと、信仰二代・三代目の信者との関係性は「濃密さ」という点では遠く初代に及ばないだろう。「理の親」と呼ぶには無理があるのではないだろうか。
畢竟、理の親子の関係は、人間の信頼関係に大きく依存すると言えよう。
幸いにも私は育ての親である初代会長以外にも、親心あふれれる二代会長、三代会長に恵まれたため、歴代会長すべてを「理の親」と信じている。
しかし子から信頼され慕われることのない人物を理の親と思い定めなくてはならないというのは不幸以外の何物でも無い。
下世話な話で恐縮だが、私が「親」と仰いだ大教会長は億を超える金銭が絡んだ不祥事に加担して本部から罷免されたが、部内教会には○○億の負債が残された。
理の親が起こすこうした話は教祖百年祭以降、枚挙に暇が無い。「理の親」って一体なんなのだろう?と考えてしまう。
もちろん、教祖が仰るように、教会長は親が子を思うのと同じ気持ちで信者さんに接することは大事なことだ。いや、当たり前なことであろう。
しかし三代真柱が言うように、やはり「真の底から親(理の親)になってしまってはいけない」のだ。
教内にはいまだに「理の親」信仰こそお道で最も大事な基本。などと言い放つ教会長も存在するが、教祖がお許しにならなかった言葉を用いて信者たちの心をコントロールすることの罪は重い。

令和4年9月2日追記
さて、今回の記事の中で、昭和47年1月26日に行われた少年会本部年頭幹部会での真柱のお言葉を部分的に引用したが、これに対して、こせつを名乗る方より「捏造文書」であるとの批判をいただいた。どうやら「親(理の親)という言葉で言い表されるお方は、親神様しかおられないということなのであります。」というお言葉の中に出てくる「親」という記述に対して、筆者が(理の親)と付記したことを指摘しているのだと思う。
また「このお言葉は少年会を指導する立場の方々の心の持ち方をお仕込みくださるものであり、『理の親』を否定するものではない」ともご指摘いただいた。ちなみにこせつさんのTwitterのプロフィールには

理の親に目覚めれば、世界の景色は一変して、感動と感謝に満たされる。お道の覚醒とは、この事だが、今はほとんどの人が知らない。

と記載があるように、「理の親」という考え方を至上の教えと考えておられるようだ。
(理の親)の付記に対しては分かり易くするのためのものであるが、仮にこの括弧書きを削除したところで、真柱の論旨に影響を与えるとは考えられない。よって敢えて削除せずにおきたい。
また「少年会指導者へのお言葉である」という指摘については、まさにその通り。間違いなく少年会指導者層へのお仕込みである。しかし真柱の「私たちの親(理の親)は、親神様・教祖以外におられないのです。私たちがその親という言葉を用いましても、真の底から親になってしまってはいけない。」
というお仕込みの前後の文脈から考えて、つまるところ、この太字部分の心得をもって少年会員の指導に当たって欲しいと述べられているので、婉曲な表現をもって「理の親」という考え方を戒めておられると言えよう。
真の底から親になってしまってはいけない。」というお仕込みは信仰の態度において普遍性を有するのだ。

こせつ氏はこの画像のお言葉をもって、真柱が「理の親」を肯定していると主張している。

これは昭和44年3月に行われた天理教学生会、第5回「春のつどい」でお言葉である。
真柱が少年会年頭幹部会で「理の親」信仰を戒めたのは昭和47年。
次いでかなめ会で戒められたのは少なくとも昭和61年以降である。
真柱の発言に変化があったと考えることもできよう。
こせつ氏はかなめ会でのお言葉は記録が無いということを理由に、発言自体を否定しているが、私はあの「みさとブログ」の故植田義弘先生の記述に嘘があるなどとは思えない。
事実、私は百年祭後、当時の上級の会長(集会員)から「後本部で、理の親という言葉は親神様、親神様に対してしか使ってはいかん。と言われた」と伝えられている。記録には無くても、多くの人の記憶には残っているはずだ。
あらためて言うが、私は一貫して「理の親」という教理もどきが、苦しみを生む一つの原因であることと主張してきた。一方では「理の親」としか呼びようのない立派な会長や先達が存在することも認めている。現に私は上級の代々の会長を抵抗なく理の親と思い定めて歩んできた。
問題は「理の親」たる資質を有さない者が、理の親であることを振りかざし、強迫観念を植え付け、苦労を強いてきたことを批難しているのだ。

私は百年祭直後に、集会員であった当時の上級の会長から「後本部で、理の親という言葉は親神様、親神様に対してしか使ってはいかん。と言われた」と伝えられている。こうした通達は多くの人の記憶には残っているはずである。
「理の親」という教えに歴史的かつ教理的な正当性があるならば、こせつ氏にはその根拠を示していただきたいものである。
以上が「木を見て森を見ぬ」如き批判への回答となる。
こせつ氏は事の本質については議論するつもりが無いようなので、当記事内で一応の反論を試みた次第である。

   「育てる側の素直が第一」少年会年頭幹部会におけるお話

本日の春の大祭にあたり、各地からお集まり頂き御参拝を頂きまして、まことに御苦労様でございます。少年会の年頭幹部会に、少年会活動に携わってくれる皆様方とお目にかかることの出来ましたことを、心から嬉しく存じております。今年も少年会活動にいろいろご苦労頂くことになるわけでありますが、何卒よろしくお願いをいたします。常々心に思い、又折りある度毎にお話を申していることであり、今日もそうした同じ事を繰り返すことになるのでありますが、暫く心に考えますことをお話申し、少年会活動を推進して頂く上の、何か心の糧にでもして頂ければと存じますので、暫くの間お付き合いのほどお願いいいたします。
少年会活動がたすけ一条の路線に添って進んでいるかどうかということは、活動に実際携わっている者が、神一条の態度に徹しているかどうかということを、常に自問しながら進めていくことで定まってくると思うのであります。
 少年会の理想的な活動ということは、親神様の教えに基づいた活動であり、教祖に喜んで頂けるような姿でなければならないのでありまして、そうしたことはひとえに直接その任に当たっている者らの双肩にかかっているということは今更申すまでもないのであります。つまり、私たちお互いが親神様の思召に添って、理想的な育成者になるということが少年会の活動を理想的に進める最も要になってくるのであります。
 育成者の理想と理想の育成者と言う言葉は、ただ単語を上下にひっくり返しただけでありますけれども、考えてみたならば、全く異質の意味を持っていると思うのであります。育成者の理想といえば、それは後継者にお道の精神を植え付けることである。お道の子供にふさわしい行いを教え導くことであり、道の子供達が親の思いを素直に受け継いでくれて、又その子供達によって親の思いが引き継がれていくことなのであります。
 一方理想の育成者とは、子供が実際に尊敬もし、付いていてもらえるような人になることを意味するのであります。これが理想の育成者であります。言葉をひっくり返しただけでその意味合いは自ずと違うのでありますけれども、私はその底にある流れは、常に親神様の教えに素直であるという点で一つのものであると思うのであります。
 私も含めて個々に集まっておってくださる皆さん方は、それぞれ少年会のいわば指導的な立場に立っていてくださる人ばかりであります。自分に実際こどもがいようがいまいが、後継者の育成に直接関わらなければならない者達の集まりなのであります。自分が好むと好まざるにかかわらず、親神様から次代のよふぼくを預けられたお互いである、ということが出来るでありましょう。言い換えましたならば、親神様から次代のよふぼくの育成を依頼された者が私たちお互いである、ということが出来るのであります。しかも大勢の道具衆の中からそれこそ選ばれて、後継者の育成係という役名を仰せつかったお互いであることを自覚して頂きたいのであります。
 その育成係の究極の目的は、最初に申しましたように、子供達に立派な教祖道具衆に成人してもらうことであります。そのためにいろいろ心を尽くし身に行って教え導き、育つために力を貸すということが私達の仕事なのであります。若木が曲がらずに、くじけずにすくすく伸びてくれるように、時に下草を刈り、時には肥を置き、癖、性分を知って目的にかなうように調整していくこと、手を加えていくということに努力を惜しまず、絶えず丹精していくことが、私達の勤めであるわけであります。
 そうして育成の姿というのは、手を加える者即ち、私たち育成者と、一方手を加えられる者、即ち育てられる子供達との心がお互いに一致した姿でなければならないと思うのでありまして、そこに親と子との姿が現れるとも考えられるのであります。
私はいったい親というものは何であるか、ということを改めて考えてみるのであります。一口に親と申しまするが、世の中には様々な親があるのもでありまして、善良な親もあれば惨い親もある。が等しく子供を持っていて、親と呼ばれる点では共通したものを持っているわけであります。あるいは又、血の繋がりのある者も、そうしたつながりのない者も、親子の関係にある者のつながりは、育てる者と、育てられる者との関係にあるわけです。
教育が昔と違って、今日は余程進んできているのであります。また、国民の大多数に及んで、その程度もだんだんと高度になってきておりまして、そうしたことは文明の進歩と相まって自然の勢いであると片付けられるかも知れない。しかし考えてみたならば、こうした社会文明の伸展というものは、誰の力をもってしても止めにくいものを持っている、ということが出来るでありましょう。あるいはその中にあて、自分達の言いたいこと、主張することはだんだんはっきりして参っております。言いたいことを率直にいうのであります。又論理の展開も非常に上手になってきているのでありますが、その反面、何と申しますか、言動が伴わないとでも申しますのか、自分を棚上げしてしまって、人のことを直ちに批判してみたり、情勢に押し流されやすいという脆さをもっているようにも思われてならないのでありますが、こうした時に、そうした風をを嘆くあまりに、これ又よく聞く言葉の一つに“今の若い者は”、あるいは又“今の子供は”というようなことを口にすることがあるのであります。又耳にする場合があるのであります。
 その言葉を使う者は、自分が若かった頃、自分の子供であった頃から比べてその当時のことを振り返ってみて、物事の善し悪しとは関係なく、簡単に口に出す1つの言葉であります。しかしながらその言葉を聞かされた者にとって、果たして、その言葉がどういうふうに響くだろうか、比較の対象になった者にとって、私はこれほど心に抵抗を覚えさせるような言葉はないのではないか、と考えるのであります
 まかり違えば、自分が出来ないことを自分がやらないことの理由に、こんな時代なんだから出来ないんだと、それは大人が子供であったような、そういう時代であったならば多分出来たかも知れないが、今は出来ないんだと、出来ないのが当たり前だというような考えを、たちまちに抱かせてしまうようなことになりかねないからなのであります。こうしたことは、おそらく皆さん方も何かなしに口にすることがあるだろうと思うし、大なり小なり、身に覚えがあることではないでしょうか。
 たとえば、私は昭和七年に生まれたのであります。昭和七年といえば、その前の年に満州事変がありました。その満州事変をはじめとして日華事変、太平洋戦争、そうして敗戦、その時代の流れに添って、今日まで生かして頂いたわけでありますが、どちらかといえば、幼少年の時代を、戦争とは無関係で考えることの出来ない時代に私は過ごしていたのであります。もちろん平和という言葉は耳でも聞き、どんなことであるかということは改めて説明せよ、と言われたら困るかも知れないけれども、だいたいこんなことが平和ということなのかなあ、ということぐらいは言葉として知っておりましても、実際自分の身に経験がございませんから、実感として感じることは不可能であったのであります。
 ところがその中にあって、私がどんなにもがいても、どんなに一生懸命努力をしても、その中から抜け出すことは出来なかった。又それを見て、それを憂えた親が私を戦争の影響にさらさせたくないといくら考えましても、私が育つにふさわしい理想的な時代になるまで、私の成長を引き延ばすことは出来ないのであります。
 つまりそこに存在するほかいたし方のない者にとっては、その時代に育たなければならない者に、時代の影響を受けるなといってもこれは無理な話なのです。大局に立って判断し行動せよと言えば、考え方によったならば、これほど酷な話しはないのではないか、ということが出来るのであります。むしろ、そういう時代にありましても、そういう時代から受ける影響を甘んじて受けて、その中にあっても、教祖のひながた通りに暮らすためにはどうすればよいか、ということを考えなければならないのが、私たちの問題なのでありましょう。
 そういう時代にありましても、親神様にお喜び頂ける姿というのはどういう姿なのか、どういう行いをすればよいのかということを同じ観点に立って教え、導いていくと言うことが、子供にとって親切な方法だといわなければなりません。又そこには一人々々の性質の違い、一人の子供の成長過程に併せて指導者が同じところまで、同じ段階にまで下りてきて、子供と同じ時点で考えていくのが私は親切な考え方であり、それが私達の心せねばならない点であるとおもうのであります。
 子供達が住んでいる社会と、教育から受ける影響にもてあそばれずに、しかもいつの時代にあっても変わらないのが親神様の思召であり、親神様によって創められた人間であり世界であるということを、そうして親神様の思召である陽気ぐらしの実践というのはどういうことをいうのか、具体的に理解が届くように口でも筆でも、いろいろの行いを通しても示していく方法が私達の親切な導き方であるともうしたいのであります。
 私も自分の子供をいろいろと躾ける時に非常に困ることがある。たとえば、昭和元禄と言われるように、今日、消費経済と言われる世の中にあって、物を大事にすることを教え込むということは非常に難しいのであります。物の不自由な時代を経てきた私達にとってみるならば、何でもないことが非常に難しいのであります。しかしながら、いかに出来難く、難しいことだと申しましても、やらなければならないことならば、万難を排して義務を全うする努力を惜しんでは、理想的な育成者ということにならないのであります。親という名に恥じるのではないかとさえ考えてみるのであります。
先日、年頭の挨拶の時に、私は定めた心定めの完成に向かって一生懸命努力をして、去年よりも今年は成人しよう、ということをお話いたしました。そうして親から教えられた教え通り実行するんだということを話したのであります。
 しかしながら考えてみると、この素直ということは口にはまことに言いやすい、又耳にも聞きやすい響きをもつ言葉でありますけれども、考えれば考えるほど難しいのであります。我が身勝手な素直がお互いは多いのであります。我が身勝手な素直というのはいったいどこから生まれてくるのかというと、身びいきの強い思案や、あるいは解釈の誤りに気付かない場合に往々にして生ずるのであります。
 しかしながら我が身勝手なこの素直から脱するためにはどうすればよいか。それがためには、これが総てであるとは思いませんけれども、一つの方法として大事な点は、私は元を尋ねることだと思う。
 私たちはお互いに過去の歴史を学びました。歴史というのは、過去のいろいろな出来事を記録し、そうしてそれを伝えているものでありまして、事実を生み出した、いわば人々の心の流れであると、心が底に流れているとでもいうことが出来るでしょう。歴史をつくり出しているものは、言い換えましたならば、人々の心のあやだとおもうのであります。善いことも悪いことも、善悪正邪それぞれの事実は、喜怒哀楽の思いをこもごもに含んでいる、ということが出来るでありましょう。そのことを知ることで、人々の心の変化というか、個人の心の在り方が、他に及ぼす影響はどんなものであるかということすら学びとることが出来るのであります。
又何事によらず私は、歴史というものは、私達が物事を為すに当たって、為し遂げるに当たって最善の方法を教えてくれる。又その努力が報いられること、つまり真実に対しての御守護によって、進歩と発展があるということも教えてくれるように思うのであります。
これはただ単に一般的な問題ではなしに、お道の中でも同じことがいえるので、教祖のひながたやそのひながたを辿って、今日へと道を継いでくれた先人の道すがらというものは、ことごとくが親神様のお望みである陽気ぐらしへの、いわば道標であり、より近く親神様の思召にふさわしい心にならしてもらうための、より親神様のおそばに近寄らせて頂くための、具体的な道案内であり、これが道の歴史なのであります。
そうしていつの世でも、人の心で最も大切なものは、私は真実と素直だと思うのであります。ところが人々の個々との織り成すあやの中で暮らしている以上、これほど難しいことはないのであります。
素直とは、漢字で書けば素に直と書くのであります。つまり、素に直る心が素直であります。そこには微塵も私心はないのであります。たとえば、言われた仕事は、依頼主の望みに応えられるように、あらゆる心配りをしてその仕事を全うするということであり、考えれば考えるほど、大袈裟な言い方をすれば、身の縮むような重いがするのであります。
 ことに、私達が、親の思いを後世に伝えなければならない。親の思いを世間に伝えるのに、日常生活の中で具体的な自分の解釈からくる行いの、どこまでが正しいかということを自問いたします時に、その自分の解釈が正しいものだという判断はいったい誰がつけるのか、ということが問題となって第一に迫ってくるのであります。なおその上に、今日のように情報はこうして氾濫しております中で、必要な情報とそうでないものとを選り分けて、又その間には情報にふりまわされないで、しかも素直にならんとするためにはどうすればよいかということを考えれば、非常に難しい問題だと思う。
 又、素直になるとは、自我をすてることから始まるのであります。いくら口で「ハイ」「ハイ」と言っておりましても、向こうを向いて舌をだしていたり、影でコソコソするのはこれは素直ではない。人の言うことを聞いて心の中では成る程を一応思っておりましても、それに対して一言言い返さなければ気の済まない人もある。又これは当然の理愛であるということは承知しておりましても、あの人がいうから気に食わんのだ、というふうに受け入れられない場合がある。みんなこれは素直ではない。素直でないそうした心遣い、真実な温かさのない態度の結果、それはいったいどういうふうに進んでいくのかということを、歴史はくどいほど教えてくれていると思うのであります。
 よく言うのであります。子供は親の姿を見て通る。親の言葉の表だけを聞いて判断するのが子供なのであります。言葉の表現の表だけを聞いて判断するのであります。その言葉の含みというものには、なかなかまだ触れられないというのが子供であるということになるでありましょう。小さい子供の方がそういう傾向が強いわけでありまして、又そのように物心つかないうちこそ、将来の人間を形づくる上に大切な時期であるということを、私達はよく認識しなければなりません。
私は子供に素直になれ、素直な子供を育てないと思うならば、やっぱり育てる側の我々が素直になるということが第一だと思う。育成関係者の物事の素直な受け取りと、育成者の正直な増す愚な表現というものが、必ず子供に素直を会得してもらうことに通ずると思うのです。
 古来、子を見て親を知ると申します。親の心が子に移ると申します。あるいはそれに類する言葉はたくさんあるのであります。子は鏡。親ありて子。親が子となり子が親となる。こういった言葉は、みんな親子がつながりの不思議を申す言葉であります。自分の姿は見えないが、その姿は子供によって映し出されているということを意味しているのであります。
私は少年会においても同じ事が言えると思う。又そういうことを考えたいのであります。それぞれの子供の姿が、それぞれ預かっている隊員の姿が育成関係者の心のあやの現れではないかと。ですから彼等の姿に私達の理想にほど遠いものを見た時には、まず「今の子供達はどうもならん」と言うよりも、その前に自分たちの思慮と言動をふりかえるべきであり、子供を矯正すると同時に自分をも匡正することが必要なのであります。
 つまり、育てる者は、育てている者から育てられている者だということなのです。育てている者から育てられている立場にある者が、いわば私達お互いなのであります。勿体ないころに、子供を育てることによって、私達自ら育てて頂いているのであります。育てる者、即ち育成者。それと育てられる者、即ち子供、親である者と子供。伸ばそうとする者と伸ばされようとする者。更に言葉を換えましたならば、与える者と与えられる者。これ等の姿は二者一体の姿なのでありまして、私はそこに一手一つの和の姿があると思う。総てこの世の中の営みは、いわばこの二者一体の姿の在り方によって、目的が達せられるか否かが定まるのはお考えいただいたならばお分かり頂けるだろうと思う。
ところでこの二者一体について、更に気付いたことをお話し申すのでありますが、この二者一体は、あらゆる教育の根底ではあるけれども、又一人の人間の成長過程から考えてみて、だんだんだんだんと立場を変えていくのが自然の摂理だと思うのであります。それは求めることと、与えることとの関係であります。要求に応じて、育てる者と育てられる者の努力の量がすこしずつ変わってくると思う。
例えば、何も分からない乳飲み子時代、乳幼児の時代はただ要求すれば何でも彼でも与わるのであります。ところが、だんだんと成長いたして参りますと、要求するものはそのまま要求通り総てが与わるかといえばそうはいかない。年と共に要求するものは高度になり、しかも、種々雑多になってくるのであります。努力の量がましてくるのであります。又求める努力の量に等しく、私はお与えというのは定まってくると思う。
 これは信仰上考えましても、親神様のお与え、親神様の御守護というものは、私達の真実の量によって変わってくるのであります。勤める理によって徳を頂くのであります。これは信仰的に考えた場合でありますが、やがて子供が段々大きくなって親になって参りますと、与える立場をも併せ持つということになるのであります。それなら親になったから与えるばかりかといえば、やっぱり求めることも人間である以上、これは終生考えると思うのであります。これはいったい何を意味するのか。そこで私の辿り着いたことは親と言う言葉で言い現されるお方は、親神様以外にはおられないということなのであります。親という言葉で意味するお方は、教祖以外におられないのであります。
私は六人の子持ちであります。六人の子供の親父であります。その上道の上では教えにつながる人々の真柱という立場を頂いているのであります。しかしながら、私とて人間であります。親神様の思し召しに近付くように、日夜身も心も治める努力をしているのであります。これはおそらく九十歳になっても百歳になってもどこまで生かして頂けるか分かりませんけれども、これでよしというようなことはないと思う。常に人の道、教えの道から外れた行いをしないようにと努力をしていることは、親に喜んで頂きたいが一途な気持ちなのであります。
 人間の努力に対して与えられるお方は、真実の親しかおられない。親とは親神様であり、教祖である。たとえ私達が六人の子供の親であると言う言葉のように、親と言う言葉を用いましても、それは親になってしまえというのではなく、私達の親は親神様・教祖以外におられないのです。私達がその言葉を用いましても、真の底から親になってしまってはいけない。

こうした気持ちを前提にして、いろいろと物事を考えてみたならば、なにか親の教えに素直であると言うことは、先程来非常に難しいことであると何度か申しましたけれども、親の教えに素直であろうということは、行いやすいのではないか、考えやすいのではないかという気持ちになったのであります。皆様方も何人かの子供さんの親である。合わせて血のつながりはないけれども、いろいろと理のつながりのある子供さんを、将来立派なよふぼくとして育てあげなければならない育成者としての立場を親神様から頂いておられる。子供達の親であり、少年会の隊員達の親である。また教会長は所属するよふぼく・信者の親である。
なるほどそれに違いはありませんけれども、真の底から親になってしまうのではなくて、その人達を育てなければならない立場と併せて、まだまだ親神様から育てて頂く立場を持っている子供である、ということを常にお忘れにならないで頂きたい。私達の真実の親は月日親神様・教祖以外にはおられないんだから、その親に添って、親の思し召しに添って、日々通らせていただくためにはどうすればよいかということを、それこそ欲を忘れて、損得抜きにしてしっかりと考えさせて頂き、信念をもって素直に、その理を子供達にあらゆる味付けや方法を講じて進めて参りますところに、必ず素直な子供達がお育て頂けることと私は考えたいのであります。
 時間の関係で上手く説明が出来なかったけれども、私の言わんとするところはおおむねお分かり頂いただろうと思います。以上後継者育成の仕事という重要な御用を頂いているお互いが、理想的な育成者になるという上での一つ考え方を申し述べまして、最初に申しましたように、昨年よりも今年は一層成人を目指して、少年会の活動も、皆さん方一人々々の成人と相まって御守護頂けるようにお祈り申し上げて、私の責任を果たさして頂きたいと思います。
ご苦労様でした。
 

 「みちのとも」昭和47年3月号より




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