UNRWAへの拠出金停止の意味——ジェノサイドの加速化とパレスチナ難民帰還権の抹消
★日本政府によるUNRWAへの拠出金一時停止の決定を受けて、急遽作成しました。参考文献などの情報を随時追加していきます。
★これまでBJBのブログ記事はnoteで公開してきましたが、この媒体について複数の問題が指摘されているので、段階的にこちらの媒体への引っ越しを予定しています。→https://bdsjapanbulletin.wordpress.com/
1.UNRWAとは何か
世界で生まれる難民を保護する国連機関として、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が一般によく知られている。しかし、パレスチナ難民はUNHCRの管轄ではなく、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の管轄下にあり、パレスチナ難民は世界の難民一般に対する保護体制とは別の枠組みがある。しかし、そのことで、パレスチナ人研究者や活動家たちからは、UNHCR管轄の難民とパレスチナ難民の間に「保護のギャップ」が生じていると指摘があった。こうした保護のギャップが、故郷への帰還を認められないまま、強制移動の脅威にさらされてきたパレスチナ難民や、現在のガザ地区でイスラエルがジェノサイド的状況を引き起こしているにもかかわらず、UNRWAへの拠出金が停止してしまう事態の一因になっている。
この状況の背景を知るために、UNRWAの設立経緯を振り返ってみる。イスラエル建国前後の時期に、故郷から追放された約70万人のパレスチナ難民の権利と解決策については、1948年12月11日に可決された国連総会決議194号にて、可能な時期での難民の帰還と、それを望まない場合の財産の補償が認められた。これがパレスチナ難民の故郷への帰還の権利(いわゆる「難民帰還権」)の重要な根拠の一つである。だが、難民帰還権はこの総会決議のみならず、世界人権宣言第14条1(「すべて人は、迫害からの避難を他国に求め、かつ、これを他国で享有する権利を有する」)に定められた基本的人権の一部をなす権利でもある。
パレスチナ人が難民になった当時は、まだ難民条約もUNHCRも存在しなかったため、難民への国際保護体制は確立していなかった。そのため、パレスチナ難民には個別的な保護と支援の体制が作られた。まず、国連総会決議194号が可決された翌月、決議に基づき国連パレスチナ和解委員会(UNCCP)がアメリカ、フランス、トルコを構成国として作られた。UNCCPはパレスチナ難民の帰還、財産返還、帰還を望まない場合の補償、経済・社会的復興などに対する法的保護の提供を任務としていた。しかし、この決議に基づく交渉がイスラエルによって拒否されたため、1949年の国連総会決議303号でパレスチナ難民のための人道援助、救援、仕事の確保を任務とした暫定的な機関としてUNRWAが発足した。
2.UNCCPとUNRWAの違い――保護提供機関と支援提供機関
このUNCCPとUNRWAには重要な違いがあった。まず、UNCCPは難民帰還権を含む永続的な解決のためのイスラエルとアラブ諸国間の交渉の仲介や、パレスチナ難民の法的保護も含めた任務があった。しかし、UNCCPの包括的解決に向けた仲介任務は、UNCCP設立以前その任に当たっていた調停者フォルケ・ベルナドッテがシオニスト右派民兵に暗殺された事実からも推測できるように、シオニスト側からの拒否にあった。実際、UNCCPの活動は機能不全に陥り、パレスチナ難民の支援に滞りが生じた。そのため、包括的解決がなされるまでの間、パレスチナ難民の人道援助、救援、仕事に特化した暫定的機関としてUNRWAが設立されたのだった。そのためUNCCPがパレスチナ難民の物質的・物理的・法的保護を任務とする一方、UNRWAは人道援助の支援に特化した機関となったのである。UNRWAの予算のほとんど(96%)が各国の任意の拠出に依っているのも、UNRWAは難民が帰還するまでの暫定的な機関と位置づけられてきたためである。
しかし、パレスチナ難民の帰還を含む包括的な解決をイスラエルが一貫して拒否したため、UNCCPの活動は暗礁に乗り上げ、1950年代初めにその機能が停止した。現在はUNCCPの名称だけが残り、実質的な活動は行われていない。保護の任務を受け持つUNCCPが機能しなくなったことで、支援を担当するUNRWAだけが活動する状況、すなわち、パレスチナ難民には保護は保障されず、提供されるのは支援だけという状況が生まれたのである。その結果、その後成立した難民条約やUNHCRの下で認定を受けた難民一般への国際保護(支援も当然含む)は義務とされる一方、パレスチナ難民には保護はなく支援のみしか提供されないという「保護のギャップ」が生まれたのである。
3.パレスチナ難民の個別的保護の意味——難民発生をもたらした国連の責任
現状では、国際社会の難民保護体制は難民条約およびUNHCRの下での難民という一般的な難民保護体制と、UNRWAが管轄するパレスチナ難民への個別的な保護体制がある。だが、パレスチナ難民への個別的な保護は、難民条約の成立以前にパレスチナ難民が発生したからという理由だけではなく、一般的な難民保護体制にパレスチナ難民を含むことへのアラブ諸国の反対もあった。このアラブ諸国の姿勢には、自国内でのパレスチナ難民の吸収を阻むという狙いもあっただろう。だが、アラブ諸国が国連で主張したのは、パレスチナ難民を生み出したのは、ユダヤ人国家に法的正当性を与えた国連総会決議181号(国連パレスチナ分割決議)であり、そのため国連はパレスチナ難民の発生に直接責任を負っているという点だった。
パレスチナ難民は(…)国連自身が、その帰結を十分に承知の上で下した決定によって直接的にもたらされた結果から生まれた。そのため国連はパレスチナ難民に直接責任を負うべきであり、彼らを一般的な難民のカテゴリーに位置づけることは、国連地震の責任に背を向けることである。加えて、彼らが帰還できないのは、彼ら自身が故郷に戻ることを不満に思っているからではなく、国連加盟国が彼らの帰還を阻んでいるためである[1]。
国連がパレスチナ難民の発生に責任を負っている以上、加盟国はパレスチナ難民の帰還も含めた包括的解決やそのための支援を実施する義務があるというこの主張は、占領下ヨルダン西岸地区ベツレヘムにある強制移住者の権利擁護活動を行うBadilによるものである。国際社会がこの義務を見過してきたため、UNCCPの活動停止後にパレスチナ難民は国際保護の枠組みを失った。その結果、難民帰還権というパレスチナ難民の基本的権利が放置されるだけでなく、その後もイスラエルによる追放の脅威にさらされ続け、しかし国際社会に対してはUNRWAを通した人道支援のみしか求められないという状況が生まれた。サラ・ロイ氏の指摘するような、パレスチナ人の存在を、政治的権利を持つコミュニティから、単なる人道支援の対象に一変させるという状況は、UNCCPが活動を停止し、UNRWAの支援のみしか利用できなくなったこの時期にも生じていたのだ。
4.トランプ政権期のUNRWA抹消の試み——人道危機の誘発と難民の権利の抹消
2018年以降は、こうした限定的な任務しかないUNRWAでさえも存続の危機に陥る事態となった。アメリカのトランプ政権の時代に、UNRWAの抹消を望むイスラエル政府の意向を受けて、UNRWAへの拠出金をすべて停止させたためである。UNRWAに雇用された職員やそのサービスを受ける人々は、この時期から決定的な形で暮らしを脅かされてきた。
この状況で、前述のパレスチナ人研究機関Badilは、「UNRWAを標的とするキャンペーンに対峙する――パレスチナ人の戦略計画のための変数、原則、そして提言」を発表した。そこでは、国連決議に基づくUNCCPの設立と挫折、UNRWA支援の限界などを指摘しつつ、UNRWAの任務維持はパレスチナ難民を生み出した国連および国際社会の責務であることを強調している。それまで最大規模の拠出を行ってきたアメリカが資金提供を止めたこと財政難が起きたため、UNRWAは各国政府へのファンド・レイジング活動も行ってきた。UNRWAはもはや市民団体と同じようなファンド・レイジング活動を行うことになったとの揶揄もあった。しかしBadilは、本来UNRWAの財政安定化と持続可能性を維持することは、国連の責務だと主張している。加えて、UNRWAからの支援もパレスチナ難民にとっての権利であり、国連はそれを支える必要があると主張してきた。そのため、UNRWAはパレスチナ難民問題の解決のために各国に働きかける権限はなくとも、機能を停止させるイスラエルやアメリカの試みに挑戦する責任はあり、国連加盟国もまたこれを支持しなければならない、と主張している。
このようにイスラエルやアメリカによるUNRWAの抹消の試みは、すでにトランプ政権時代に極端な形で表れていた。その狙いは、パレスチナ難民への人道支援を停止させて人道危機を誘発させることだけではない。国連総会決議194に基づくUNRWAの抹消を図ることで、パレスチナ難民の帰還権を無に帰すこと、またそれによってイスラエル建国時の民族浄化の歴史を闇に葬り去り、不法行為への責任から逃げきることで、パレスチナ難民問題の「解決」を図ろうとすることも意図されていた。
5.ジェノサイド的状況のなかでの拠出金停止
イスラエルもアメリカも、パレスチナ問題に共感を寄せるグローバルサウスの加盟国が大多数である総会の場で、UNRWA解消についての決議を可決させることは不可能であるとの認識はあったようだ。そのため、イスラエルとアメリカの狙いは、UNRWAの活動を実質的に停止させる手段として拠出金を停止させることだった。トランプ政権下での湾岸アラブ諸国とイスラエルとの国交正常化交渉では、UNRWAの責任をホスト国や湾岸諸国に課すことも議論された。UNRWAが機能しなければ、国際NGOやローカルNGOが業務を肩代わりするだろうという目算もあるのだろう。これが「援助にすがるしかない人道的救済対象」としてパレスチナ難民の状況を深刻化させたのだ。
このような人道的対象に切り詰められたパレスチナ難民の危機が、極限に達したのが昨年10月7日以降のガザである。今年1月26日、ICJがイスラエルに対してジェノサイドを阻止するためのあらゆる措置を講じるよう求める暫定命令を出したが、それと同日、アメリカは10月7日のハマースらによるイスラエル領内での軍事行動に複数の12人のUNRWAスタッフが関与していたというイスラエル側の情報をもとに、UNRWAへの拠出金を停止した。
捜査の手法も不透明な容疑の段階で、飢餓と医療品欠乏に苦しむ人々への人道援助を打ち切ることへの法的正当性はいかにして成り立つのだろうか。それも、ガザで10月7日以降152人の国連職員が殺され、141の国連施設が損壊し、22の国連の医療機関中4施設しか稼働していない状況に追い込んだ暴力を問わずして、である。仮にイスラエルの申し立てる事実があったとしても、UNRWAのサービスを受ける人々への人道援助の停止は戦争犯罪の集団懲罰である。通常予算による食料・医療・教育の提供のみだけでも財政難にあるUNRWAが、約4か月に及ぶジェノサイド的事態で機能を停止させ、UNRWA施設内に逃げ込んだ170万人に避難所を提供していることを考えれば、絶望的なまでに人道援助が不足した状況で、それを停止することは、もはやジェノサイドへの加担ではなく、ジェノサイドを推進することと同じであろう。ICJによるジェノサイド阻止の暫定措置命令を覆し、国際法の精神を否定する行為であろう。アメリカ、ドイツ、スウェーデン、日本、フランス、スイス、カナダ、オランダ、イギリス、イタリア、オーストラリアなど、資金提供を停止させた国々の政策決定者らは、これらのジェノサイドの推進者として記憶されねばならない。
6.ジェノサイドの暴力によって消し去られるもの
昔、パレスチナに滞在していた時代、ある村で行われていた人道支援のワークショップに参加した人が控室に貼っていたビラがあった。「もし、私たちを助けにくるだけというなら、どうぞお帰り下さい。だけどもしあなたが、私たちの闘争を自分の生き残りがかかった問題だと考えてくれたなら、たぶん私たちは一緒に活動できるでしょう。」難民帰還権を含む政治的権利を奪われ、生存の土台を壊され、人道支援に頼るしかない状況に置かれたとしても、誇り高く尊厳を持って抵抗し、これを世界の危機として理解すべきだと訴えるパレスチナ人の姿が、そこにあった。
そのようなパレスチナ人抵抗者たちが、今、わずかにしか入らない人道支援の配給食に向かって我先にと必死に手を伸ばしている。私たちの国の指導者たちは、彼らをそのような存在に貶めたジェノサイドの暴力を直視し、ジェノサイドの暴力の推進する側に回ったのだという事実を直視しなければならない。このジェノサイドは、人間の人権も尊厳も誇りも、肉体もろとも木っ端みじんに、一家まるごと葬り去る暴力である。それによってパレスチナ人の民族としての権利も、ナクバの記憶も、難民帰還権もともに抹消することで、イスラエルの過去から現在までの暴力と、それに対する責任も抹消しようとしている。国際社会もパレスチナ人への暴力に加担してきたのだという歴史や、その責任も共に。
(金城美幸)
[1] General Assembly, 5th Session, 3rd Committee, 328th Meeting, 27 November 1950. https://digitallibrary.un.org/record/819334?ln=en
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