あなたに逢いたくて
アプリを開けば、そこにはたくさんの友だちと繋がれる世界が広がっている。
リアルな世界から覗くTwitterは、一度見始めると楽しすぎていつも時間を忘れてしまう。
どうも、おはようからおやすみまで暮らしを見つめるツイ廃です。
インスタとはまるで違う140文字の世界は、まさに社会の縮図。
誰かにとってはわくわくな優しい世界。
誰かにとっては愚痴とネガティブを吐き出す世界。
私のアカウントからはごちゃまぜなツイートが流れてくるので、面白おかしく、時にほっこりしながら眺めている。
そうして、Twitterの奥深さにどんどんハマってしまうのだ。
ハマりにハマって魅力的なツイ友さんが増えれば増えるほど、心の中の『会いたい人リスト』が長くなる。これってとても幸せなことだ。
しかし、普段からリプのやりとりをしていると、スマホの向こうにいるのはアイコンではなく生身の人間ということを忘れがちだ。
だから気軽に「会いましょう!」と声をかけたくなるし、絡みがあまりなくても会いたい人に気軽に会いに行く人もいると聞く。
中には、相手の近況をSNSでチェックするという最低限のマナーすら華麗にスルーを決め込む強者もいるとか。これでは失礼なぶつかり稽古である。
私も以前、「会いたい」「お仕事をご一緒できたらいいですね」と言ってくれる人に会ったことがある。
しかし、相手の目的は仕事につなげることもでもなんでもなく、私に『ただ会うこと』だった。
何を話すのか目的すら無いからひたすら世間話と身の上話。
私は静まり返った『間』が怖くて、全力でトークを盛り上げる。
結果、相手は「今日は楽しかったです!また会いましょう!」と満足げな笑顔を浮かべて去っていった。ご丁寧に同内容のメッセージまで数時間後に送ってくれるほどに。
...私は何をしているのだろう?
相手は満足していても、私は全く満足していない。
ビジネスのコラボの話題が出なくても、せめて何らかの学びが1mmでも欲しかった。
そう、この経験で無理やり学んだことは、
会うならお互いに『デートと同じ緊張感』を持つこと。
それぞれの貴重な時間を使って会うのだ。
『美味しい◯◯を食べる』
『△△について語る』
そんなちょっとした目的でいいから、コンテンツ化できるような充実した時間を一緒に過ごしたいものだ。
自分は何も与えることなくgiveばかりを求めて、気軽に相手の労力と時間を奪うとは言語道断である。
私にも会いたい人はたくさんいる。
自分自身が『また会いたい人』のリストに入れるよう、相手を満足させられる魅力を磨き続けていきたい。