せなか

 毎週日曜日は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が20時より放送されるので、万全の準備をしてテレビ前にて正座で待つ。
 いつもなら嫌いなお風呂にダラダラといつまでも入らず、翌朝に後回ししてバタバタと支度したり、洗濯物を干すのを面倒臭がるくせに神経質のため、洗濯機に長時間入れっぱなしにした洗濯物を何度も洗い直したりと生活がグダグダになることもあるが、日曜日だけはシャッキリするようになった。

 何だかオープンングを見ているだけで感動的な気分になるようになった。篤姫のオープニング曲が大好きでたまに聴くと泣きそうになるが、物語も好きだったので思い入れ補正もあったのかもしれない。
 三谷幸喜監督作品は絶対面白いに違いないと思って見始めた今シーズンの大河はすごく面白くてどっぷりハマっている。思い入れ補正が強くなってきている証拠なのかもしれない。最終回を見るまでは死ねないと思えるので、落ち込んでも生きる目標を見失わずにいられる。

 ちなみに来シーズンの大河ドラマには大好きな阿部寛さんが出演するとのことで、来シーズンを見るまでは死ねなくなった。これくらい緩い目標を持っていたほうが楽だ。

 最近仕事で大失敗をしてしまい、一日中落ち込んでいて、今なら死ねると思っていたが、明日の準備をして、お腹いっぱいご飯を食べ、早々に眠りについた。安眠はできなかったが、翌日は餃子パーティーで初めて手作り餃子を作った。なかなか楽しかったし、元気になった。元気になった私を喜んでくれる人がいた。こんな人たちと仲良くなれて私は本当に幸せ者だと思う。

 その大失敗に際し、私の苦手な人に対して主な被害を与えてしまった。よりによってという気持ちもしたが、原因は私にあるのでここは抑えて償いに徹しようと思う。思うばかりで行動に移せていないが、姿勢は見せねばと考えあぐねているうちにタイミングを失ってしまうのはいつものパターンで学びが無い。

 だがその失敗を誰からも責められない。
 「失敗は誰にでもある」「その後の行動が大切」という言葉が胸に沁みた。
私は初動で失敗している気がするが、それよりも、100%確定の不注意で失敗した人を責めず追求せず、理由はどうあれ困っている人に何か力になれないかと自ら行動できる姿勢に感動した。その際も周りの人に気を配り、抜かりない。本当にすごいと思う。みんなが幸せになれる道を探しているような、この状況を良くするにはどうしたらいいか考えているような、心の使い方が素晴らしかった。

 実際に目の当たりすると本当に素晴らしい。私もこんな風になれればいいなと本気で尊敬した。

 私は本気で心を込めて行動した記憶は、小学校のマラソン大会が最後だったんじゃないかと思う。自分の気持ち一つ、誰のことも考えず自分がやりたいことに一生懸命取り組んだ最後ではないかと思われる。それ以降、誠心誠意とか、真心とか、真剣にとか、あまり実感がない。情熱も冷静さも欠けて、特に何もやりたいことがないぼやけた私が今概ね楽しく生きられているのは、周囲の人がそう過ごさせてくれているからなんだと思う。外遊びも遠出も得意じゃない私が予定のない休日は部屋に引きこもって消費するだけので、住む場所は僻地でも都会でも一緒だと思っていたが、今住んでいるこの田舎にいる人たちが、私に予定を与えてくれたのだと思う。その時々で億劫になりバックれることもあったが、予定のある休日が今後もあるとは思えない。いつかきっと、あの時は楽しかったなと寂しくなる日が来るかもしれない。

 でも、今住んでいる場所で、私が無口の根暗キャラだとは誰も思わないような私になったのはこの町の方々のおかげだと思う。私がいなくなったら寂しくなる、とお世辞か分からないがそう言ってもらえるのはとても嬉しいことだ。爪痕を残せたと思っていたが、爪痕が残ったのは私の方だった。


 嫌な人ばかりじゃない、そう思えればもう少し頑張って暮らせたのだろうか。人から求められることを望んでいたはずなのに、いざ求められると逃げ出したくなった。私には無理だと諦めた。重ねた失敗や、低い達成感と高い評価に罪悪感を感じたり、未消化の小さな苛立ちなど、よくある負の材料をかき集め、そればかりを見つめ続けた。だから前向きになれなかった。そんなことを友人に話すと、それは考え過ぎだし、そんなにネガテイブだったの?と言われた。確かにそうかもなと思えた。軽い感じで悩みを話すと、軽い感じの目線で返してくれるのが助かった。私の場合は深刻に考えた意見が欲しいわけじゃないことが多い。深刻に考え過ぎた悩みが多いので、簡単に捉えてくれて助かったことが多い。まだまだ俯瞰できていないのでそんな友人を得られたのもこの町が初めてだ。

 –地元には知り合いや友達が多い、なんてことがないのが恥ずかしい。私はこの町に来てから気軽に話せる友人知人が格段に増えた。LINEの友達件数が何倍にも増えた。
 社会的なコミュ力は死んでいるが、日常的なコミュニケーションには問題がないとのことなので、それだけは自信を持って今後も生きていければと思う。仕事はうまくいかないけどプライベートは充実させることができるのかもしれない。

この町の人が教えてくれたことは、信じられないことばかりだ。
「そんないい人は損するだけ。」
 と言いたくなるような人たちに囲まれ、いかに自分が"悪者"か露呈して恥ずかしくなった。それでも周囲の人は私を良く評価してくれる。認めてくれる。とても幸せなことだったが、自己評価とのギャップを作って苦しむことも多かった。素直に受け入れられればモチベーションにできたのかもしれない。達成できる目標を達成していくことができれば、自信もつき、ギャップを埋めることができたのかもしれない。前向きに考えれば、自分のためになることは町のためになることだったのかもしれないと今更ながら答えに近いことに気づけた気がする。それが悔やまれる。

 いつか、町の方々が当たり前にやっていた心の使い方を、私もできるようになりたいと思った。見返りを求めない、誰かのために!やる!という強い気持ち。自分が何をやりたいか、何が食べたいのか、尋ねられて即答できないうちはまだまだ程遠いと思われるが。

いつかは。

 



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